第26話 繫殖期 その4
ついに繁殖期の朝がやって来た。
今日から一カ月間、ダンジョンから大量の魔物が出てきて人々を襲う。
魔物と戦う事が出来ない村人達にとって頼れるのは俺達だけだ。
「リオン、いよいよだな」
「うん」
緊張を解す為に俺は隣にいたリオンに話しかけてみる。
俺と同じでリオンも緊張していた。
繁殖期といっても普段と余り変わらない。
普通に太陽も昇るし、空気が淀んで息苦しいとかもなかった。
しかし繁殖期は既に始まっている。
繁殖期は毎年必ず今日から始まり、一月後に終わる。
それがズレた事は一度としてない。
俺達は最初の作業として、村の家々に細工を施していった。
「ラベルさん…… これ効果あるの?」
「あぁ、今回の相手は特に鼻がきく【ブラックドッグ】だからな。臭いを発している内は大丈夫だろう。もしギルドの応援が来てくれたなら、必ずこの村まで押し返せる。村を取り戻したときに自分の家が魔物に襲われてボロボロになってたら辛いだろ?」
「うん。そうだね」
俺達は家の軒先に小さな臭い袋を吊るし回っていた。
少しでも効果が持続する様に布に汁をたっぷりとしみ込ませており、その上から革で覆っているので、すぐには乾燥しないはずだ。
俺の予想では小さいとは言え、臭い袋は二、三日位持ってくれると思っている。
「でも魔物はこの村に来るのかな? もしかしたら動物がいる森の方に行ったりとかしない?」
「リオンは知らないのか? 魔物は基本、動物を襲わないんだぞ」
「えっそうなの?」
「理由は未だ不明だけど魔物は人族しか襲わない。昔の本にはダンジョンの意思だとか神が人族に与えた試練だとか書かれているらしいけど、俺にもハッキリとした理由はわからん」
「そうなんだ。知らなかった」
「ダンジョンの近くにある村はここだけだからな。魔物達は必ずこの村を見つけ、追いかけてくるはずだ」
俺はもう一度ダンジョンがある方角を見つめた。
「運がいい事にダンジョンがある場所とこの村の高低差はかなり大きい。魔物が崖を飛び降りてさえ来なければすぐには来ないと思うが、とにかく急ごう」
「うん。了解した!!」
全ての家に臭い袋を吊るした俺達は村から飛び出し、村人達の後を追う。
地図が無くても俺の頭の中には、詳細な地図が浮かび上がっている。
長年、地図を作り続けてきたので、俺は頭の中に正確な地図を描くことが出来るようになっていた。
どんなに広大で複雑な階層だろうと、俺は一度通っただけで記憶する事が出来る。
ダンジョンに比べれば街道を覚える位は簡単だ。
★ ★ ★
三時間程、進んでいると街道沿いに焚火の跡を見つけた。
「リオン、見てみろ焚火の跡だ。なら村人達はこの場所で夜を過ごしたという事になるな」
「うん。だったら後一時間も追いかければ追いつけそうだね」
「あぁ、村からこの場所までは約十五キロメートルを過ぎた位だろう。俺達は三時間でたどり着いている。単純に計算したとしても俺達と村人達は五キロメートル程度は離れているって事だな。村人達も予想通り進んでくれている。このまま追いかけよう」
今の所魔物が襲ってくる気配はない。
このまま順調に移動が出来ればダンが呼びに行ってくれた冒険者と合流もできる筈だ。
もう首都から出発してくれていればいいのだが……
合流さえできれば数で押せるので、C級ダンジョンに出現する魔物程度なら何とかなる。
しかし俺は嫌な予感がしていた。
長年ダンジョンに潜り続けて、感じる様になってきた直感としか言えない気持ち悪い感覚が体から離れない。
「急ぐぞ」
「うん」
★ ★ ★
この辺りは盆地で大小様々な川が流れている。
俺達は今、一番大きな河に沿って作られている街道を進んでいる。
周囲の山水が全部この河に流れていた。
なので水深も深く流れる水量も多い。
泳ぎに自信がある者でも、向こう岸まで泳ぎ切るのは難しいだろう。
俺達の様に装備を身に着けている者が落ちれば確実に溺死だ。
「この先は一本道だったよな」
「うん。この道が真っ直ぐ続くだけ」
河の反対側には切り立った岩肌を見せている。
見上げる程の山があった。
山は削られ断崖絶壁となっており、道の側には断崖絶壁の岩肌から崩れた巨大な転石が幾つも転がっていた。
「大きな石がたくさん転がっていたから覚えてた」
「あの岩肌から剥がれ落ちた転石だな。当たって亡くなる人も少数ながらいるらしいぞ。賢い学者さんが、ここを調べた事があるらしくてな、昔はとんでもなく大きな河だと分かったらしい。だからこの断崖絶壁は昔の河によって作られたものだ」
「そうなんだ。ラベルさんは何でも知っているね」
「まっ村長さんの受け売りだけどな」
そんな事を話しながら、俺達は道幅五メートルの街道を進んでいた。
すると前方に数十人の人影を見つけた。
「ラベルさん。あれ!?」
「あぁ、やっと追いついたみたいだ。少し走るぞ」
「うん」
俺達が見つけたのは村人達で間違いなかった。
顔色を見ていみると少々疲れも表れ始めている。
「村長さん。大丈夫ですか?」
「えぇ、ラベルさんも怪我もなさそうで安心しました」
村長は俺達の事を気遣ってくれていた。
「一度休憩を取ろうと話していた所です。ラベルさんも一緒に」
そう声を掛けたが俺は首を横に振った。
その理由はずっと感じていた嫌な感じがどんどん大きくなっていたからだ。
「休憩は後にしましょう。俺が昨日渡しておいた地図は持っていますか?」
「はい持っていますが?」
「俺の予想ですが、魔物が近くまで追いかけて来ている筈です」
「本当ですか!?」
「えぇ、だから今から村人達だけで進んでくれませんか? 安全の為に新しい道具も追加で渡しておきます。俺が渡した地図通り進めば、必ず応援の冒険者達と合流できますから、もう少しだけ頑張って下さい」
「分かりましたが…… 貴方達は?」
「今、この場所で魔物を迎え撃ちます。この先に行くにはここを通るしか道がない。ここさえ抑えておけば背後から襲われる心配はないですから」
「わっわかりました。私達も急ぎます。どうか無理はなさらぬ様に」
村長との会話を終えた俺はリオンの元に近づいた。
「聞こえていただろ?」
「うん。魔物が来てるの?」
「多分な、どうも嫌な気配しかしない」
「ラベルさんがそう感じるなら、きっと来ているんだよ」
「それでだ。もし本当に追いかけてきたなら、ここで俺達が魔物を迎え撃つ事になる。リオンには頑張ってもらう事になるが、頼めるか?」
「うん。もちろんだよ。任された」
「よし、それじゃ俺も準備をしないとな」
俺も自分用に作った革の装備を取り出し身に着けた。
頭から足先まで、殆どの部位を保護している。
一見動きづらそうにも見えるが、ちゃんと関節部分は開放しているので、それほど動き辛くはない。
「ラベルさん、凄い格好……」
俺の装備後の姿をみたリオンも目を丸くさせた。
「俺は戦えないからな。戦えないなら戦えないなりのやり方ってのがあるんだ。だからこの装備だ」
「心配しないで私の後ろには一匹たりとも行かせない。ラベルさんが後ろに居てくれるなら、私はどんな魔物が相手だとしても全然怖くないから」
「それじゃ、いつも通りで行くぞ」
「うん。了解した」
俺はリオンに小さな小袋を渡した。
「これは何?」
「これは臭い袋の逆の効果を持つ袋だ。言ってる意味が分かるか?」
「うん。これを持っていれば魔物が寄ってくる?」
「そうだ。俺達の先には村人たちがいるんだ。追ってくる魔物全部をここで惹きつけなければならない。口の紐を一度でも緩めたら……」
リオンは何も言わずに頷いた。
その後、十五分が経過した時、遠くから黒い影が近づいて来るのが見えてきた。
最初は一つだった影はドンドン膨れ上がり、ハッキリと見える様になった時には三十匹を超える数だとわかった。
「来たぞ。臭い袋の口を開けて足元に置け!!」
リオンは俺の指示を受けて、袋の口を開けた。すると中から甘い香りがあたりに漂い始める。
「リオンは正面だけに集中しろ。分散されると厄介だ。リオンの真正面だけを狙わせるぞ」
俺はリオンを中心に両側に六十度位の角度で火炎瓶を幾つも投げつける。
これでリオンを中心として三角形が出来上がった。
「確か【蟻地獄】だったっけ? 魔物を全て引き寄せて戦うなんて、あの筋肉ゴリラしか思いつかない馬鹿げたやり方だけど、意外に有効だな。俺が持ってきた一か月分のアイテム、全部使ってでも必ず食い止める!!」
魔物が炎を避けようとすれば、自然とリオンの真正面に来るのだ。
しかも魔物を集める臭い袋を足元に置いている為、全ての魔物の攻撃対象がリオン一人に向けられる事になる。
正面に魔物が来てくれるので戦いは楽だが、そのプレッシャーは計り知れない物だろう。
しかしリオンならやってくれると俺は確信していた。
「行けリオン。火炎瓶が持つのは十五分間だけだ。その間に目の前の魔物を全滅させるぞ」
「うん。任せて!!」
甘い臭いの元にいるリオンに対して【ブラックドッグ】が襲い掛かる。
一匹は空中を飛びあがり、そしてもう一匹は真正面から鋭い牙をむき出しにした同時攻撃だ。
リオンにはその攻撃が事前に見えている。
剣を足元から掬い上げる様に空中へと飛び上がると、同時に二体の【ブラックドッグ】を切り伏せた。
続く魔物は単独で襲って来た。
大きく開いた口に剣を突っ込み串刺しにした。
更に一体仕留めた時に俺は声をかけた。
「リオン、残りは二十五体だ。足元に魔物が積み上がり始めたから足場が悪いぞ。その場から一歩後退して、動きやすい場所で迎え撃て」
「うん。了解」
リオンは俺の指示通りに動いてくれる。
俺も火炎瓶を追加し、リオンの真正面に魔物を誘導させた。
その後、三十体近くいた魔物は丁度火炎瓶が燃え尽きる位に全滅していた。
「うん。楽勝」
「まだ。すぐ次の魔物が来る。油断はするなよ」
俺は殺された魔物の死体を魔石に変えながら、リオンに回復ポーションを投げ渡した。
「ポーション? 私、別に疲れてないよ?」
「今は興奮状態で戦っているんだ。自分の身体の状態が解っていないだけだ。後ろから見ている俺には解る。お前、いつも以上に動いているぞ」
「そうなんだ。ありがとう、全然わからなかった」
「リオンは素早い動きが売りなんだから、足にきた瞬間に終わりだからな。さぁーて、第二回戦が始まりそうだぞ。次は何十匹いるんだ?」
俺は視線を向けた先には新しい影が膨れ上がろうとしていた。
「任せて。何匹いたとしても全部、倒しきるから」
「三時間だ。三時間だけ耐えれれば、必ず応援が来てくれる!!」
その言葉に俺は願いを込めた。
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