迷子の米子

古宮半月

第1話 ここはどこ

 迷中米子まよなか まいこは今、迷子になっている。

 薄暗く、ほこりが溜まった路地。

 路地の左右の建物が日光と風を遮っているためだ。建物の壁にはつたがへばりついて伸びている。

 人の気配もない。

 元はといえば、おつかいの帰り道に黒猫を見つけ、追いかけてみればここに行き着いたのである。

 18歳の女子にだって、脇目も振らず猫を追いかけたくなる時はあるのだ。

 そして、その黒猫は今、私の目の前で金色のりんごを咥えて座っている。


 と、客観的に自分の状況を俯瞰ふかんしてみたが、やはり、記憶の中には現状を解決する手がかりは残されていなかった。

 

 もと来た道は猫を挟んで目と鼻の先だ。

 何故、こんな路地にずっと居るのかというと、今も目の前で尻尾を地面にぱたぱたさせながらこちらをじっと見ている猫。それが怖いのだ。あと一歩近づけば、頭から丸呑みにされて骨を噛み砕かれるか、猫の足元から出ている黒い影にどぶんと引きずり込まれてしまうのではないかという得体の知れない恐怖。

 

 そんな被害妄想を巡らせていると。


(君は、どうしたいんだい?)


 そんな声が聞こえてきた。鼓膜を震わせている感じではない。脳の神経に直接、情報を流し込まれている感じ。頭蓋骨の中でこだまする。

 猫と見つめ合っていたせいか、猫が喋っているように錯覚する。


 私の恐怖はさらに煽られた。普通、猫は喋らない。異常。

 建物の壁に設置された室外機の音、はるか頭上できしむ外階段の音。背中側にも高いコンクリの建物がそびえ立つ。光は猫を超えた先にある道からかろうじて差し込む日光のみ。

 異様な状況。金色の果実を口に咥えた黒猫。

 

 すると、目の前で大きな和太鼓を思い切り打たれたような振動が身体を走った。 

 

 同時に目が現れた。

 猫の後ろにある建物と建物の隙間。約1メートル。その隙間に、収まりきらないほどの幅をもった巨大な目がぎょろりと現れた。

 隙間は爛々らんらんと紅くぎらめく片目と、黒で埋め尽くされた。目、以外真っ黒である。

 

(君は、どうしたいんだい?)

  

 再び問われた。


「ひあっ、早く、ここから出たい!」

 私は早口にそう答えた。


(承諾。その願い叶えよう。だから君は喉から手を伸ばしてでも、その願望に食いつけ。絶対に逃すなよ)


 金色のりんごを咥えた黒猫は突然、跳躍し、金りんごを口から離した。私の方へ、落ちてくる。顔前に迫った金りんごを、黒猫は前足でもって押し込んできた。

「んもがっ!?」


 私は、転んで後頭部を打った拍子に、顔に押し当てられた金りんごをかじった。そして、そのまま飲み込んでしまったのである。


 体が燃やされているように熱い。

 我に帰ると、自分の身体に明らかな違和感を覚えた。

 

 建物の隙間から覗き込む、巨大な赤色の目に私は映っていた。

 

 全身が炎の影のように黒く揺らめいている。ショートカットの揺めきはまるで獣の耳のように上側に突出している。目は、黒から金色に変わり、大きく瞳孔が開かれている。何より、耳元まで大きく裂けた口。

 よく見ると、腰のあたりから尻尾のように黒い揺らめきが細く伸びている。これでは、まるで化け猫だ。

 

(君は心の奥底にすばらしい闘争心を宿しているようだね)

 また、あの声が聞こえる。

 

 巨大な赤い瞳に映る私は大きく裂けた口で不気味な笑みを浮かべているようだった。


「これは、何?どういうこと?」

 私は、自分の視界に映る、異形の腕を眺めながら聞いた。しかし、それは自分の腕だ。


(今は、ただここから抜け出すことだけを考えよう)

 例の声がそう言うのとほぼ同時に、赤い目の周りの空間に塗りつぶされた黒から複数の蛸の足のような触手がこちらに向かって飛び出してきた。

 

(さぁ、走り出せ)


 赤黒い触手は絡まり合いそうになりながら空中を突き進んで眼前まで迫っていた。


「はぁ!?あぁもう!!」

 ただ訳の分からないままに走り出した。

 足に力を入れると、触手が迫ってくる景色が突然スローモーションに見えるほどに超高速に私は加速した。

 走るというより、翔んだ。斜め上空に向かって跳んだ。

 触手をすり抜け、赤い目を突き破り、明るい世界に飛び出した。はずだった。

 

 私の身体は赤黒い液体でびしょ濡れだった。

 

「…ここはどこ?」

 目の前に広がるのは、城下町風の朽ちかけた木造建築が並ぶ通りだった。

 そして、世界の彩度が低い。見かける色がどれも濁っている。家も、草木も鈍く薄い色をしている。ただ夕暮れの赤い空を除いて。


(ここは世界の影だよ)

 まただ。

(君は影達と戦う必要がある。そうすれば、ここから出られるよ)

 ハスキーな声はそう言った。


 こんなときに限って、嫌なことを思い出した。最近、ニュースで怪事件を頻繁に見かけていたこと。


 「よぉお嬢ちゃん。1人かい?その顔だと、ここは初めてらしいな」

 金色のゴリラに人語で話しかけられた。


 「…嫌だ。私この世界、嫌だ」

 化け猫の姿で涙目になる格好は、とてもみっともなかっただろう。

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