第92話 一難去って、また一難

 悲報、瑞穂みずほは家出したことをマネージャーに告げていなかった。

 このままでは狩谷かりや家(実家)で義父と鉢合わせ。

 絶体絶命のピンチが迫っている。


「どどどどうしましょう、義兄さん!?」


「どうしようも何も、連絡してこっちに来てもらうしかないだろう」


 狼狽する瑞穂に告げた言葉は割と正論だったはずだが、言われた方は思いっきり眉を吊り上げた。

 ひと目でわかるほどに気が乗らないと見て取れる。

 義妹を支配している感情は手に取るように理解できたが、思考回路は理解不能だった。


「そ、そんなことしたら私が義兄さんと同居していることがバレて」


「同居してないが」


「些細なことで上げ足を取らないでください!」


――些細なことじゃないだろ。


 義妹の言いたいことはわからなくもない。

 法律的には兄妹とは言え、血が繋がっていない男女がひとつ屋根の下で夜を共にする。

 普通に考えても『何かあった』と勘繰られそうなものなのに、肝心の瑞穂は現役のアイドルでもある。

 バレたらただでは済まされない。


「だから、うちに泊まりに来たことにすればいいじゃん」


 横合いから挟み込まれたのは――茉莉花まつりかの声。

 麦茶を飲んでいたコップから口を外して、そんなことを言ってくれる。

 まさしく『渡りに船』なありがた過ぎる提案に、瑞穂は思いっきり顔を歪めた。


「何で私があなたに会いに来なきゃならないんですか?」


「……アンタ、大概いい性格してるわね」


「お褒めにあずかり光栄です」


「褒めてないから」


 笑顔のまま睨み合うふたり。

 以前は茉莉花の笑顔に本能的な恐怖を覚えたことがあったが……今、目の前で繰り広げられている笑顔合戦(?)は、あの時を軽く上回る戦慄的な光景だった。


――そういうことは余所でやってもらえないものか……


 軽くため息をついたら、ふたりから同時に睨まれた。

 気は合わないくせに息はピッタリで余計に始末に悪い。

 

「あなたと私が友人で、家でお父さんと喧嘩したあなたは私の家に泊まりに来た。そして私は偶然にも狩谷君の彼女で、朝はいつもふたりで食べている。そこに偶然あなたが混ざる。偶然。これならマネージャーさんに来てもらっても問題ないでしょ」


「さり気なく自分のポジションを確立させようとするの、やめてもらえませんか?」


「チッ」


 聞こえよがしに舌打ちして視線を逸らす茉莉花。

 警戒心をあらわにする瑞穂。

 某有袋類が喧嘩する絵が脳裏に閃いた。

 争いは同じレベルの(以下略

 どちらかに肩入れすれば、もう一方が噴火しかねない様相ではあるものの、とりあえず眼前の窮地を凌がなければならない。

 眼前の窮地すなわち恋人と義妹の喧嘩――ではない。


「瑞穂、ここは立華たちばなの話に乗っておけ」


「義兄さん!?」


「今回の件、元はと言えばほとんどお前が原因だ。容易な解決策があるところにイチイチ突っかかっていたら、肝心なところに全力を注げない。ツアーが失敗したら、お前はどうするつもりなんだ?」


「それは……」


 アイドル『片桐 瑞稀かたぎり みずき』にとって現状最大の問題は迫りくる全国ツアーの成功であり、その前提条件となるのが父親の許可である。

 ここが肝要だ。

 正直なところ、今の瑞穂を無理やり家に帰しても義父と揉める姿がありありと思い浮かんでしまう。

 きっとお互いに頭を冷やして考え直す時間が必要だろうし、何ならつとむが間に入って仲を取り持つ方がいいかもしれない。


――よりにもよって俺か……とは思うがな。


 これが友人である『天草 史郎あまくさ しろう』のようにコミュニケーション能力に長けている人間なら、苦も無くあっさりと状況を整理して片付けてしまうのではないかと期待できるのだが。

 自他ともに認める対人下手な勉が、こんな難題に首を突っ込むなんて……想像するだけで頭が痛くなるし、そもそも解決の道筋がまるで見えない。

 いっそのこと史郎に救援を求めるという手もなくはないが……


「いや、それはダメだ」


 事が事だけに巻き込む人間を増やすのは得策ではない。

 勉は今でもしばしばツイッターに目を通していて――そこでは芸能人のスキャンダルや炎上騒ぎは、もはや日常と化している。

 日常と化しているから別に構わない……なんてことはない。

 一般人ならともかく、芸能人の瑞穂にとっては致命傷になり得る一大事だ。

 史郎を信頼していないわけではないが、この手のスキャンダルはどこから漏れるかわかったものではない。

 かつて茉莉花にノートを貸していたことを教室で暴露された一件を、勉は忘れていなかった。


「義兄さん?」「狩谷君?」


「なんでもない。とにかく、さっさとマネージャーさんに連絡してここに来てもらえ。説明はさっき立華が言ったとおりにする。そこが認められないなら協力はできない」


「……さっきの戯言を受け入れれば、義兄さんは私を助けてくれる、と」


「善処はする」


 義理とは言え兄として、妹の芸能活動を応援したい気持ちに嘘はない。

 義父と会うのは気が進まないし、説得なり仲立ちなりは自分のキャラじゃないと思っていても――それはそれ、これはこれ。

 なんだかんだ言って瑞穂が頼ってきてくれたことが、ちょっと嬉しい。

 身内が深刻なトラブルに見舞われている中で不謹慎だと、自分で呆れていたりもする。


「わかりました。緊急事態だから仕方ありません。苦渋の決断です」


「お前、どうしてそこまで立華を嫌がるんだ?」


 義妹の言葉の端々からは、茉莉花を強く倦厭する意図が見え隠れしている。

 隣で聞いている茉莉花の心情を思うと、心胆震えあがることこの上もなく――


――何で笑ってるんだ、立華?


 ちらりと横に目をやると、茉莉花はニッコニコであった。

 交際を始めてもつくづくわからない彼女の思考は、しばしば勉を戸惑わせる。

 勉が関わってきた限り、茉莉花は非常識な言動が見られるにしても、概ね理性的で良心的な人物であったはずなのだが。


――ま、まぁ……機嫌を損ねていないなら問題ないか。


 瑞穂は後で叱っておこうと心に誓いながら、この件はひとまず棚上げにすることにした。

 厄介ごとはひとつひとつ地道に解決していく方が結局は効率的だ。

 たとえどれだけ時間が差し迫っていようとも。

 焦ったら負けだ。急がば回れだ。

 ……心の中で何度も何度も言い聞かせはしたが、あまり信じられてはいなかった。





「瑞穂ちゃん、行ったよ」


「すまんな、立華」


 ひとりソファに腰かけてきた勉は、部屋に戻ってきた茉莉花に頭を下げた。

 結局彼女が用意したカバーストーリーに添ってマネージャーの前でひと芝居打って事態を整理して、瑞穂は何とかレッスンに向かってくれた。

 勉はマネージャーと顔を合わせることはしなかった。

『念のため』と茉莉花に諭されて自宅に残り、瑞穂のことは彼女に任せきりになってしまった。

 昨晩のことも含めて申し訳ない気持ちばかりが募っていく。


「そんな顔しないで」


 隣に腰を下ろした茉莉花が、人差し指で頬をつついてくる。

 他の人間がやったら煩わしいだけだが、茉莉花だったら何の問題もない。

 彼女と出会うまでは経験のなかった距離感も、このひと月ほどで少しだけ慣れてきた。

 たぶんこれからもっと慣れて、しかし慣れ過ぎることはない……ようになるはずだった。


「昨日から迷惑かけっぱなしだな」


「気にしないで……って言いたいところだけど言わないし。ちゃんと何か高いものにつけるから安心して」


「それは安心していいのか?」


「さて、どうでしょう……って、狩谷君はそれどころじゃないでしょ」


「……まぁな」


 茉莉花の真剣な眼差しに、首を縦に振らざるを得ない。

 一応昨晩のうちに話はしておいたが……今日、勉はこれから義父と会うことになっている。

 もちろん瑞穂の件で話し合うためだ。

 概略は通話で聞かされていたが、こういうことは直に顔を合わせて聞くべきだと思った。

 勉は別段アナログ気質なわけではない。

 でも……細かいところで意見の齟齬があったり、些細なニュアンスの食い違いが発生しては時間のロスが増える一方だ。

 どうしてもスマホやパソコンを介した通話では不安が残る。

 ……そこまで自分に対する言い訳を並べて、盛大にため息を吐いた。

 ただでさえ高校入学以来一年以上避け続けていた(おそらく向こうも勉の意図には気づいている)義父と顔を合わせるのは気が重い。

 どれだけ言葉を重ねても、心が説得に応じてくれない。


――なんか、俺が想像していた夏休みと全然違うんだが……


 高校二年生の夏休み、彼女付き。

 もっと明るく楽しく、そして(自主規制)なものをイメージしていたのだが。

 現実は義妹が来襲するわ、義父と話し合わなければならないわと面倒ばかりが積み重なっていく。

 しかも、そのすべてがイチイチ自分が苦手とする類のトラブルばかりときた。

 冗談抜きで学校に行っていた方がまだマシまである。


「ほら、そんな顔しないの」


「……そうだな」


「じゃあ、帰ってきたらご褒美あげちゃおうかな」


「ご褒美? それは期待していいのか?」


「期待できるものじゃないと、ご褒美って言わなくない?」


「……」


 冗談半分に問い返したら、想像以上の答えが返ってきた。

 茉莉花が言うところのご褒美とは。

 整いすぎた顔立ちには、意味ありげな表情が浮かんでいる。


――こ、これは……


 思わず唾を飲み込んだ。

 昨晩は一線を越える寸前までいった。

 事情があったとは言え、もともと彼女はエロ系裏垢主として活躍していた。

 この一学期の間に『お礼』としょうして彼女から送られてきた写真の内容を加味すると……そういうことだと期待してもいいのだろう。

 たぶん。


「よし、気を取り直していくとするか」


「うんうん、それでこそ狩谷君だよ」


「……それ、褒めてくれているんだよな?」


「もちろん」


 茉莉花の笑顔には、一点の曇りもなかった。

『喜ぶべきか嘆くべきか微妙だな』と思いはしたが口にせず、代わりにすっかりぬるくなった麦茶を喉に流し込んだ。

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