第83話 茉莉花の宣言
いきなり隣に
あれよあれよと話が進んで義妹を茉莉花の家に泊めるなんて話が飛び出した。
それも当の茉莉花の口から。
何をどうすればそんな話になるのか、
隣で目を向いている瑞穂も感情を隠す素振りもない。
疑念、不振、不満、猜疑。そしてほんのわずかな安堵。
見栄えのいい顔に混沌が満ちている。
普段は知的でクールな(家族としては失笑ものの設定)アイドルとして名を馳せている人間と同一人物には到底見えない。
『事務所も苦労しているだろうな』と、どうでもいい心配が脳裏をよぎった。
「今日初めて会った瑞穂ちゃんはともかく、
「いやいや、いきなりそんな話を持ち出されて『はい、そうですか』と受け入れられるわけがないだろう」
ぶー垂れる茉莉花の心境を推し量ろうとはしたものの、こちらもまた解せない。
ごくわずかな時間の邂逅にすぎないが、彼女と瑞穂の関係はお世辞にも良好には見えなかった。
『
今は裏垢暴露事件の影響で校内における人間関係に陰りが見えてはいるものの、彼女ならそのうち何とかしてしまうだろうと言う、あまり根拠のない信頼を誰もが抱いてしまうほどに。
逆に対人能力に難がある勉ができることは、ただ茉莉花に寄り添い支え続けることだけ。
情けなさすぎて忸怩たる思いがあるとはいえ、素直に口に出しても茉莉花に一笑されるだけだという妙な確信があった。
そんなメンタル強者な彼女をして『狩谷 瑞穂』は難物扱いなのだ。
ふたりのやり取りを直接目の当たりにしていただけに、人の心の機微に疎い勉でも、さすがにその程度の察しはついた。
……だと言うのに、この義妹を茉莉花に任せるなんて……想像しただけでも目眩がする。
実現してしまったら、先ほどまでとは別の意味で今夜は眠れそうにない。
「……一応理由を聞いていいか?」
「なんで理由を聞かれるのか、それこそわかんないんだけど……まぁ、言葉にするって大事よね」
「そうだな。俺はそういうのは苦手だ」
「
「お前な……」
横合いから瑞穂が茶々を入れてくる。
誰のせいでこんなことになっているのか、いつまでたっても他人事口調を止めようとしない口を縫い付けてやりたくなった。『家族、瑞穂は家族。俺は義兄でこいつは義妹』と心の中で何度も唱えて自制する。
電話越しの会話とは比べ物にならないストレスに胃がしくしくと痛み始めた。
腹を押さえる勉の胸中を知ってか知らずか、茉莉花が柏手を打ってふたりの視線を集める。
「はいはい、兄妹喧嘩はストップ。まず第一に、瑞穂ちゃんのスキャンダル対策」
「まぁ、それはわかるが……」「……」
勉は素直に頷き、瑞穂はそっぽを向いた。
ため息を押し殺しつつ、瑞穂の頭を掴んで力づくで前に向ける。
いやいやと首を振る義妹は義理の兄に反発しているのか、将来の義理の姉(仮)を毛嫌いしているのか、どうにも判断に苦しむ。両方かもしれない。
「いい加減に現実を見なさい。あのね、アイドルが男の家に足しげく通うとか、どう考えてもダメでしょ」
「男って……何度も言いますけど兄妹ですよ?」
「それ、アイドル『
「……してません」
瑞穂の口調が重い。
声どころか顔に苦みが混じっている。
両親の再婚によっていきなり現れた、ひとつ年上の義理の兄。
ちょっと、否、かなりの異物感があるストーリーだ。話のネタにはもってこい的な。
そんなことは勉も瑞穂も、誰が見ても一目瞭然のことであって。
だから勉が瑞穂との関係を誰にも告げないように、アイドル『片桐 瑞稀』も勉のことにメディア上で触れることはない。家の外での私人『狩谷 瑞穂』としての私生活(ほとんど学校に通わない以上、どの程度の私生活が存在するのかは不明)は義理の兄の視界には入ってこないが、概ね似たり寄ったりの状況だろう。
「でも、ちゃんと説明すれば……」
「こっちこそ何度でも言うけど、それ絶対面白おかしくネタにされるだけだから。マスコミだけじゃない、ここのマンションや近隣の住民だって油断できない。あんた、もっと周りに注意を払いなさい」
茉莉花もまた大きくため息をついた。
今日一日……と言うか瑞穂が姿を現してからに限定しても、ふたり揃って一体何回ため息をついているのだろう。無理に数えようとすると、さらに増えそうなので止めた。
「確かに瑞穂は迂闊だが、立華に迷惑をかける理由になるか?」
「同じ女同士なら友だちで済むでしょ」
『友だち』と茉莉花が口にした瞬間、瑞穂が思いっきり顔を顰めた。
もう少し空気を読めと言いたい反面、出会って一日もたっていない茉莉花を友だち扱いすることに違和感があることには頷けなくもない。いまだに『友だち』の概念を掴みかねている
――友だちか……こんなことになるなら、
ふいに軽妙な笑みを浮かべる男の顔が思い浮かんだ。
勉の数少ない友人である『
茉莉花はもちろんのこと、
『友だちとは如何せん』なんて、いい年こいて気恥ずかしくなるテーマではあるが、これまでの高校生活を振り返ってみると、史郎は真面目に取り合ってくれる気がした。
「ふたつめ。血の繋がってない同年代の異性をひとつ屋根の下にするなんて、彼女である私的に許容できない」
哲学的な問いに耽る勉を置いて、茉莉花は真顔でそんなことを口にする。
気恥ずかしさを覚えて視線を横にずらすと……瑞穂の顔は不満が限界突破気味だった。
勉には茉莉花の言い分は理解できる。
なぜなら、それこそがもともとひとり暮らしを始めた原因のひとつであるから。
実家で過ごしていた中学生時代、アイドル稼業で忙しい瑞穂と顔を合わせる機会はそれほど多くはなかったにもかかわらず、思いっきり気疲れしたことは偽りのない事実。
同年代かつ血が繋がっていない女子、しかも飛び切りの美少女との共同生活。
トイレや風呂を始め、リビングや台所などのノーマルな生活空間ですら気が休まらない。
何なら自分の部屋すら安全地帯とは言い難い状況だった。
付け加えるならば、高校入学を決めた際に
実に心外な話だったが、当時は完全否定もできなかった。
今となっては義妹といかがわしい関係になるつもりはない。断じてない。
『狩谷 瑞穂』がれっきとした美少女であることは認める。
今や立派なアイドルとして多くのファンを抱えるほどの大物として名を馳せているのだ。
中身はともかく外見にまつわる勉の義妹評は決して身内びいきでなかった。
それでも、義妹に性的な欲求を抱くことはない。
かつて義父が抱いていた危惧は杞憂に終わった。
なぜなら――今の自分に『立華 茉莉花』と言う立派な彼女がいるのだから。
つい今しがただって、邪魔が入らなければ大人の階段を一緒に昇っていたであろう程の親密な関係の彼女なのだ。
しかも住まいはお隣……と言うか、もはや半同棲に近い距離でもある。
だから、ひとりの高校生男子として義理の兄として、義妹と間違いを犯すなんて天地がひっくり返ろうとも絶対にないと断言できる。
義妹と同じ部屋で一緒に暮らすなんて、想像するだけでも息苦しいだけ。
隣に恋人が住んでいるとなれば、なおさらである。
そして茉莉花は義兄妹同居の可能性について不快感を隠そうともしない。
彼氏が血の繋がらない女とひとつ屋根の下なシチュエーションは愉快ではないとハッキリ口にしている。
こればっかりは勉がどれだけ言葉を尽くしてもどうにもならない気がした。
問題は理屈ではないのだから。
「あなたが義兄さんの恋人だなんて認めたつもりはありませんし、そこまで干渉されるいわれもありません」
「この件についてあんたの意見は聞いてない。私が嫌だって言ってるの。どうしても狩谷君の家に泊まるっていうのなら……」
「言うのなら、何ですか?」
言葉を切って溜めを作る茉莉花。
挑発されて反駁する瑞穂。
まさしく一触即発。
「私も狩谷君の家に泊まるわ。私は狩谷君の部屋で一緒に寝るから、あんたはソファで寝てなさい」
「何でそうなるんですか!?」
「何でって、彼女だし。彼氏の家に他の女がふたりきりで泊まるとか無理」
「だったらあなたが諦めればいいのでは?」
瑞穂のボルテージが加速度的に高まっている。
対する茉莉花は落ち着き払ったまま胸を張って、冷静に相対している。
お互いに言葉を交わし合ってはいるものの、茉莉花の有利は覆しようがない。
それに――
――立華……
先ほどからの口論において、茉莉花は勉に話を振ろうとしない。
そこにいかなる思惑があるかはハッキリしない。
ただ……勉と瑞穂の関係はこれからも続く。義理の兄と義理の妹としての関係が。
下手に揉めると後を引くし、何なら家族会議に発展しかねない。
狩谷家の将来を慮ってくれているのなら――つくづく自分にはもったいないほどの素晴らしい恋人だと思わざるを得ない。
「たとえ義妹だろうとアイドルだろうと、私は狩谷君を譲るつもりはないから」
臆するところのない惚気の言葉に感極まって、目頭が熱くなる。
眼鏡を外して手のひらで目蓋を覆い、天井を仰ぎ見た。
……だから、自分に向けられている胡乱げな二対の眼差しに気づくことはなかった。
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