第68話 図書室にて遭遇する その1
期末試験が目前に迫ってきたある日の放課後、
目的はもちろん彼女と約束した期末考査に向けた試験勉強である。
引越しのために奔走している茉莉花は、ここ最近学業を疎かになりがちだと電話で愚痴っていた。
学園のアイドルあるいはカリスマとしての立場を誇示する必要はなくなっていたが、だからと言って成績不振を放っておくつもりはないらしい。
『
本人の前ではあまり口にはしないが、勉は彼女のそう言うところを好ましく思っていた。
「
「そうだな。最近は立華に放置されっぱなしだったからな」
眼鏡のフレームを指で押し上げて軽くため息をつくと、たちまち隣から慌て気味の声が上がる。
「わ、悪いとは思ってるし。ちゃんと埋め合わせするから期待しておくように!」
「別にそこまで言ってないが」
「じゃあ何もしなくていい?」
「いや、埋め合わせとやらには期待しておく」
「はぁ、狩谷君のえっち」
わざとらしいため息をつかれるのは実に心外だった。
見た目は正統派のメインヒロインな彼女が、見た目どおりの人間でないことはすでに熟知している。
そんな彼女の『埋め合わせ』ともなれば、これに期待を寄せない男子などいるはずがない。
「図書室、空いてるかなぁ」
「混んでるだろ。何しろ試験前だ」
「ま〜そうなんだけど。言ってみただけだし」
試験直前で生徒たちが大挙することを考慮しても、あそこがこの学校で最も勉強に適した空間であることは間違いない。
中間考査の直前も、勉と茉莉花は図書室で一緒に勉強した。だから今回も図書室を利用することに不思議はない。
……不思議はないのだが、あの頃と今では状況が変わっている。具体的には、今のふたりは彼氏彼女の関係になっている。
つまり『ふたりで勉強する』のであれば、別に生徒たちの共有スペースである図書室にこだわる必要はなかった。
ただ──
『う〜ん、私の家、今はちょっとなぁ』
『散らかっているのか?』
『引越しの準備でごちゃごちゃ。あ、勘違いしないでね。普段は綺麗にしてるんだから』
『何も言ってないが』
『目が言ってた』
理不尽な物言いだが、内心ズバリな疑問を抱いていたかものだから、口に出して反論はしなかった。
なぜか余計に茉莉花の機嫌が悪くなった。本当に理不尽だと頭を抱えた。
『ね、狩谷君の部屋でやろっか?』
漆黒の瞳をキラキラさせた茉莉花の申し出は丁重にお断りした。
将来的にどうするかはともかく、今は裏アカ暴露騒ぎが尾を引いている。
ゴシップに興味津々な生徒だけでなく職員室も神経を尖らせている状況だ。
こんなタイミングで、わざわざ火に油を注ぐような真似をする必要を感じない。
不満げに頬を膨らませた茉莉花だったが、最終的には首を縦に振ってくれた。
言ってみただけで、元々そんな気は無かったのだろう。
エキセントリックな言動で頻繁に勉を惑わせてくれる彼女だが、基本的には理性的で知性的な少女である。
ちらりと様子を窺えば、茉莉花は上機嫌で鼻歌を歌っている。
雰囲気がコロコロ変わるあたり、まるで山の天気のようだと思った。
なお、勉はどちらかと言うとインドア派なので山登りなど行ったことはない。
──まぁ、いいか。
ご機嫌取りをするつもりはなかったが──茉莉花には笑顔がよく似合う。
それは確実に間違いないと思うから。
★
あいも変わらず試験直前の図書室はごった返していた。
普段の閑散とした様子を知っている勉からすると、落差があまりにも大きくて呆れてしまう。
ギリギリになって焦るくらいなら、毎日コツコツやっていればいいのに、と。
眼前の光景にはウンザリさせられるが、愚痴っていても始まらない。
隣でやはりウンザリした顔をしている茉莉花とふたりで、どこか空いている場所はないかと室内に目を走らせていると──
「こんにちは、狩谷君」
背中から声をかけられた。聞き慣れた声だった。
声のした方──カウンターに目を向けると、そこには女子がひとり。
肩にかかるあたりで切り揃えられたショートボブの黒髪。
細いフレームの眼鏡の奥の穏やかな眼差し。
「
思わず眉を寄せた。
勉の数少ない友人のひとりである『
図書委員である彼女にとっては定位置であるが……試験一週間前は部活動だけでなく委員会活動も停止されるはず。
穂奈美がいつもどおりここにいることは、明らかにおかしい。
「えっと……司書の先生が腰を悪くされているの」
穂奈美は言葉を選んでおり、口調はどことなく遠慮気味だった。
彼女は勉の友人であるから、他の生徒たちとは違って勉の思考傾向を知悉している。
勉強熱心で成績優秀な勉と教師の関係は良好だと勘違いされることが多いが、実際の勉は教師を無能と蔑んで毛嫌いしている。
このショートボブの図書委員は『狩谷 勉』と言う人間の尖った性状を熟知している校内でも数少ない生徒のひとりである。
同時に穂奈美自身は非常に温厚な気質であり教師との関係は悪くない。先程の口ぶりは勉と穂奈美の教師に対するスタンスのギャップによるものだった。
「それは、萩原がそこにいる理由になるのか?」
眼鏡の位置を直しながら口をついた疑問には、隠しきれない苛立ちが含まれていた。
司書が腰を痛めるのは本人の勝手だが、仕事を生徒に押し付けるのはおかしい。
無駄に雁首揃えている教師たちが穴埋めするべきではないのか。ましてや今は試験前なのだ。
曲がりなりにも進学校を標榜するのなら、学校側が生徒の勉強の邪魔をするなど言語道断。
「だ、大丈夫だから。勉強はここでもできるから、ほら」
剣呑な雰囲気を察したらしい穂奈美が、慌ただしく両手でガッツポーズを見せてくれる。
念のためにとカウンターを覗き込んでみると、現在進行形で使用中のノートや教科書が並べられていた。
試験勉強をしていたと言う彼女の言葉は、どうやら嘘ではないらしい。
「……なるほど、確かにそのようだ」
どことなく釈然としないものはあったが、本人が問題ないと言っている。
穂奈美には穂奈美なりに思惑があるのだろう。
否、思惑なんて大仰なものではなく、ただの親切心の発露かもしれない。
兎にも角にも彼女は図書委員であり、自分はたまに図書室を利用するだけの生徒にすぎない。
部外者が迂闊に状況を引っ掻き回すべきではないことぐらいは心得ている。
いくら対人関係が苦手と言っても、その程度の考えが及ばないほどの朴念仁ではないつもりだった。
胸に湧き上がった理不尽に対する怒りは、きっと見当違いのもののはずだ。
故に──大きく息を吐き出して、感情を落ち着かせようとして──
瞬間、背筋が震えた。
勉には霊感の類はない。
最近読んでいる漫画に登場する武道家とか勇者とか、その手の人種でもない。
それでも、確かに気配を感じた。
それも、只事ならぬ気配。
嫌な予感がした。
「ねぇ狩屋君、その子、誰?」
背中から聞こえた声は、とても穏やかで優しげだった。
振り向いたら茉莉花がいた。一緒にここまできたのだから、当たり前だ。
今や勉の彼女である茉莉花は、整いすぎた顔立ちに完璧な笑みを浮かべている。
だが──よくよく見てみると、にこやかに見える口元がどことなく引き攣っていた。
勉の口が凍りついたように動かなくなった。こめかみから、一筋の汗が流れ落ちた。
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