第65話 理不尽なランチタイム その1
「
すぐ傍に仁王立ちしている
刺々しいというレベルを超えて恨みがましさすら内包されているように聞こえた。要するにすこぶる機嫌が悪い。
整いすぎた顔に浮かんでいるのは、以前の彼女すなわち学園のアイドル『
教室には
「どうした立華、怒っているのか?」
右手の箸で唐揚げをつまみながら、勉は尋ねた。
別にとぼけているわけではない。怒っていることは見て取れるが、怒っている理由に見当がつかないのだ。
もともと人の心の機微に疎い自覚があったし、考えてもサッパリわからなかった。
だからといって知らぬ存ぜぬで怒れる茉莉花を放置するわけにもいかない。
穂奈美たちに勧められた漫画であれやこれやを勉強してはいるものの、現段階ではせいぜい付け焼き刃がいいところ。
到底実践に耐えうるものではない。
机を挟んだ正面には、数少ない友人のひとりである『
端正な顔立ちが引き攣っているように見受けられた。何やら思い当たるところがあるらしい。
しかし、この状況で茉莉花をスルーして史郎に聞くのはマズイと本能が警鐘を鳴らしていた。
──ふむ。
口を閉ざしたまま冷たい視線で見下ろしてくる茉莉花と向き合いながら、顎を撫でつつ状況を再確認。
時刻はちょうど昼休み。場所は学校で勉たちの教室。何の代わり映えもない一日だった。つい今しがたまでは。
勉と史郎の間には、弁当箱やらコンビニのパンがぶちまけられている。ふたりはちょうど食事中だったのだ。
他の生徒もだいたい似たり寄ったりで、思い思いに食事をとったり会話に花を咲かせたりしている。
「ねえ狩谷君、これ、何かわかる?」
わざとらしいまでの猫撫で声と共に、茉莉花は左右の手を勉の前に突き出した。
どちらの手にも大きめな布製の巾着がぶら下がっている。水色とピンク色。
中には直方体らしき物体が収められていることは明白で、それはきっと弁当箱に違いなかった。
「弁当箱だな」
「正解。じゃあ、なんでふたつあるかわかる?」
リップが艶めく口元をひくつかせながら、さらに問いを重ねてきた。
勉は背筋を伸ばし、茉莉花と向かい合う。
茉莉花。
『立華 茉莉花』
学園の元アイドルにして、今は勉の彼女。
腰まで届くストレートの黒髪、漆黒の瞳をいただく圧倒的な美貌。
大きく盛り上がった胸元から、キュッとくびれた腰を経て、丸みを帯びた尻から脚への曲線。
お尻の位置は高く、ギリギリまで切り詰めたスカートからは白くて長い脚が伸びている。
総じて完璧なスタイルと言って差し支えない。男の妄想と情欲を煽ること請け合いであった。
今日も今日とて茉莉花は最高にかわいい。こんな美少女と自分が付き合っているという現実に感動すら覚える。
「健啖だな」
しかして勉の口から出たのは、まったくもって色気のないセリフであった。
たちまち茉莉花の眉が釣り上がる。
「私がふたつとも食べるわけないでしょ!」
声を荒げた茉莉花は机の上に弁当箱を置き、自分の胸に手を当てる。
「私、彼女」
そのまま勉を指さした。
「狩谷君、彼氏!」
沈黙が降りた。『もう一度答えろ』という無言のメッセージを受信した。
勉は慌ただしく思考を巡らせる。
ここで回答を間違えると、えらいことになりそうだと直感した。
学校、昼休み、ふたつの弁当箱。勉と茉莉花の関係。彼氏彼女。
すなわち──
「要するに……俺のために作ってきてくれたのか?」
「そのとおり! なのに狩谷君ときたら……」
歯噛みして唸りながら、茉莉花は勉の弁当箱に眼差しを向けた。
「なんで彼女にお弁当作ってきてもらうってラブラブイベントを自分で潰しちゃうの!?」
絶叫が教室の喧騒を切り裂いた。
クラスメートの視線が集中する。
あまりの剣幕に呑まれながらも、勉は口を開いた。
「なんでって……立華、お前何も言わなかったじゃないか?」
「言ったらサプライズにならないじゃん!」
「理不尽すぎる」
「勉さんや、ここは『ごめんなさい』一択だぜ」
埒が開かぬと見てとった史郎が口を挟んできた。
その口元が微妙に緩んでいるところが、実に説得力を欠いていた。
「別に悪いことはしてないんだが?」
「いい悪いの問題じゃないんだなぁ。こーゆーのは」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
「そうか……」
天井を仰いで、ため息ひとつ。
眼鏡はずり落ちていないが、そっとフレームを指で押し上げる。
似たようなシーンが漫画で描かれていたことを、今更ながら思い出したのだ。
彼氏のために彼女が弁当を作ってくるというシチュエーションは、漫画の中だけのものではなかった。
一見すれば非現実な(あるいは、これまで縁がなかった)あの手のイベントは、現実に起こりうるものだった。
ならば──
「すまなかった、立華。せっかく作ってきてくれたのだから、ありがたくいただこう」
「え? 狩谷君、もうお弁当食べてるじゃない」
「問題ない。ふたつぐらい食べられる」
手を差し出すと、戸惑いながらも弁当箱が入った巾着を渡してくれた。
茉莉花は空いた手で近くの椅子を勉たちの机に寄せて、ごく自然に腰を下ろす。
一緒に食べる心算らしい。
「あ、オレ外そうか?」
「別にいいよ。気にしないで」
「立華さんも勉さんも、ふたりっきりの方が良くない?」
「だって、どこに行ってもおんなじだし」
茉莉花は軽く頬を膨らませた。
学園のアイドルと学年主席。
いずれも人目を引く存在である。
そしてここは教室だ。教室を出ても学校からは出られない。
史郎がいようがいまいが他の生徒の目があるから、状況はあまり変わらない。
「はぁ。まぁ立華さんがいいならオレは別にいいけど……」
目配せしてくる史郎に頷きかえす。
「俺が拒否する理由はない」
「そうか? なんかオレ、馬に蹴られて死ぬポジションじゃね?」
などと言いながらも、史郎は浮かせかけた腰を再び椅子に下ろした。
──ふむ……
先程の史郎と茉莉花のやりとりは実にスムーズだった。
『参考になるな』と思いながらも、心の奥底にモヤモヤした感情が渦巻く。
なぜ自分はあんな風にできないのだろう、と。
──何を考えているんだ、俺は。
「それより狩谷君、本当にふたつ食べられる? 無理してない?」
「問題ない」
くだらないネガ感情を振り切るように、力強く断言する。
語気の荒ぶりを自覚してしまい、慌てて咳払いで誤魔化した。
「そ、そう? う〜ん、でも……」
「まだ何かあるのか?」
「……あんまりぶくぶく太られると嫌かも」
渋々といった態で返ってきたのは、予想外の答えだった。
太っているとかいないとか、考えたこともなかった。
贅肉を持て余す自分の姿が一瞬脳裏をよぎった。
頭を振って不吉な妄想をかき消す。
「気にしすぎだ。たった一回くらい多めに食べただけで、そんなに太ったりするか」
「その油断の積み重ねが後悔を招くんだよ、狩谷君」
茉莉花の声は決して大きくはなかったけれど、反論を許さない迫力があった。
勉たちの動向を窺っていた教室のそこかしこから、うめき声やら箸が落ちる音が聞こえてくる。
「俺は……大丈夫だ」
口から出た言葉とは裏腹に、手が勝手に腹を撫でてしまう。
『久しく体重計に乗ってなかったな』などと、ちょっと自分に自信が持てなくなる勉だった。
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