第63話 恋愛を勉強する方法 その4


 恋愛やら人の心やら、世の中にはチンプンカンプンなことが多すぎる。

 ただ理解できないだけではない。これらをいかにして学ぶか、つとむにはその方法がわからない。

 男女を問わず自分以外の同年代は、程度の差こそあれどそれなりに上手くやっているようなのに。

 恥を忍んで知己である穂奈美ほなみ(とその他1名)に教えを乞うてみたところ、


「だいたい空気読んでればわかりますよ」


「そうですね……小説も悪くはありませんが、ドラマとか……あとは漫画でしょうか」


 ふたりの反応は割と正反対だった。

『答えは……人それぞれ!』的に言われると『それはそうだろうな』と納得できても、非常に困る。

 ともあれ、なんの参考にもならなさそうなしずくはともかく、穂奈美の答えは一聴に値するものだった。


「漫画? 漫画で勉強するのか?」


 勉は眉を顰めて首を傾げた。穂奈美の答えは──穂奈美の口から出たがゆえに予想外のものだったから。

 小説はわかる。人の心の繊細な動きを追いかける物語は国境や時代を超えて世界中に広まっている。

 ドラマもまぁ、わからなくはない。勉は見ないが教室で話題になっているのを耳にすることはある。

 しかし、漫画となると素直に頷けない。そんなに高尚なものだったというイメージがない。


「む、先輩は漫画に偏見持つタイプですか?」


「漫画……特に少女漫画は男女に限らず人間関係や恋愛を扱うものが多いですし、全く触れない女子というのはあまりいないですし、参考になると思いますよ」


「そうなのか?」


 雫だけが主張するならジョークの類と解釈してスルーしただろうが、穂奈美まで口を揃えるとなると話は変わる。信憑性が増してきた。

『男女に限らず』のくだりが若干気になったが、今は置いておく。


「はい。それに、苦手意識があるものをひたすら文字で追いかける小説よりも、絵がついている漫画の方がわかりやすいかもしれませんね」


 不得手なジャンルを文章だけで理解しようとするのは難しい。

 別に恋愛云々に限った話ではない。普通の勉強にも当てはまる話だ。

 穂奈美が漫画を勧めてくる理由は、学業一直線だった勉をして十分に納得できる論理である。


「漫画、漫画か。それも少女漫画……」


「男子には手を出しにくいかもしれませんね」


 苦笑する穂奈美に頷き返す。正しくそのとおり。

 少女漫画のコーナーに足を運んでいる自分が想像できない。

 女子だらけのキラキラした空間にひとり佇む場違い感が半端ないと本能が囁いている。


「内容はともかくとして、そもそも漫画の類はここにはなかったはずだが?」


 この学校の図書館の蔵書は相当なものだが、あいにく漫画は置かれていない。

 少年少女の学び舎たる学校の施設だから当然だと思う。

 おかげで今の勉にとっては非常に都合が悪いわけだが。

 まさか自分のためだけに漫画を入れてくれとも言えない。


「ここで読むつもりだったんですか?」


「ああ。家に持ち帰るつもりはない」


 なんの気無しに返した言葉だったのだが、ふたり揃ってやたらと驚いている。

 図書室とは本を読む施設なのだから、別におかしなことはないと思う。

 ……何か間違っていただろうか?


「えっと……ここで本を借りて帰るという話ではなかったんですか?」


「先輩、お金ないんですか?」


 穂奈美の反応は順当ではあったが、雫の言葉には遠慮や配慮の気配がない。

 それでいて嫌味を感じないのは、ある種の才能だろう。

 勉は首を横に振った。どっちも否だ。


「金の問題じゃない。借りるにしても買うにしても家に置いておくことになるだろう。もし立華たちばなに見られたら……」


狩谷かりや君、これなぁに?』と尋ねてくる茉莉花まつりかの顔がありありと想像できてしまってゾッとした。


「え? 狩谷君、立華さんをお家に招いたりするんですか?」


「おうちデートってやつですか。進んでますね」


 穂奈美は驚きに目を丸くし、雫は笑みを深めた。

 

──家に泊めたとか、もっとアレなことがあったとか言えんぞ……


 ふたりの反応を見るに、やはりあの大雨の夜のアレは行きすぎだったらしい。

 同時に茉莉花の言葉の正しさを思い知らされた。

 自分たちの交際については自分たちが考えるべきだとは思う。

 でも、『自分たち』という括りに固執しすぎると、色々と危なっかしいとも思ってしまう。

 やはり高校生という身の丈にあった健全な男女交際のあり方について学ぶことは急務。間違いない。

 一線を踏み越えるにしても越えないにしても、基準そのものがわからないのではお話にもならない。

 勉はふたりで幸せになりたいのだ。それも、できれば永遠に。まかり間違っても不幸になりたいわけではない。

 そして──それはそれとして、裏でこそこそ勉強しているだなんて茉莉花にはバレたくない。

 お互いに腹を割って話し合えばいいとは思うのだが、バレたくないのだ。

 バカバカしい見栄だとわかっていても、譲れないものがある。


「そうですね……立華さんに見られたくないとなると、電子書籍はどうでしょう?」


「電子書籍?」


 穂奈美がポケットからスマホを取り出して、勉に向けてくる。

 起動していないディスプレイは無機質な闇を湛えている。


「はい。スマートフォンで見ることができますし、場所もとりません。ロックが掛かりますので他の人の目に触れることもないのではないかと」


「……なるほど、それはいいな」


 勉もポケットからスマホを取り出して、しげしげと見つめてみる。

 電子書籍。知識としては知っていたが、これまで全く利用してこなかった機能だ。

 言われてみると、今の自分のわがままなニーズにぴったり合致しているように思えてきた。

 

「それで、具体的にはどんな漫画がいいんだ?」


「すぐにはタイトルが浮かびませんが……もしよかったらリストを用意しましょうか?」


「あ、私も手伝います。リストちょー作ります」


 穂奈美の申し出はありがたかったが、雫の申し出はありがた迷惑だった。

 この後輩、決して悪人の類ではなさそうなのだが、どうにも一筋縄ではいかないタイプと見た。嫌な予感しかしない。

 一方で『サンプルが偏りすぎないように、複数の経路から資料を集めた方がいいのではないか?』と訴えてくる自分がいる。

 悩む。物凄く悩む。雫の笑顔がニヤニヤすぎて胡散臭い。おかげで素直に頭を下げづらい。

 

──まぁ、ダメそうならこちらで選別すればいいか。


 少女漫画に限定するまでもなく、勉は漫画をほとんど読まない。

 質の良し悪しを語る以前の問題だった。自分で探すだの選ぶだの無理くさい。

 とりあえずリストアップしてもらって、手当たり次第に目を通す。判断はそれからだ。

 幸いと言うべきか、高校入学以来アルバイトを続けているおかげで軍資金はある。


「そうだな。すまんがよろしく頼む」


 迷ったのはほんの一瞬。すぐさま腹を括った。

 レンズ越しでも目つきが鋭すぎる先輩に頭を下げられた後輩が、ギョッとした表情を浮かべている。

 つくづく失礼な奴だとため息のひとつもつきたくなったが、あえて指摘はしなかった。


「あ、先輩ID交換いいですか?」


「お前とか?」


 表情を戻した雫の唐突な提案に勉の喉が渋い声で震えた。

 出会って間もない一年生に連絡先を要求されて面食らう。

 しかも女子ともなれば、これはもうほとんど別世界の住人だ。

 怯んだ勉を見て、小生意気な一年女子は諭すように続けた。

 

「だって、紙に書いて持ってこいとか言われても困りますよ」


「それは……確かに」


 どれほどの数がピックアップされるのかは不明だが、勉は無理を言って頼んでいる身だ。

 相手の余計な手間を省く協力を惜しむべきではない。それぐらいの気遣いはできる。


「だいたい物的証拠を残すとか、立華先輩に見つかるフラグじゃないですか?」


「よし。スマホを出せ」


 ショートヘアの後輩の言葉には有無を言わせない圧倒的な説得力があった。

 茉莉花にバレないようにするために物理的な本ではなく電子書籍を……という話なのだ。

 せっかくだから情報そのものもデータ化しておいた方が安心できる。

 自分はこの少女を侮っていたと気付かされた。人は見た目や雰囲気によらない。


「先輩って、そーゆーキャラだったんですか」


「キャラ云々なんぞ知らんが、俺はこういう人間だ」


「なるほど、了解です」


 雫は奇妙な表情で納得していた。


「あ、狩谷君……その、だったら、私も……」


「ああ。気が回らなくてすまんな」


「い、いえ……」


 おずおずと切り出してきた穂奈美に頷き返すと、こちらは露骨に安堵の表情を浮かべた。

 SNSのIDを交換すると、レンズの奥で穂奈美の瞳が淡く揺れた。

 

「おっと。すまん、そろそろアルバイトの時間だ」


 スマホを弄っているうちに時計が目に入ってきた。タイムリミットだ。

 一方的に仕事を依頼してすぐに立ち去るだなんて、不躾な上に何とも慌ただしい。

 

「お仕事頑張ってくださいね」


「タダ働きの私たちになんか奢ってくださいよ、先輩」


 控えめな穂奈美と厚かましい雫の態度が対照的すぎて笑えてきた。

 にも関わらず、ふたりの間に壁は感じない。きっと仲が良いのだろう。


「わかったわかった。リスト、期待しているからな」


 敬意のかけらも見当たらない雫と、いつも穏やかな穂奈美に見送られて図書室を後にする。

『人に物を頼むのは苦手だったが、案外悪くないな』と満足して昇降口に向かって歩みを進めた。

 背後が何やら騒がしかったが、遠ざかる勉の耳が意味のある単語を拾うことはなかった。

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