後日譚
第57話 屋上で待つ彼女
放課後の校舎を鐘の音が鳴り響く中、屋上に続く階段をひとりの男子生徒が登っていた。
身長は170センチほど。学校指定の制服を纏ったシルエットは、概ね中肉中背と言って差し支えない。
不潔感を感じない程度に髪は短めにされているが、カットしてから時間が経っているのか、黒い髪が伸びてきている
足の運びや身のこなしに特筆すべきものはなく、運動の類に親しんでいるようには見受けられない。
だらしない体をしているわけでもないが、引き締まっているわけでもないし、マッチョ系でもない。
総じて第一印象は──普通。どこにでもいる男子のひとりといったところだ。
ただ……眼鏡のレンズ越しに覗く鋭い目つきだけが特徴的で、人によっては『厳しい』あるいは『鋭い』といった感想を持つかもしれない。
アウトドアよりインドア寄り、やや近寄り難い印象を受けるその生徒の名は『
見た目のイメージを裏切らず学業成績は優秀。入学以来ずっと学年主席として、校内ではそこそこ知られた男子である。
ちなみに全国模試の上位常連でもあり、学業で身を立てようとする日本中の同年代には意外と広く名を知らしめている。
「まったく、
ハンカチで汗を拭いつつ、ぶつぶつと文句を言いつつ。軽く息も切らせつつ。
しかして、手のひらで押さえられた勉の口元はニヨニヨと緩んでいた。
歩みはふわふわと浮き足立っており、側から見れば不気味としか言いようがない。
ぶちぶちブー垂れてはいるものの、実際のところ特に機嫌が悪いというわけでもない。
それもそのはず、屋上に勉を呼び出したのは他ならぬ彼の恋人だった。
生まれてこの方『年齢=彼女いない歴』だった勉に初めてできた恋人。
しかも、付き合い始めてからまだ一週間も経っていない。
そんな最愛の少女とこれから会うのだから、上機嫌にもなろうと言うものだ。
「立華、いるか?」
乱暴にドアを開け放って屋上に足を踏み入れる。
通路から急にひらけた空に景色が変わる。
視界の明度が激変して眩暈がした。足を踏ん張って耐える。
──クッ……
締め付けられるような感覚と視界の明滅に、ふらりと揺れた頭を軽く押さえた。
6月も終わりが近い。太陽は西の空に傾いてはいたものの、未だしつこく存在を誇示してくる。
梅雨明けは何時になるやら定かならず、夏の気配は遠い。学生にとっては憂鬱な時期であった。
胸に溜まっていた息を大きく吐き出した。気を取り直して前を向くと──視線の先には人影がひとつ。
人影の身長は勉よりも少し低め。160センチを超えたあたり。
丁寧に梳られた艶やかな黒髪は腰まで届くストレート。大粒の漆黒の瞳をはじめとする顔立ちは整いすぎていると評しても過言ではない。
顔だけでなく身体の方も年頃の少女としては傑出していて、制服を内側から大きく押し上げてくる胸元からキュッとくびれた腰を経て脚へ流れる曲線は見事のひと言。
お尻の位置は身長に比して高く、校則違反のミニスカートから伸びる白い脚は細くて長く、それでいて程よく肉がついていて決して不健康な印象を与えることはない。
総じて思春期の男子が抱く理想あるいは妄想を体現したかのごとき圧倒的なまでの美少女である。
これらの評価は決して彼氏である勉の身贔屓というわけではなく、彼女は昨年度この学校で催された文化祭のミスコンで並み居る上級生を押しのけて優勝を掻っ攫っている。
完璧すぎる美貌と実績を合わせ持つこの少女の名を『
「遅かったね、狩谷君」
透きとおるようなハイトーンの声だった。
耳に心地よく響くその声には、ごくわずかに非難の色が混じっている。
わざわざ『遅い』とつけるあたり、待たされたことに不満を覚えているようだった。
無理もない。晴れているとはいえ今は6月。兎にも角にも蒸し暑く、朝から晩まで不快指数が半端ない。
『どうせ呼び出すなら、もっと涼しいところにすればいいのに』とは思ったものの、口から出たのは謝罪の言葉だった。
「すまんな。教室の掃除当番だった」
「そんなのサボればいいのに」
可愛らしい顔をして、ひどいことを言う。
見た目と中身に少々隔たりがある少女だ。
「そういうわけにはいかないだろう?」
「授業は結構すっぽかす癖に、真面目だ」
くすくすと茉莉花は笑みを零した。対する勉は後頭部をボリボリと気まずそうに掻いた。
彼女の言葉に嘘はない。勉は成績優秀な生徒ではあるが、決して優等生ではない。
某有名国立大学を志望しているだけあって受験に関わる授業にはしっかり出席するが、教師の話は聞かずに内職ばかりしている。
受験に関係ない授業は『時間の無駄』と豪語し頻繁にサボっている。
なまじ成績優秀なため教師も迂闊に口を出すことができない点を含め、歴とした問題児である。
「掃除は必要だろう。不衛生な教室で過ごすなんてごめんだ」
「はいはい。遅れてきたこと、別に怒ってないから」
今の茉莉花は言動不一致の生きた見本であった。
呆れはしても、指摘はしない。
そんなことをしても、どちらにとっても何の益もない。
「というか、用事があるんだったらスマホで十分だろ」
勉はポケットの中からスマートフォンを取り出した。
手のひらに収まる携帯端末は現代科学技術文明の結晶であり、日常生活においては必須アイテムと言ってもいい。
小さなディスプレイからは、バニーガールの姿をした少女が羞恥に染まった表情を向けてきている。
誰あろう、茉莉花である。つい先日手に入れたお宝画像であった。
「うーん、ふたりっきりで向かい合って話したかったんだよね」
「そうなのか?」
「そうなのです」
にっこり微笑む茉莉花の顔を見ていると、そこはかとない不安が足元から這い上がってくる。
口ぶりから察するに、かなり真面目な話の模様。『遊びに行こう』とか、そう言う話ではなさそうだ。
彼女もまた聡い人間だ。どうでもいいようなことならスマホで済まそうとするはずだった。
『立華 茉莉花』と言う少女には、突発的にエキセントリックな言動を繰り出す習性があった。
知り合ってまだそれほど時間は経っていないものの、そんな彼女の性質は身をもって思い知らされている。
おそらく今回はそっち系の展開であろうことが容易に想像できてしまった。
「ねえ、狩谷君」
緩やかな風に靡く黒髪を白い手で押さえた茉莉花が、神妙な口ぶりで語りかけてくる。
甘やかで柔らかい、どこか蠱惑的な響きが耳朶を打った。
──来たぞ!
「どうした、立華」
平静を装おうとしたものの、勉の声は少し震えていた。
思わず身構えてしまうほどに茉莉花の雰囲気が真に迫っていたから。
眼鏡越しに警戒混じりの眼差しを向けても、彼女は怯む様子を見せない。
一拍の間を置いて、茉莉花が桃色に艶めく唇を開いた。
「言うべきかどうか、ここ最近ずっと悩んでたんだけど……狩谷君、あのね……私たち、付き合いを考え直した方がいいと思うの」
★
学年主席にして全国模試上位常連の頭脳派『狩谷 勉』
ミスコン覇者にして学園のアイドル『立華 茉莉花』
高校2年生の5月半ばまでは同じクラスに籍を置いているだけの関係に過ぎなかったふたりは、紆余曲折あって今や彼氏彼女の関係である。
すべては勉が昨年来推していたエロ自撮り投稿系裏垢主『RIKA』と『立華 茉莉花』が同一人物であると気づいたところから始まった。
生徒指導教諭とやり合ったり、ノートを貸したり。テスト勉強を一緒にしたりカラオケに行ったり。そして雨に濡れた茉莉花を家に泊めたり。
ほんのひと月ほどの間に色々あった。最終的には茉莉花の裏垢発覚騒動を経て、勉は茉莉花に告白し、茉莉花もまた勉に好意を告げた。初々しいカップルの誕生である。
インターネットを通じて全世界にエロ自撮りどころか顔や名前まで暴露されてしまった茉莉花を取り巻く環境は厳しい状況であるものの、ふたりの関係は上々……そう思われていた矢先のことであった。
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