第30話 素直に頷けない茉莉花の提案


「うわぁ」


 ようやく駅にたどり着いたところで、茉莉花まつりかがうめき声をあげた。

 美少女が出してはいけない類の声だったが、咎めようとは思わなかった。

 つとむも彼女と同じ気持ちで、頭を抱えたくなったから。

 文字どおりの意味で駅から人が溢れていた。

 傘が役に立たない大雨の元、ずぶ濡れの人間がそこかしこに立ち尽くしている。

 控えめに言って酷い光景だった。


狩谷かりや君、これ見て」


 茉莉花が差し出してきたのは、スマートフォン。

 そこには電車の運転状況が示されていた。

 徒歩通学の勉には、あまり縁のないページだ。


「……間に合わなかったか」


 ホームページには赤字で『運休』と表示されている。再開予定時刻は――未定。

 気象庁のサイトで見た今後の天気の荒れ具合を鑑みるに、本日中の運転再開は無理そうであった。

 駅の中から外まで怒号と罵声が混ざり合う。駅員に詰め寄る者の姿もあった。


「みんな悲鳴上げてるね」


 ツイッターで検索すると、茉莉花と同じように足止めを食らった者たちのコメントがずらりと並んでいる。

 梅雨前線は日本列島を縦断していた。だから日本中で似たり寄ったりの光景が見られるわけだ。想像するだけでウンザリさせられる。

 文句を言ったところでどうにもならないと思うのだが、それでも愚痴のひとつでも吐き出さずにはいられないのだろう。気持ちはわかる。


「電車が無理となると……家の人に迎えに来てもらえばどうだ?」


 勉の口から出た提案は、至極真っ当なものだ。おかしなところはないはず……だった。

 現に学校に残っていた生徒たちは、家族を待っていたではないか。

 なぜ最初にそれを茉莉花に尋ねなかったのか、自分でも不思議に思ってしまうくらいだった。

 彼女の『お願い』のインパクトが強すぎて、頭がまともに回転していなかった……ということにしておく。

 ため息のひとつもつきたくなるが、今さら言ってももう遅い。

 しかし、勉の意に反して茉莉花のリアクションは芳しくはなかった。


「無理。来てくれるわけないって」


「そうなのか?」


「うん。ふたりとも忙しいしね」


 茉莉花の口ぶりは両親を非難するものではない。

 かといって擁護する気配もない。

 あえて言うならば――諦念に似た響きに聞こえた。


「だったら……タクシーを使うか」


 あたりを見回せば、駅の周辺にはタクシーが集まっていた。

『他人の不幸は蜜の味』とまでは言わないものの、運転手たちにとっては稼ぎ時。

 電車が動かないと知った客が、我も我もと先を争うように乗り込んでいる。


「そんなお金持ってきてないよ」


立華たちばなの家の場所は知らないが、ここから遠いのか?」


 茉莉花はこくんと頷いた。前髪から垂れた雫が胸元に落ちた。

 勉は水滴を目で追いながら、無意識のうちに財布をしまったポケットを抑えた。

 自分が金を貸せばどうにかなるのではないかと思ったが、残念なことに持ち合わせがなかった。

 勉だって学校にそんな大金を持って行ったりはしない。使い道がないし、何かあったら物騒だ。


「電車も親もタクシーもダメとなると……どうする?」


「どうしよう?」


 首をかしげられて、返答に窮する。

 生まれてこの方、あまり遭遇したことがない状況だったから。

 脳内に適切な対応手段のストックが存在しない。


「誰か友人を頼るのは?」


 適当に思いついたことを口にしてみたところ、学園のアイドルは静かに首を横に振った。

 水分を含んだ髪は宙を舞うことなく、重く纏わりついている。


「そんな友だちいないし」


「立華の交友関係は広いだろう」


「学校でどうでもいいこと話す程度の相手には事欠かないけど、お金のやり取りが絡むと、ねぇ」


「うむ……」


 友人は多いが、頼りになる友人はいない。意外な言葉だった。

 この状況で嘘をついているとは思えないが、教室での茉莉花を見知っているだけに、ことさら寂しく聞こえてしまう。

 まぁ、それはそれとして……金銭のトラブルで友情が破たんするという話はしばしば耳にするので、遠慮したくなる気持ちそのものは理解できる。


「なら一晩泊めてもらうのはどうだ?」


「だから、そんな友だちいないって言ってるし」


「そうなのか?」


「そうなのです」


 茉莉花は眉を顰めつつ頬を膨らませた。このあたりに関しては、勉もあまり大きなことは言えない。

 どこかに出かけて帰れなくなったと仮定して、『史郎しろうの家に泊めてもらえば?』なんて提案されても、やはり首を横に振るだろう。

 大雑把に友人という呼称を使うにしても、勉と史郎はそこまで深い関係というわけではない。茉莉花と他のクラスメートも同じということだ。


「……えっと、狩谷君」


「なんだ?」


 形式的に尋ねてはみたものの、次にくる言葉は何となく予想できていた。

 家に帰る手段がなく、泊めてもらう友人もいない。ならば……高校生の身分に過ぎない勉や茉莉花に残された手段は少ない。

 ただ、それはあくまで予想に過ぎなくて、あまり現実的なアイデアではないという思いが強かった。現実逃避とも言う。


「泊・め・て! お願い!」


 ものすごくいい笑顔だった。正に水も滴るいい女。

 あまりのパワーに首を縦に振りそうになったが、ギリギリで耐えた。

 歯を食いしばらなければ、そのまま持って行かれそうな勢いがある。


「泊めてもらう友人はいないという話じゃなかったか?」


「ただし狩谷君を除く」


 とても魅力的な言葉だった。

 数多いる友人の中で、勉だけが特別扱い。

 リップサービスとわかっていても、優越感をくすぐられる。

 それを口にしているのが茉莉花のようなスペシャルな女子ともなれば、なおさらだ。

 圧倒的な威力の精神攻撃に――勉は耐えた。理性がキリキリと悲鳴を上げている。


「……一応言っておくが、俺は男で立華は女だ。わかるな?」


「えっと……期待してる?」


「心配してるんだが!?」


「で、でも、こんな大雨の中で私を放り出すような人じゃないよね、狩谷君は?」


 上目遣いで痛いところを突いてくる。

 彼女の言葉は間違ってはいない。そういう善き人間でありたいとは思っている。

 少なくとも、茉莉花に対しては。他の連中のことなど知ったことではない。

 だからこそ、彼女を家に招き入れて一夜を共にするという提案には、素直に頷けないのだ。


「学校に戻るか」


 宿直室でも借りて一晩明かすというのはどうだろう。

 少なくとも年頃の男子の家に泊まるよりは真っ当な気がする。


「冗談でもそんなこと言わないで」


 食い気味に反応してきた茉莉花の顔がシリアスすぎて、言葉に詰まらされる。

 せっかくの週末に学校で一泊なんて絶対に御免だという断固とした意志を感じる。


「じゃあ、この辺のネカフェで」


「そっちの方が危なくない?」


 自分で口にしておきながら、まったくもって同感だった。

 ずぶ濡れJKが漫喫でひとり夜を明かすだなんて。

 それはもう、何か起こってもおかしくない。

 勉のスケベ脳が全力で警鐘を鳴らしている。


「いや、でも……なぁ、それはなくないか?」


「狩谷君なら大丈夫だって! 私、信じてるから!」


「正直自信がないんだが」


 心の底からの本音だった。

 思春期男子の下半身ムーブなんて、茉莉花もわかっているはずだ。

 なんせ勉は彼女のエロ裏垢のフォロワーなのだ。

 具体的にどのアカウントかまでは明かしていないものの、茉莉花にはそのことも伝えている。

 そんな勉が茉莉花を家に招いてふたりきりになって……理性が持つとは思えなかった。


「まぁ、何かあったら……その時はその時、みたいな?」


「勘弁してくれ……」


 笑顔を躱すために額を抑え、天を仰ぐ。

 重くて分厚い黒雲に切れ目はなく、後から後から雨が降ってくる。

 周りを見回せば、途方に暮れた人の波。帰宅ラッシュの時間帯で、数は増える一方だった。

 誰も彼もが疲れ切っているようで、目からハイライトが消えている。


――こんなところに放って置けるか。


 茉莉花は友人だ。困っている友人を助けたいと考えるのは自然なことだ。

 大きく大きくため息をつく。眼鏡を外して目蓋を閉じて、指で軽く押さえた。

 再び目を開けると、茉莉花と視線が重なり合う。勉はゆっくりと口を開いた。


「……本当にいいんだな?」


「うん。何があっても、私は絶対に狩谷君に文句を言いません。誓います」


 ここまで堂々と宣言されると、さすがに断れない。

 茉莉花の言葉を鵜呑みにするわけではないが……彼女が自分に寄せてくれる信頼を裏切りたくはなかった。

 長時間雨に降られた身体がブルリと震えた。グズグズしている余裕はなさそうだった。

 心が決まれば後は行動あるのみ。

 いつまでもこんな雨天の駅前で突っ立っていても、何も良いことはない。


「わかった。来た道を戻るぞ」


「ありがとう、狩谷君……あ」


「あ? どうかしたか?」


「途中でコンビニ寄っていい?」


「あ、ああ」


 茉莉花の唇から零れた言葉はありふれたものだった。

 どこもおかしなところはない……はずなのに、やけに耳に残った。

 輝くばかりの笑顔が胡散臭く見えてくる。不穏な雰囲気は、嵐の前の空に似ていた。

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