第14話 ガリ勉ノート その1
『ノートを貸してほしい』
少し意外な気がした。
ぶっちぎりの学年主席であり、全国模試上位常連である
勉のあだ名を取った通称『ガリ勉ノート』は多くの生徒に取引されている。
利用者から『そんじょそこらの参考書や教師の授業なんて相手にならない』といった声を聴くこともある。
オリジナルのノート製作者としては、好評を博しているようで何よりであった。
ただ――
「ノート?
『立華 茉莉花』は完璧な少女。これはもはや校内において常識と言っても差支えない。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群。ほかにもあれやこれやと誉め言葉には事欠かない。
あまり他のクラスメートに興味を惹かれなかった勉の耳にすら入ってくる程度には、有名な話だ。
……全部また聞きなので、実際のところ彼女の成績がどれぐらいレベルなのかは知らなかったが。
「今まではね」
いちごミルクで喉を潤した茉莉花は皮肉げに笑った。
ストローを抜いた唇をチロリと舐める舌が艶めかしい。
『今までは』ということは、今は勉強が捗っていないということだろうか。
「
「……そうか?」
勉はストローを咥えたまま首をかしげた。
言葉の意図するところは理解できるが、どうにもピンとこなかった。
学校の授業なんて、今も昔も大して変わらない。そもそもまともに聞いていない。
「真顔でそう返されると困るんだけど」
「理不尽すぎる」
「いやいや、みんな同じこと思ってるからね」
学園のアイドルとして多数の知己を抱える少女は、確信ありげに胸を張った。
曰く他のクラスメートたちは授業の難易度に辟易しているとのこと。
交友関係が壊滅的な勉としては、真偽の確かめようがない。
レンズ越しに胸元を凝視していた視線を上げて顔を見やる。
茉莉花の瞳に嘘を言っている色は見受けられなかった。
『曲がりなりにも進学校の生徒なのに、誰も勉強しないのか?』という本音は喉元で抑えた。
「立華がそう言うのなら別に反論はしない。それで、俺のノートだったか?」
「そう」
「ノートなら
『ガリ勉ノート』は教室の枠を超えて学年全体に広まっている。
しかし、勉は直接彼らにノートを手渡しているわけではない。
ひとりひとりに貸したり返してもらったり、コピーさせてやったりなんて煩わしい。
ノートを貸すのは、唯一の友人である
彼こそが『ガリ勉ノート』の胴元にして窓口担当なのだ。
男女を問わず顔が広い史郎の名を出すと、途端に茉莉花の顔が曇る。
太陽のごとき光を放つ少女は、珍しく言い淀んだのちに躊躇いがちに口を開いた。
「天草君って、狩谷君から借りたノートをコピーして売ってるんだよね?」
「そうだな」
あっさり返すと、茉莉花はきれいに整えられた眉を寄せた。
「えっと……狩谷君がノートを提供して、天草君が売る。売り上げはふたりで山分け、ってこと?」
「違うな。俺は金銭は貰わない」
問われて首を横に振った。
ふたりの共同事業かと思われているようだが、そういう仕組みではない。
そもそもの話、勉は自分のノートで金を稼ごうとは考えていない。
「……天草君に利用されてるって思わないの?」
「お互い様だからなぁ」
「お互い様?」
頷いて見せると、茉莉花の眉間に皺が寄った。
『とてもそうは思えない』
とびぬけた美貌に、はっきりとそう書いてあった。
――別に隠すことはないか。
勉は茉莉花の秘密を握っている。
エロ写真を投稿する人気裏垢『RIKA』の正体が、この学校のヒロインである彼女であるという秘密を。
そんな爆弾じみた情報を一方的に抱えていることは、茉莉花にとって心理的負担になっているかもしれない。
ならば……自分の事情を少しでも話してみれば、多少は釣り合いが取れるのではないかと、そんなことを考えた。
心を決めてココアをひと啜り。喉を潤してから口を開く。
「俺は小遣い稼ぎ程度の金銭よりも、もっといいものを貰っている」
「もっといいもの?」
「ああ。情報だ」
史郎は別にコソコソ隠れて裏で金を稼いでいるわけではない。
当初は売り上げは折半にしようと持ち掛けられたが、勉の方から断ったのだ。
『金はいらない。かわりに感想が欲しい』
軽薄な笑みを浮かべて近づいてきた史郎に、勉はそう返した。
ノートを使ってどれだけ成績が伸びたか。伸びなかったか。
役に立ったか。足りない部分はなかったか。
もっと『こうして欲しい』という希望はないか。
『ガリ勉ノート』を利用した生徒たちから、そういう感想を取りまとめるように持ち掛けた。
「アイツも最初は今の立華と同じ顔をしていたな」
「うぇ」
学年主席のノートをコピーして他の生徒に売りさばいて儲けるという史郎のアイデアは、かなりグレーな発想だ。
対する勉の脳内にも、自分の能力を利用したロクでもない構想があった。しかし、実行に移す伝手がなかった。
『天草 史郎』は別に仲の良い友人というわけではなかったが……自分に話しかけてくるぐらいだからコミュ能力は高いのだろうと当たりをつけた。
史郎は金銭を要求しない勉の意図を計りかねていたように見受けられた。無理もないと思った。
とは言え彼には彼の目算があったようで、根掘り葉掘り聞くこともなく首を縦に振ってくれた。
こうして史郎は『ガリ勉ノート』の胴元となり……悲鳴を上げる羽目になった。
ノートは売れた。儲かった。これだけならバンザイして終わりなのだが、そうはいかなかった。
たくさんの人間に売れば売るほど、見返りとなる感想の集計に手間がかかる。
金銭に目がくらんでいた史郎は、そのあたりの煩雑さを甘く見ている節があった。
計画を始動する前から『めんどくさいことになるだろうな』と思っていたが、勉の方からはあえて触れなかった。
史郎も今では勉の裏の目的に気付いている節がある。それでも律義にノートの買い手から感想を集めて持ってきてくれる。
ダーティーなやり口とは裏腹に、いい奴だと思う。
「他のみんなの感想って、そんなの知ってどうするの?」
見つめてくる茉莉花の瞳には、不審げな光が宿っていた。
勉はココアを飲み干し、視線を中空に彷徨わせた。
どのように説明したものか、しばし言葉を探し――
「ノートはあくまで時々の俺が作ったものだ。その時はそれでよくても、最終目的である大学受験の段階で役立つかはわからん」
「ん? ごめん、意味不明」
「そうだなぁ……将来的に有用かどうかという問題だ」
ノートを作成するのは、あくまで学んだばかりの状態。
ノートを活用するのは、しばらく時間が経過してから。
たとえ学年主席の勉と言えども、時間がたてば知識は薄れる。
知識の定着度が低下した状態でノートを見たときに、ちゃんと理解を深めることができる内容になっているか、それは作成段階では判断しづらい。
ゆえに、学習レベルが低い人間を『未来の自分』に見立ててノートを使わせ、感想を貰うことにした。
そして感想を元にノートを改良する。すべては『狩谷 勉』にいずれ訪れる未来のため。
「天草はノートが売れて懐が潤う。他の連中はテストで点が取れて喜ぶ。そして俺はノートを更新できる」
まさしく三方良し。
近江商人の心構えにそんな言葉があった。
小中合わせて9年間の学生生活で自作ノートの弱点は認識できていたものの、具体的な対策がなかった。
他人を利用したアイデアを思いつきはしたが、人間関係のアレコレが不得手な自分ひとりでは実現できなかった。
どうしたものかと悩んでいたときに勉に接近してきたのが史郎だった。校内でも有数の人気者である史郎は渡りに船だった。
「つまり、みんなは狩谷君のモルモットにされている、と」
「そこまでは言っていない」
「本音は?」
「俺のノートを見て一時的に成績を上げたところで、受験で苦労するだけだろうな」
フンと鼻で笑った。
勉強は結局のところ日頃の積み重ねが物を言う。
試験が近づくたびに安易な方法で乗り切ろうとするような奴は、最後に待ち構えている大学受験で泣く羽目になる。
勉は近江商人ではないので、他人の将来など知ったことではなかった。
「それ、酷くない?」
「そう思うなら、自分で勉強すればいいだけだ」
飲み終わったアイスココアのパックをゴミ箱に放り込んで吐き捨てる。
眼鏡の位置を直しながらニヤリと笑みを浮かべる姿は、どう見ても悪役のそれだった。
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