第12話 正解なんてわからない その3


 つとむ茉莉花まつりか、帰宅途中のふたりの脚は止まり、互いに顔を見合わせていた。

 誰もが認める美少女は、整い過ぎた顔をこわばらせながら口を開いた。


「何でわかったの?」


「ほくろだ。膝の後ろの」


「え?」


「む?」


 茉莉花と『RIKA』が同一人物であると思い至った理由を聞かれたので、素直に答えた。

 その反応が、これだった。眉を顰める茉莉花の表情が、非常に解せなかった。


「やだ……狩谷君、そんなところ見てたの?」


「見せたのはそっちだろう?」


「いや、それは……写真は見せるために投稿してるんだけど、私の脚を後ろから観察するとか、狩谷君ってエロいね」

 

「……」


 自分でもちょっとどうかと思っていたので、沈黙するしかなかった。

 口を閉ざしてしまった勉をじ~っと見つめていた茉莉花は、肩を竦めてため息をついた。


「こんな身近に『RIKAわたし』のフォロワーがいるなんて、意外だったなぁ」


 しかも真面目そうな狩谷君なんて。

 茉莉花は視線を逸らし、自嘲気味に呟いた。

 脚を止めたままの勉と茉莉花の距離は近い。

 学校から離れているおかげで、人通りは少ない。

 小声で語り合う分には、他人に話を聞かれる心配はない。


「ずいぶんあっさり認めるんだな」


「……まぁ、お礼ってことで。それで、狩谷かりや君はどうしたいわけ?」


 茉莉花の声に挑発的な色合いが混ざる。

 

「先生に言いつける……はないか。それじゃ『誰にもバラされたくなかったら、俺の言うことを聞け』とか?」


立華たちばなの中の俺のイメージ、悪すぎないか?」


 昨日の職員室での教師とのやり取りを鑑みれば、彼女の言葉どおり勉が告げ口するタイプでないことは想像できるだろう。

 だからと言って……秘密を握って従わせるなんて、完全に悪役のムーブだ。


「俺は教師にチクったりはしないし、脅迫もしない」


「じゃあ、どうするの?」


 問われて口ごもる。

 それも昨晩から頭を悩ませていたことのひとつだ。

 仮に『立華 茉莉花』と『RIKA』が同一人物であると確認して、それでどうするのか?

 もっとも、女子相手に『お前、裏垢やってるのか?』と尋ねる難易度が高すぎたので、その先まで考える余裕はほとんどなかったが。


「どうする……か……」


 腕を組んで顎に手を当てる。

 

「そうだな……とりあえず、ありがとう」


 斜め45度の角度で頭を下げる。


「……は?」


 茉莉花の口から漏れた声は、今まで聞いたこともないものだった。

 作った雰囲気がない、完全な素の声。

 呆れ、怒り、戸惑い……様々な感情が、たったひと文字に凝縮されている。


「何それ? 『ありがとう』って、どういうこと?」


「どうと言われてもな。『RIKA』さんにはずっとお世話になっているし」


 感謝するのは当然だろう。

 そう続けた勉に、茉莉花は胡乱げな眼差しを向けてくる。


「お世話した憶えなんてないんですけど」


「そちらになくても、こちらにはある」


「……私の投稿画像を見て、その、色々使ったってこと?」


「言い方」


 明言されたわけではないが、茉莉花の意図するところは明白で。

 そして間違っていないものだから、勉の頬が勝手に熱を帯びる。

 おかげでどうにも苦言に力が籠らない。


「そっか……狩谷君って、むっつりか~」


 茉莉花はそっと両腕で自分の身体を抱きしめた。

 ほんの半歩ほど、勉との距離を開ける。


「特に隠してはいないな」


「じゃあ、私のことを誰かに話したりは?」


「してない」


天草あまくさ君にも?」


 勉は無言で頷いた。

 自分の性癖を隠すつもりはない。

 他人の性癖を暴露するつもりもない。

 そのあたりの線引きを誤ることはない。


「……ま、信じるしかないけど。それにしても第一声が『ありがとう』って……ウケる」


「素直な気持ちを口にしただけだぞ」


「ウソついてるように聞こえないから、もっとウケる」


 茉莉花は、心底楽しそうに笑っていた。

 さすがに大声を出したりはしないが。


「普通さぁ、もっと他に言うことあるんじゃないの?」


「……リクエストとかか?」


「違うし。ほら『何でえっちな写真の投稿なんてやってるの?』とか『バカなことはやめるんだ』とか、そういうの」


「やめるのか!?」


 勉の声が裏返った。

『RIKA』本人の口から語られた『裏垢を辞める』というひと言が、想像以上の動揺をもたらしたのだ。


「うわ。何そのガチ反応。ちょっと引く」


「いや待ってくれ。俺にとっては重要なことなんだ」


「狩谷君は……私がああいうことするの、やめてほしくないの?」


「むしろどうしてやめて欲しいなんて言うと思ったのか疑問なんだが?」


「早口すぎるし。心配しなくてもやめないって」


「そうか……よかった」


 ほっと息を吐き出した勉に、茉莉花は呆れた視線を向けてくる。


「そこで安心するの、どう考えても普通じゃないと思う」


「……普通ってなんだ? 俺は『RIKA』さんの写真をもっと見たいんだ」


 心の清涼剤というか安定剤というか。

 日々に忙殺されがちな勉にとって、彼女の投稿はもはや欠かせないものになっている。

 ある種の精神的なドラッグにも似た扱いだ。依存性の高さがヤバい。


 茉莉花の言わんとするところも理解はできる。

 もし義妹が裏垢でエロ写真をぶちまけていたとしたら、止めるだろうなと思う。

 勉が『RIKA』の投稿を心待ちにしていたのは、彼女がどこか遠い存在――自分とは無関係の存在だと認識していたからだ。


 違った。

 割と近くの人間だった。

 まったくの無関係とも言えない。


 では『立華 茉莉花』とは何者かと問われれば、現段階ではただのクラスメートのひとりに過ぎない。

 もともと人間関係に乏しいところのある勉にしてみれば、それは赤の他人と何も変わらない。

 だからこそ……こんな不埒な言動を、ありのままの欲望を口にしてしまうのだ。


「ふ~ん。私のこと、そんなに楽しみにしてるんだ」


 そっかそっか。

 茉莉花は目を細めて笑みを浮かべた。

 今までに見たことのない表情。

 妖艶で、淫靡で、歓喜に溢れる一方で、隠しきれない戸惑いも見受けられる。

 その顔はとても魅力的であるにもかかわらず、勉の良心に少なからず痛みを与えた。


――こんなこと言って、本当によかったのか?


 口に出してしまってから、『あまりにも無責任ではないか』と頭の奥から声がした。

 茉莉花が本来のアカウントで件の写真を投稿しないのは、彼女自身が後ろめたさを抱いているからに違いない。

 インターネットでの情報を鵜吞みにするつもりはないが、単に勉が気づいていないだけで、茉莉花が孤独感や承認欲求に振り回されている可能性もある。

 偶然とは言え同じ教室で学ぶ者のひとりとして、もっと別の言葉をかけるべきだったのではないかという疑問が首をもたげてくる。


「狩谷君は、無責任なことは言わないんだね」


 茉莉花の唇から放たれた言葉に驚いた。

 何も言わないことこそが無責任だと思っていた。

 しかし……すぐ横を歩く少女は、口を挟むことが無責任と認識しているらしい。

 わけがわからなかった。


――仕方ないと言えば、仕方がないか。


 茉莉花と同じクラスになってから、まだ一か月と少ししか経過していない。

 学園のアイドルと称され、持て囃される彼女が何を考えて日々を過ごしているのか。

 悩み事があるのか。問題を抱えているのか。勉は何も知らない。知ろうとしてこなかった。


「うん、安心した」


 隣の少女は勝手に納得している。


「安心って、何が」


「裏垢やめろとか言われなくてよかった」


 余計なことを詮索しても来ないしね。

 笑顔でそんなことを言われてしまうと、今さら反論なんてできなくなってしまう。

 気まずい沈黙のままに、止まっていた足を動かした。

 帰宅途中であることを、これからアルバイトがあることを思い出したから……と自分自身に言い訳して。


「話が丸く収まったところで改めて聞くけど……お礼、何がいい?」


 しばらく歩いたところで、茉莉花が問いかけてくる。

 勉は無言で首を横に振った。

 茉莉花が秀麗な眉を寄せる。

 別に深い意味はない。時間切れだった。


「いや、その……ウチについた。話はここまでだ」


 自宅のマンションについてしまった。

 茉莉花は『へぇ、良いところに住んでるね』とほほ笑んでいる。

 美貌に浮かぶ表情の意味を窺い知ることなど叶わなかった。

 

「じゃ、お礼の件は保留ってこと? ま、いいけど。さっさと決断できない人って嫌いかも」


 ばいばい、また明日。

 胸元で小さく手を振って遠ざかっていく茉莉花の背中を見送って、勉は大きく大きく息を吐き出した。

 長い時間の会話ではなかったはずだが、疲労感が半端なかった。胸の奥に残るわだかまりを自覚させられる。

 その一方で『RIKA』の存在が消失しなかったことを喜ぶ自分に、少し嫌気がさしている。


「また明日……か」


 茉莉花が残した最後のひと言が、いつまでも勉の耳に木霊していた。

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