騰蛇の牙

裴エンタ

鬼の巻

一、閉じた文明 1

                   


《西暦一八七年 六月 後漢ごかん 冀州きしゅう中山国ちゅうざんこく


 風は、北から吹いてくる。獄法ごくほうの山を駆け草野を滑り、万里の城を越えて、外の匂いを中華世界の内へと運んでくる。

「——おい、玄徳げんとく

 呼ばれて、劉備は昼下がりの市のさなかへ目線を下ろした。玄徳というのはあざなである。個人の名たるいみなとは別に、同格の人間を呼ばう名であった。というのも諱は人の魂であり、親や主君以外が口にするのは禁忌である。

 姓をりゅう、諱を備、あざなを玄徳。商人の用心棒などしている癖して、妙に風格ある偉丈夫だった。長身で身の丈七尺五寸(約一七三センチ)、齢は二十七で髭がない分若く見えるが、まげを丁寧に結い、硝子がらすの耳飾りで彩られた長耳は貴人のそうである。着崩した藍の着物には赤い縫取、腰には雌雄双剣。精悍な顔立ちは男ぶりがよく、手足がすらりと長いこともあって、派手な格好をしても自ずと気品があった。

 劉備は斜に構え、

「あざなで呼ぶな」

 と眼前の小汚い男へ云った。

「あ?」

「俺ァ上役の客分だぞ。てめえらとは立場が違う」

「今更んなこと気にしてんのか、劉家の坊ちゃんは」

 男が鼻で笑った。五百人ほどを擁する里の頭目であるが、頭にはまげも被り物も無い。漢人にとって髪や頭頂というのは生命力の宿る場所であり、髷を結い布で包んで保護するのが文明人の証であった。無礼な物言いと下劣な身なりに苛立った劉備だが、おくびにも出さず、

「要件を云え」

 とすまして云った。男を頭目にしたのは、張世平ちょうせいへいという名の近頃勢いを増す豪商で、劉備の雇い手でもある。

「この間、賭場で散々負けただろう。あれを払って貰いたくてなあ」

「お前にゃ負けた覚えはねえが」

「いいのか?」男は下卑た笑いを、汚れた唇の端に乗せて云った。「お前の上役に、俺から色々と告げ口しといてもいいんだぜ。最近不仲だと噂じゃねえか」

 親しげな口ぶりであったが、要は己の一存でお前の命などどうにでもなるぞと脅しているのだ。張世平は数百の里を治める県令(県の行政長官)や、県を幾つも治める郡太守(郡の行政長官)とも裏で繋がりを持っている。

「足元見やがって」

 劉備は悪態つくと、銭の袋を、男めがけて投げつけた。何も全てくれてやることは無かったが、こんな下賤な男の前でちまちま残りの銭を数えるのも馬鹿らしい思いであった。男は袋の重さに目を見開いてから、

「お前、馬鹿だな」と笑って云った。「土豪(小豪族)の小倅め。金稼ぎがやりてえなら、故郷に籠って家でも継ぎゃ良かったんだ」

 劉備は黙って、踵を返した。

「おい、玄徳よ」

 まだ云い足りないのか、男が呼び止める。舌打ちした劉備は剣に手をかけて振り返った。逆光を背負って男を睨むと、彫深い顔立ちの中、眼が強い意志を持って爛と光る。

「その首引っこ抜くぞ、でくの坊」

 男は気圧されてもう何も云わなかった。劉備は今度こそ踵を返して

おとこの風上にも置けやしねえ」

 ぽつりと、吐き捨てた。金が欲しい訳ではない。欲しいのはもっと別のものだ。雑踏の遥か向こう、当てもなく遠くの方へ手を伸ばす。城(里を複数包する城塞都市)を囲む城壁に阻まれて、外の景色は見えなかった。人々は災いを避けるべく、囲いの内に篭って暮らしているのだ。

 劉備は拳を握ると、天に向かって突き上げた。天には囲いがない。だから人は天を畏れて生きてきた。蒼天にぽつんと、ひとつだけ雲が浮かんでいる。あれは俺だ、と思った。俺であればいい、と思っていた。永久とこしえに高潔なまま、余計なものに触れることなく生きていたい。

 親指に嵌めたぎょくの指輪が、日の光を浴びて煌めく。早逝した、父の形見だった。



 数刻後、劉備は飯屋のむしろに腰を下ろし、薄い粟粥を啜っていた。頭目に渡した金は手持ちの内のほとんどだった。

 時たま無茶をやりたくなるのは、博打や金のかかる洒落好きと並んで、劉備の悪癖の一つである。改める気は無い。生れてから死ぬまで一本筋の通った人間が、この世のどこに居るだろう。そんなものは人ではない、鬼や鬼神の類である。

 劉玄徳は鬼ではない、仁侠者にんきょうものであった。ごろつきではない。漢の高祖こうそ(前漢初代皇帝の劉邦りゅうほう)も重んじた、この国の伝統である。金や権力に縛られず己を貫き人に施す、そういう正義と誇りを持ったおとこを指した。

 今では純粋な仁侠者は、随分少なくなった。侠気取りで悪さをする不届き者ばかりが増え、軽侠けいきょうと呼ばれるそれらは豪商豪族の元でかくとして私兵に近い役割を担っている。世の澱みに辟易としていた劉備だが、後ろの方から

「よォ」

 と呼ばわれると、眼前に降りてくるほつれ毛を掻き上げて、其方を振り返った。見目には日頃から気を使うたちであった。

「相変わらず無茶やるなあ」飯屋の老主人が笑んで、水の入った椀を卓に置いた。「頭目と諍い起こしかけたんだって?」

「話が早いな」

「この里でそんな馬鹿やるのはあんたぐらいだ。噂が広まるのも早いさ」

 劉備はむっとして、勢いよく椀を干してから

「俺は、馬鹿か」

 と問うた。

「大馬鹿だ。彼奴に逆らってたら、命が幾らあっても足りないぞ」

「あんたら、ずっとへいこらしてるつもりか。あんな滅茶苦茶な奴に。気概はどこにやったんだ」

 老人はたちまち、怪訝な顔をして

「滅茶苦茶なのはお前の方だ」と云った。「なあ、仁侠なんて時代遅れだ。お前、昔は役人目指してたって言うじゃないか。そんなことも分からん頭じゃないだろう」

 聞いて、劉備は椀の縁を親指の節でぐっと押さえる。優しい老人であった。だがこの人が優しいのは、易しすぎる道ばかりを歩もうとしているからだ。そういう低い志が、人間を弱くする。牙を抜かれた獣にも等しいと、劉備はどこか冷めたふうに感じていた。

 なけなしの銭を卓に置いて、飯屋を発とうとした時

「劉郎! 劉郎はいるか!」

 頭目の手下が店に飛び込んで騒ぐのである。劉備は動ぜず

「どうした」と云った。

「来てくれ、市の方で喧嘩だ!」

「どういうことだ。賊の話は聞いてねえぞ」

 ひと睨みされた手下は怖気付いて吃った後、ややあって

「違うんだ」と云った。「相手は一人だ」

「はあ? 頭は何やってる。里の守りは其方様の御本分だろう」

「それがよお、今やられてんだ。金巻き上げようとした奴がえれえ強くて、みィんなばたばた返り討ちだ。助けてくれよ、礼は弾むから!」

「てめえらの撒いた種じゃねえか!」

「ひっ!」

 怒号を受けて、手下は縮み上がった。劉備は暫し考えて

案内あないしろ」

 とだけ云うと、騎馬用の長靴の紐を乱雑に結んで外に出る。二階建ての役所から太鼓の音が聞こえて来た。市の開閉を知らせる太鼓だ。鳴るにはまだ早い。何かが起きている。役所を傍目に見ながら走った。

 市を大きく別つ十字路とその真中に建つ役所は、大型の市場の特徴である。漢帝国十三の州の一、冀州きしゅうの最北に位置する中山国(郡と同じ行政単位)は人口六五万を擁し、最北の幽州ゆうしゅうと都・洛陽らくようを結ぶ、河北かほく有数の商業地だった。

 手下の案内に従い、市の外れの、半ば奥まった路地の入り口に入る。薄暗の中に十数人、男が重なって呻いていた。

「げ、玄徳っ」

 昏とする中で呼ばう声がある。頭目である。顔面が多少陥没していたが、歩けるくらいの元気はある。死人も居らずただの喧嘩のようである。劉備はまた苛ついて

「あざなで呼ぶな」と釘を刺した。「てめえはまた、大したことねえ用で——」

 ぶん、と空気の唸る音がした。

 まずい、と勘で悟って身を捻る。耳のすぐ横を長物が掠めた。振り返る。頭目が傍で、ひぃっと耳障りな悲鳴を上げた。

 ——鬼がいる、

 と思った。

 薄闇の中で、劉備を見つめている。人に近い形をしていることは分かった。だが違うと本能が告げる。息も詰まるほどの威圧感。強烈な違和感が背筋を這い上る。

 『礼記らいき(儒教の経典)』に曰く——“生あるものは必ず死し、死せば必ず土にす。これを鬼と云う”。特定のあやかしではない。天命、霊魂、神霊、化け物。人から外れたもののことを、人はおしなべて鬼と呼ぶのだ。

「そいつを渡せ」

 鬼が云った。都近くの言葉だ。透き通って意外にも高い、凛とした声であった。

「どうしてだ」

 逃げようとする頭目の襟首を引っ掴みながら、劉備は雅言がげん(都言葉)で問うた。

「弱い癖に、俺に絡んだ。命を賭ける覚悟が無かった。報いを受けねば」

「そりゃあ、道理だな」

「玄徳!」

 鬼の方がよっぽど世の道理を弁えている。劉備が納得すると、頭目が声を上げてじたばたした。静かにしてろ、と釘を刺すと瞬く間に大人しくなる。劉備の返答一つで身が危ないと分かっているのだ。普段が高慢な男だけに、多少胸のすく想いである。

 劉備は空いた手で耳飾りを捏ねくると

「だけどもな」

 と云った。因みに、頭目を押さえ込んでいるのは片手である。

「こっちも、助けを求められてな。そちらの道理ももっともだが、此方にも此方の道理がある。此処は一つ、俺の顔を立てて退いてはくれんか」

「無い」

「そりゃ、そうか」

「おい!」

「黙ってろ俗物」

 劉備は顎で路地の出口の方をしゃくった。

「市に出ようぜ。そっちの得物は長物だろう。路地じゃ不利だ。こっちに非がある以上、あくまで正々堂々やる」

 返事は無かったが、劉備は頭目を引きずって歩き出した。煽られて黙っているほど穏やかな相手とは思えない。乗ってくる、という確信があった。

「そら退け、喧嘩になるぜ」

 路地から出て、市に溢れた野次馬を追い払うふりをしながら注目を集める。縮こまって怯える頭目の情けない姿を、市中に晒すためだった。

「頭。お前の手下がな、礼を弾んでくれると言ってたんだが」

「も、勿論だ! 何でもしてやるぜ。賭けの負けを、一切無しにしてやってもいい!」

「あっはっは、そりゃ良いなあ」

 劉備は大声で笑った。泰然自若を気取るこの青年が、他人に明け透けな感情を見せることは珍しい。

「まあ、手前を叩き斬って良いってんなら、博打をやりたくも無くなるんだが」

「そッ」

「安心しろ。張商人と揉める気は無えよ。けども、随分強そうな相手だからな。気合入れてえんだ。もっと良いもん、出せるだろう」

「金を」と、頭目は云った。

「違う」と、劉備は云った。

「女」

「今はいい」

「じゃあ何だ」

「里のな。頭目を譲れ、俺に」

 頭目は驚愕した。それからやっと、狙っていたのか、と思い至った。この騒ぎに乗じて、美味いところを掠め取る気でいたのだと。

 その時であった。ずっ、ずっ、と音がした。草鞋わらじを引き摺る音だ。地の底から這い出る、化け物の足音のようだった。頭目の歯ががたがた震える。相当殴られたのか、人相が随分変っていた。劉備は傍にしゃがみ込んで、諭すように語りかけた。

「死ぬのと生きてられるのと、どっちがいい」

「分かった、お前が、お前が頭だ‼︎ それでいい‼︎」

 半ば喚くような声を聞いて、野次馬が騒めいた。と同時に、鬼が通りへ姿を現す。良い頃合だ、と劉備は内心ほくそ笑んだ。

 鬼はさぁっと分かたれる人波を、まるで気にせず進んできた。身の丈七尺二寸(一六六センチ)といったところか。やや大柄で、身の丈以上の斬馬刀をたった片手のみで携えており、顔を覆うさんばら髪は非人間けだものの象徴である。

「構えろ」

 異形が、云った。

「武人気取りか」

 劉備は剣を抜く。一つの鞘の中に、双振りの剣。時代遅れの二刀流だった。

 片手で劉備が斬り込んだ。無骨な斬馬刀と細剣のかち合う音が、凶鳥の鳴き声のように耳を擘く。表情は伺えない。不気味だった。緩慢な動きの中に、人を頭から押さえつける威圧感がある。

——来いよ、

 と劉備は念じる。来いよ。獣の相手は慣れてんだ、俗物の相手より余程い。

 もう片方の剣を、乱雑に叩きつける。誘いだった。鬼が払い除ける。乗って来たのだ。

 蹴りがある。腕で庇った。突き、弾く。薙ぎ、避ける。技量は無いから避け易い。だが気圧されている。己の命を叩きつけて、敵の命を叩き潰す剣。力任せで大味な感触の中に、魂を削り取る殺意と重みがある。

 劉備は飛び退いた。馬鹿のやる戦い方だ、と思った。だが心得ている。勝負の何たるかをだ。己の命を危険に晒して楽しむ趣味は無いが、その真っ直ぐさは快い。

 剣を投げる。鬼が弾いた。隙ができた。懐に入って鳩尾を殴る。拳に肋が触れるほど、肉が薄かった。腰から引き摺り倒す。馬乗りになり剣を突きつけた。鬼が首だけ上げる。前髪が滑り落ちて顔が露わになった。

「おまえ」

 劉備は、息を呑んだ。隙ができる。「あッ」と声を上げるや、顎が跳ね上がった。殴った手首を掴んで取っ組み合いになる。互いの衣が土にまみれたが、最早格好などはどうでも良かった。

 劉備はとうとう細い手首を捻り上げて、片手で彼の前髪だか横髪だかを鷲掴みにした。見顔して、嗚呼、と嘆息した。

 子供であった。

 色白で、切れ長の目に鋭い眼光を灯している。上背もそれなりにあったものの、顔立ちもまだ幼く、頰も痩け垢にまみれてみすぼらしい子供であった。劉備はまた嘆息した。この、まだ熟れきらない身体の奥に、あれ程の力を秘めているのか。

「おうい」 

 視界の隅で、馴染みの役人が呼ぶ。この後劉備のやるべきことといえば、この化物じみた子供を役人に引き渡すだけである。彼はもう暴れず、ただ静かに

「殺れ」

 とだけ云う。先までの大暴れと一変して、異常なほど潔かった。

「負けた」

「負けたのか」と劉備は聞いた。「俺は、お前ほど見事に戦う男を、これまで見たことがないのにか」

 彼が目を見開いた。その、子供の大きな黒目に、自分の顔が映り込んでいるのを、深く息を吸い上げながら劉備は見つめた。

 ほとんど陶酔に近い、魂を焦がすような予感が、劉備を襲っている。折れていない。この子供の牙は、折れていない。人と群れるには余りにも鋭く、無骨で凶暴で疎まれるほど荒々しい。世から逸脱した古い時代の魂のかたちを、この男だけがまっすぐに保っている。

「あッ」

 と、子供が驚声を上げ終えぬ内、劉備は彼のずたずたになった襟を無造作に掴んだ。そのまま引きずり、役人や野次馬の群を押し退けて歩く。行先は、張世平から与えられた邸宅である。

 土壁に囲まれた戸口に立って鍵を開けさせ、中から出てきた丸顔の男をことづけて外にやると、子供を居間の床に投げ転がした。頭を打ったか、ごちんと鈍い音が鳴る。うずくまる彼に山羊革の水袋を渡すと、飛び付いて溺れるように飲んだ。ビン(小麦のパン)をやると、これもたちまち口の中に消える。

 劉備は彼を見下ろし、落ち着いた頃合を見計らって

「幾つだ」

 と問うた。答えはない。腰を下ろして目線を合わせると、正面から

「お前、歳は?」

 と問い直す。彼は幾らか、驚いた顔をして

「……十六」

「そりゃあ、また」劉備も驚いた。十つほども下の小童こわっぱである。「何でそんなぼろっちいなりしてる。それだけ腕が立ちゃかくにはなれる」

 彼は黙りこくってそっぽを向いた。劉備は溜息を吐いて

「お前、司隷しれい(都を擁する州)の出身だな。西の方の訛りだろ。何でここまで来た」 

 そこまで詰めて、やっと彼は

解県かいけん」と云った。人を殺して出てきたのだということも、ぼそぼそ云った。

 塩湖のある河東かとう郡の解県は、中山と塩馬の交易で繋がり、間に交易路もあった。彼がそこを通って来たのだと察して、劉備は内心舌を巻いた。というのも解と中山には一五〇〇里(六〇〇キロ)を超える隔りがあり、その間には賊が跋扈ばっこしていたからである。そこを一人で切り抜けてきたとあっては、道理で馬鹿ほど腕が立つわけだ。

「あんた、何だ」

 子供が、劉備を睨めた。飢えた子犬によく似ている、と劉備は思った。

「昔、緱氏こうし(司隷内の県)で学問をやっててな」

「違う」

 聞いて、劉備は気付いた。名乗りがまだである。相手が子供とはいえ無礼であろうと、取っ組み合いで乱れた襟や帯を直してから、云った。

「劉備。あざなを玄徳。幽州たく県の土豪の出で、商人の用心棒をやっている」

「ふぅん」

 と彼は云った。劉備は問い返した。

「お前は」

「何で俺が」

「人にいみなを云わせたんだ、てめえの魂くらい晒して見せろ。それとも怖いか?」

 彼は怒りに頬を赤らめ、鼻孔を広げて息を吸うと

 ややあって、

 と不貞腐れて云った。

関羽かんう。あざなが長生ちょうせい

「ほう」

 孔子を祖とする儒教を国教とする漢において、加冠(成人の儀)を行う二十歳以前にあざなを持つのは珍しい。希薄な表情の奥から目敏い視線を光らせた劉備だが、関羽の方に拒む色があるのを見て取るや、疾く話題を変え

「何だって、人なんか殺したんだ」と問うた。

「何で、人殺しが悪い。弱い人間を、強いものが喰らうのは当たり前だ」

「人殺しは罪だと。そういう法がある」

「関係無い。俺は漢人じゃない」

 劉備は、まじまじと関羽を見た。着ているものから使っている言葉、顔立ちまで、どう見ても劉備と違わぬ漢人のものである。しかし彼は

「鬼だ、俺は」

 と毅然きぜん口にする。劉備は暫し黙ったが、やがて耳飾りを揺らして

「そうか、鬼か。そりゃあ良い!」と、腹を抱えて笑った。

「馬鹿にしてるのか」関羽が立ち上がる。殴り殺してやると云わんばかりの剣幕であるが、劉備は何でもないように「いいや」と笑んだ。

「馬鹿にしてない」関羽の肩が、ぴくりと震える。「誇りと云うんだ、それは」

「誇り」

 噛みしめるように、関羽は繰り返した。

「そうだ、誇りだ。只人から別たれるという誇りだ」身を乗り出し、まなこを輝かせて劉備は云った。「俺もな、赤龍の血を引いているんだ」

「赤龍」

「史記曰く——漢の高祖は赤龍の子だ。俺は赤龍の末裔なんだ」

「あんた」

「あざなでいい、玄徳だ」

「あんた」関羽は一息置いて「何なんだ」訝しげに云った。

「大漢五代は武帝ぶていが長子、前漢の燕刺えんらつ王の後裔だ」

 己の、玉の指輪をしげと眺めて、劉備は雑然とした床から酒瓶を拾った。それからそれを盃に注ぐと関羽の方へと差し出して

「まあ飲めよ、長生」と機嫌よく笑った。「久々に良いおとこに出会った。その礼だ」

 乱暴に関羽は杯を引ったくった。ちろと一舐めして、

「腐ってる」

 と顔をしかめる。

挏馬酒とうばしゅだ」劉備は干して、愉快気に云った。「馬の乳をな、しこたま叩いて作る珍品だ。好みの分かれる匈奴きょうど(北方のモンゴル系遊牧民族)の酒だし、さしもの鬼でも飲めんかね」

「何だよ、飲める。俺だって」

「普通の酒より、百倍は濃いぞ」

「なんだ、これくらい」

 関羽も張り合ってぐいと仰る。眦を酔いで赤らめながら、ふん、と鼻を鳴らした。活殺自在たるこの怪童にもやはり端々に年相応の幼さは在ると見え、劉備は吹き出しそうになるのを堪えて、彼を酔い潰すまで酒を注いだ。

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