異世界が引きこもり生活を全力で邪魔してくるので、全力で抗う

新双ロリス

第1話「引きこもる場所が欲しい」


遡那桂祢サカナ・ケイネさん。貴方は20XX年10月15日の明け方3時24分に、自宅のベッドの上で亡くなりました。20歳でした」


 気が付くと、白い世界にいた。

 上下左右の感覚のない、ふわふわした空間。

 そこで遡那桂祢は、お昼のワイドショーか何かで著名人の訃報を知るような気軽さで、自分が死亡した事実を知った。


「俺、死んだの?」

「はい」

「死因は?」

「えーと。心臓発作?」


 手元の原稿を見やりながら、目の前の女性は面倒くさそうに首を傾げる。

 そんなことは原稿に書いてない。とでも言いたげであった。


 女性は10代くらいの所謂ギャルで、ウェーブのかかった茶髪に色とりどりのキャンディみたいなシュシュがいっぱい付いていた。


 こってこてのギャルメイクは、幼少の頃ニュースで見たヤマンバギャルを彷彿とさせるが、記憶の中にある汚ギャルと比べると、ナチュラルな顔立ちをしている。

 それでも最近見かけるイマドキギャルと比較してメイクは濃い目で、肌もこんがり焼いている。


 服装は一昔前のナース服で、膝上20センチ以上はありそうなピンクのミニスカート姿だった。

 椅子に座って足を組めば、間違いなくパンツが見えてしまうことだろう。


 こんがり日焼けした肌とピンクのナース服の組み合わせは、決して病院で目にするはずはないのだが、どういうわけかしっくりくるのが不思議である。


「行ったことないので正確には分からないんですけど」

「はい」

「いかがわしいお店で受付とかやってそうな見た目ですね」


 死んだと聞かされて、真っ先に抜け落ちたのは倫理観と気遣いの心だった。

 そもそもどっちも持っていなかったような気がするが。死んだのだと思うと、自分を良く見せようとか、他人を慮ろうとか、そういった人として当然の感性が、薄れてしまうものなのだろう。


「やってましたから」


 さして気にする様子もなく、ギャルナースはそう言った。


「やってたんですか」

「ええ、天界で」

「天界で……」


 下界の文化が天上人に気に入られたのか。それとも元々天界にあった文化が、俗世に降りてきたのか。

 詮無いことを考えるのは、無駄なのでやめておいた。


「ところで、俺が何で死んだのかって分かりますか?」

「心臓発作だって、さっき言いませんでした?」

「そうじゃなくて。どうして心臓発作を起こしたのか、とか。昨日まで健康そのものだったし、突然死する理由が分からないんですけど」


 健康ねえ。と、ギャルナースは手持ちのペンの尻で顎を突いた。


 今更だがこのギャルナースは、自称女神である。


 死んだ後に白い世界で色々な説明をしてくれるのだから、女神という存在で相違ないのだろう。


「本当は事故で亡くなる予定だったんですが、その時間ご自宅にいらしたので」


 顎を突っついていたペンの軌道が少しズレて、薄桃色の下唇にぷにゅっとペンのお尻が押し付けられた。

 柔らかそうだった。


「明け方の3時過ぎに事故死するとか、有り得ないですよ。俺これでも昼型なので、その時間は大体眠ってますし」


 これでも、とあえて付けたのは、理由がある。


 健全な20歳男子なら、昼型であることは当然のことだ。

 だが桂祢は、健康ではあったが健全な20歳とは程遠い生活をしていた。

 なにせ――。


「5年も引きこもってる俺が、事故死っていうのもおかしいなって思いまして」


 中学生の時に不登校になり、そのまま高校にも行かず引きこもり生活。今では立派なヒキニートだ。


 夜中に徘徊する癖があるならともかく、桂祢は家から一歩も出ないタイプの引きこもりなので、余程のことがなければ外出することはほとんどない。


 そんな桂祢が事故死とは、運が悪いにもほどがある。


「ええ。それで心臓発作という手段を取らせていただいたのですが……」


 ペンのお尻を唇で咥えながら、ギャルナース女神はパッチリ大きな瞳を瞬かせた。


「おかしいと思ってよくよく調べてみると、同姓同名の別人だったことが分かりまして」

「遡那桂祢ってかなり珍しい名前だと思うんですけど、そんなことあるんですね」

「はい。本来亡くなるはずだったサカナケイネさんは、片側三車線の大通りを酔っぱらってジグザグ歩行してましたが、そのまま無事に帰りついたそうです」

「それじゃあ、俺が死んだことで、一人の罪無き男性が救われたってことですね」


 思いっきり道路交通法を破っているが、そこは追及しまい。


「いえ。そっちのサカナケイネさんのこれからの人生は用意されていないので、先ほど強制的にお亡くなりになってもらいました」

「亡くなったんですか」

「ええ。心臓発作で」


 また心臓発作か。都合の良い死に方に使われ過ぎだろうと思う。


「貴方が救ったのはもう一人のサカナケイネさんではなく、サカナケイネさんを轢き殺してしまい、罪を被るはずだった可哀想な運転手さんの方ですね」

「まあ、誰かが救われたのなら、別にいいですけど……」

「この事故の状況ですと全面的にサカナケイネさんが悪いので、運転手の方に追及される罪はそこまで重くないんですけどね。でも人を殺してしまったという罪悪感で精神を病み、心療内科に通うことになるんです。そこで出会ったカウンセラーの女性と意気投合して結ばれるはずだったのですが……。このままだとこの運転手さん運命の相手と出会うタイミングを失しちゃったので、もしかすると一生独身かもしれませんね」


 半分くらい咥え込んだペンをちゅぽんと口から引き抜き、ギャルナース女神はしれっとそんなことを言う。


 何故こう後味の悪いことをわざわざ口にするのだろう。


「お話はよく分かりました。つまり実際に死ぬはずだったサカナケイネさんと間違えて、俺――遡那桂祢を死なせてしまったので、お詫びに女神様とご対面ってことですね」

「理解が早くて助かります」


 ペンの持ち手をペロペロ舐めながら、ギャルナース女神はパチンと片目を瞑ってみせる。


 さっきからエロいんだか汚いんだかよく分からない行為を続けていることには、あえて触れないでおこう。


「よくある異世界転生モノの導入そのまんまなんだよなぁ……」

「ちゅぷ、れろぉ……。ああ、アレ天界でも結構人気なんですよ……っ、ちゅっぷ」


 ペンのお尻をカチカチと鳴らし「やぁん、いっぱい出てきちゃった」とか言ってるが、桂祢は無視する。


「随分と俗世の人間にとって都合のいいシステムだなぁって」

「そういう意味での、人気ですか」

「軽蔑してるわけじゃないですよぉ。ただただぁ、ダメ人間が死後にどういったモノを求めているのか知れると、女神としてもイロイロ役立つことはあるんですよ」

「たとえばこういう時に、何をお詫びに提供すれば怒りを鎮められるか、とかですか」

「そういうことです」


 さあここからが本題ですとばかりに、ギャル女神はナース服をはためかせ(見えなかった)こちらに向き直った。


「で、何がいいっすか」

「随分軽いですね。罪無き人間が一人死んでるんですよ」

「でもどうせこの先社会復帰する見込みもありませんでしたし、タダ飯喰らって実家のお荷物状態を続けるくらいなら、ここらでスパっと死んじゃった方が家計のこととか考えると良かったんじゃないですか」


 辛辣である。

 否定しきれないのが、情けないところではあるが。


「どんなのでもいいですよ。念じただけでどんな相手でも抹殺できる能力が欲しいとか、触れただけで女性をメロメロにさせちゃう能力とか、もう何でもオッケーです」


 随分と極端な例えだが、最終的にはそこへ集約されるような気がしないでもない。

 だが――。


「申し訳ないけど、俺はチート能力で無双したり事件解決して、チョロインでハーレム作るような異世界生活に興味はない」

「ふぅん?」


 ペンのお尻にはめ込まれた消しゴムを鼻の穴に詰めながら(さっきから何してるんだ)ギャル女神は小馬鹿にするような声を出した。


「そりゃ、少しくらいは興味あるけど……。でもそれで延々と事件に巻き込まれたり、せっかくのヒロインズを愛するだけの余裕がなくなったり、そういう人生は求めてないんだ」

「チートハーレムの無双モノより、スローライフ系の方が性に合ってるってことですか」


 女神から創作をジャンル分けされると変な気持ちだが、大体その解釈で合っている。


 それにしても、この女神はどの程度イマドキファンタジーに精通しているのだろう。


 思えば最初に挙げた二つの能力は、どちらもクラス転移モノの主人公が手にしていた能力のような気がしてきた。


「というわけで、引きこもる場所が欲しい」

「引きこもる場所……。ダンジョンマスターとか、そういったジャンルのやつですかね」


 ペンのお尻を鼻の穴に入れながら、ギャル女神は可愛らしく小首を傾げる。


「ダンジョン経営モノは敵から攻め込まれるだろう。そういうんじゃなくて、安全かつ平穏に引きこもる場所が欲しいって話だ」

「具体的には何をご所望ですか?」

「まず立派な一軒家。あとは快適なネット環境。部屋はいつでも掃除されてて、室温は快適。お腹が空けばいつでもご飯が出てきて、買い出しに行かなくても、好きなモノを好きな時に食べられる。そんな生活がしたい」

「異世界だって話してませんでしたっけ?」

「中世ヨーロッパだろうが原始時代だろうが、世界観がどうかは関係ない。現代日本にもないような未来的なテクノロジーを駆使して、掃除洗濯炊事から何もかも――生活に必要なことは全て機械がやってくれるような、一軒家を用意してくれればいいんだ」


 ファンタジー世界で剣と魔法を駆使して戦う。そんなのは興味がない。


 寝て起きて食べて、たまに室内で筋トレして――。ネットサーフィンして、動画サイトや漫画アプリはたまた小説投稿サイトを閲覧して、時間を潰す。

 それさえ出来るのなら、周りがファンタジーだろうが世紀末だろうが、関係ない。


 安全な家に守られて、寿命が来るまで家の中で暮らし続ければいいだけなのだから。


「……通販やデリバリーは流石に無理ですけど、一応ご所望のモノはご用意できると思います」


 半分くらい飲み込まれたペンを鼻の穴から器用に抜き取りながら、ギャル女神は呆れたような顔でそう答えた。


「他に何か必要なモノはありますか?」

「思いつく限り、今挙げた以外のモノはないけど……。本当に出来るんですか?」


 桂祢も内心断られるだろうなと、無茶苦茶な提案をしたつもりなのだが。


「外部からの干渉を許さない丈夫な家屋。誰のものでもない土地。水道電気ガスその他諸々は、天界の方で何とかするとして……。その他必要な家電は、科学の進歩した世界のモノをお借りすればいいですよね……。1000年単位で保存可能な食事も、確か発明されていたはずですから、収納さえ用意しておけば食事もなんとかなりますし」


 ブツブツと色々呟きながら、さっきまで口とか鼻とかに入れていたペンで、何やら書き込んでいくギャル女神。


「はい。受理されました。悪戯や犯罪防止のため、電話やネットの干渉など一部に制限はかけさせてもらいますが――遡那桂祢さんが元の世界で嗜んでいた趣味は、引き続きお楽しみいただけます。掃除洗濯お食事の用意なども、命じれば全部機械がやってくれますのでご安心を」

「え、マジで? 本当に?」

「はい。あ――ですが、ご自宅から出た後のことに関しては責任は取れませんので、そこはご了承くださいね。あくまで、家の中にいる間は、安全です。つまりこの“家”そのものが、無敵のチート能力みたいなものだとお考えください」

「分かりました! 大丈夫です。俺、家から出ないことだけはめっちゃ得意なんで!」


 何やらイロイロ書き込まれた書類に、拇印を押す。

 すると紙が光り輝き、放出する光の渦に桂祢は瞬く間に飲み込まれた。


「それでは、いってらっしゃーい」


 心なしかウキウキした語調で、女神に送り出された。




 ◆◇◇◆




 光が消えると、桂祢ケーネは白い部屋に立っていた。


 だがそれはさっきまでの不可思議な空間とは違い、床があり、壁があり、天井があった。


「おおお……」


 一人では充分過ぎる広さのリビング。


 ぱっと見渡しただけでもテレビ、冷蔵庫、テーブルにソファと最低限の家具や家電は用意されており、まるでホテルの一室のようだ。


「すげえ、すげえよ……」


 壁の隅を見ると、どこかで見たことのあるロボット掃除機が充電されていた。


 元々住んでいた自分の部屋よりも、格段に住み心地が良さそうである。


「ひゃっほぅ! 俺は自由だ! この家の王者だ、帝王だ――――!」


 不思議な踊りを舞いながら、桂祢ケーネはこの清々しい気持ちを太陽目掛けて叫んでやろうと、カーテンをばっと開けた。


 ――外では、火山が噴火していた。


「へ」


 赤く燃えた岩石が、窓の外に落下する。

 凄まじい衝撃に辺りの岩肌に亀裂が入ったが、家の中はビクともしない。


 空を見上げると、見慣れないモノが悠々と中空を翔けていた。


飛竜ワイバーン……?」


 窓を開ける勇気はなかった。

 桂祢ケーネはカーテンを閉めると、ソファに腰を下ろし、思い悩んだ。


「何なんだ、コレは……」




 ◆◇◇◆




 桂祢を見送ったギャル女神は、使っていたペンを口に含みゴクンと飲み下すと、鼻を摘まみ、パーンと耳からクラッカーのようなものを鳴らしてみせた。


「きゃはん☆ ちゃーんとお望み通りの“おうち”は用意したよん。でもでも、どこに建てるかの指定は、なーんにもなかったもんね☆」


 さっきまでの事務的な態度はどこへやら、キャハキャハと高い声で笑いながら、ギャル女神は楽しそうに小躍りする。


「暇つぶしに下界人の書いた小説読んでたら、やってみたくなっちゃったんだよねー。同姓同名の人と間違って死なせちゃいました? きゃははっ☆ そんなこと現実にあるわけないじゃん。天上人は下界人が勝手につけた個人の名前なんて、逐一把握してないもーん☆」


 ジッパーを下ろし、身体をくねらせナース服を脱ぎ捨てる。

 ギャル女神は悪戯っぽい笑みを浮かべ、ついさっき桂祢が拇印を押した書類を、じっくりと眺めてみせた。


「題して『異世界に放り込まれた引きこもり青年。女神様の祝福たっぷりのチートアイテムさえあれば、生き延びられる説!』なんてね☆」


 露になった褐色の背中には、悪魔を模したタトゥーが黒々と刻まれていた。

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