第346話

 思えば……最近はカルアやシャルに振り回されて色々と見失っていたように思う。

 すぐに性的欲求に駆られて肉体的な接触にばかりを意識していた。……カルアの言う「放っておいたら死ぬかもしれない」と言われていたのは過去のことだ。


 もう大きな危険は去ったわけだし、無理に急いで子供を作る必要はないわけだ。


 シャルはなんだかんだとカルアやクルル、それに俺の影響で興味を持ってしまっているだけなので説得は容易だろうし、カルアも一度自分から断ったこともあって説得出来る可能性もあるし、出来なくとも途中でヘタレるなら問題はない。


 一度は欲に負けたが、今度こそはちゃんと節度を保ち、大人になるまでちゃんと待とう。


 そう思いながらシャルと一緒に寝室に向かい、ベッドがあるのに床で丸まって寝ているネネを見つける。


「……ネネさん、風邪引きますよ」

「……いや、そこ、窓から日が当たっているから暖かいのかもしれない」

「ベッドに運んであげます?」


 シャルがそう言ったとき、ネネはむくりと顔を上げて眠たそうな目を俺に向ける。


「必要ない」

「起こしたか。悪いな。俺も少し寝るつもりだけど大丈夫か?」

「……どうせ、そろそろ起きるつもりだった」

「どこか行くのか?」

「……迷宮に」


 素直に答えてくれたことに驚きつつ、ネネがすぐに出て行くことがないように一歩下がって扉の近くに移動する。


「迷宮なら、俺も同行していいか?」

「今から寝るんだろう」

「そのつもりだったけど、時々は金を稼ぐために働かないといけないんだしな。それなら一人で行くのよりかは効率がいいから今行こうかと」


 俺がそう言うと、ネネは立ち上がらせた体をベッドの方に傾けてポスリと音を立てて倒れて、俺がいつも使っている枕を手に取って抱き寄せる。


「……私が心配なだけだろ。いい。行かないから、寝ろ」

「いいのか?」

「今の必要はない。睡眠不足のランドロスに追いかけられても面倒くさいだけだ。バカ」


 何か悪口を言われて拒否された雰囲気だが……要するにつまり、俺が心配だから止めるということか。

 素直にそう言ってくれればいいのに。まぁ、ネネはそう出来ないんだろうが。


「あっ、僕は寝ないので隣のお部屋でぬいぐるみ作ったりしてますね」

「ん、ああ。何かあったらすぐに起こしていいからな。些細なことでも。何ならなんとなく寂しかったとかでも」

「……寂しいのはランドロスさんですよね。ネネさん、ランドロスさんは寂しいと眠れない人なんで、よろしくお願いしますね」


 シャルはそう言って寝室から出ていく。

 それって、十一歳の女の子が二十歳の男に言う言葉だろうか。

 旅をしていたときや森で人間から隠れて過ごしていた時もひとりだったのだから、ちゃんと一人でも寝れる。


「……ひとりだと、寝れないのか?」


 ドン引きした表情でネネが尋ねてくる。


「そんなわけないだろ。ネネじゃあるまいし」

「さっきまでひとりで寝ていただろ」

「俺も最近までずっとひとりで寝ていたし、同じだ、同じ」


 そう言いながら俺がベッドに寝転がると、ネネは少し腰を浮かして俺から離れた場所に体を避ける。


「避けられると少し傷つくんだが」

「傷つけ」

「俺が傷ついたら悲しい癖に……」


 などと口喧嘩のような、ただのじゃれあいのようなことをしていると、少しずつ眠気がやってくる。

 俺が目を閉じると、ベッドが少し浮いてから沈むような感覚がして、体に掛け布団が乗せられる。やっぱり、なんだかんだと言いながらもネネは優しい。


 少しずつ意識がなくなっていく中、ネネは俺の腹の上に頭を乗せて横になる。


「……日の出ているときに寝たら、太陽に嫌われて運が悪くなるそうだぞ」

「今それを言うのか……。あー、それ、昔、母に言われたな。懐かしい」


 俺がそう言うとネネがもぞりと顔を動かす。


「……ランドロスの母親が?」

「何かおかしいのか? この辺りの伝承や童話みたいなものだったか?」

「いや……先生、シャルから聞いたもので……教会の「日中はちゃんと働け」という教えを子供向けにしたものだと」


 眠い目を擦りながら薄く目を開くとネネが俺の腹の上でじっと俺の方を見つめていた。


「そんなにおかしいか?」

「おかしいだろう」

「まぁ……おかしいか。子供に教えるぐらいの信者なのに、神の敵である魔族と結婚したのは。……でも、信者というわけでもなく、たまたま知ったことを口にしただけかもしれないしな」

「それはそうだが……。いや、まぁそうか。実際どうだったかは分からないが」

「もし敬虔な信者だったとしても構わないしな」


 そう言いながら手を伸ばしてネネの手を握る。言い訳作りのように軽く抵抗されたあと、ネネはそ諦めたように握られたままにしておく。


 その手の温もりに安心感を覚え、意識が深くへと沈んでいき……ネネの手が俺から離れた感触で目が覚める。


 何時間寝ていた? 感覚としては一時間と少しぐらいか? まだ眠いが、ネネがどこかにいくつもりなら俺も起きて……。と思いながら目を開けようとした時、唇に生暖かい空気が触れた。


 それが生き物の呼吸音だと気がつき、ばっと目を開けると、自分の髪を手で抑えたネネの顔が目の前に見えた。


「……ネネ? 何をしているんだ?」

「っ! な、なな、なんでもない。……静かだったから、死んでいたのかと思っただけだ」


 珍しく慌てた様子に察しが着く。


「……ああ、キスをしたかったのならそう言ってくれればいいのに」


 そう言って体を起こそうとした次の瞬間、ネネに腕を掴まれて体をひっくり返されて上に跨るように座られる。


「だれが、お前となんか」

「いや……照れ隠しに関節を決めるのはやめてくれ」

「……本当にするつもりはなかったからな。お前が、私のことを愛していないことぐらい。同情で相手にしていることぐらいは察している。だから、するつもりはなかった」


 ネネは手を離して、俺の上に乗ったままポカリと俺を叩く。


「……いや、好意を持ってくれたら誰でも嫁にするって訳じゃないからな。クウカは拒否しているだろ。街中で声をかけられても断っている」

「……そういうのは、いい。お前が見た目は小さくて可愛らしい女の子が好きで、中身も女の子らしい方が好みなのも見ていれば分かる。私がそれに欠けているのもわかっている」


 表情は見えない。うつ伏せになっている上に乗っかられていて、見えるはずはない。けれど、それでもどんな顔をしているのかはよく分かっていた。

 頭の中で慰めの言葉を探して、励ましの言葉を紡いで、さあそれを口にしようとしたときだった。


「ネネ、お前は美しい」


 自分の喉から出てきたのは、そのどちらでもないものだった。


「……えっ」


 ネネは困惑の声を上げるが、混乱しているのは俺も同じだ。いや、俺は何を言って……取り繕おうと思ったが、取り繕う言葉よりも先にその言葉の続きが思い浮かんでしまう。


「……ネネは、頭もいいし器量もよく、探索者としても優れている。幸せになろうと思えば、俺なんかに頼らずとも簡単だろう」


 身動ぎはない。さっきまで手に取るように分かっていた表情が分からなくなっていき、引かれていないかとか、気持ち悪がられていないかとか不安に思いながら続ける。


「そうしないのは、ネネが誰よりも高潔だからだ。易きに流れるだけで幸福になれる。不幸になるのよりもよほど手軽に、自然に幸せを手に出来るのに、そうしない。強い英雄より、高位の聖職者より、気高く高潔だ」


 口の悪さは自信のなさの表れで、その卑屈なまでの自信のなさは、高い理想とそれに対する意欲が出てきているからだ。


 小っ恥ずかしいことを言っていることは分かっている。だが、だからこそ、今、言わなければならない気がした。


 ネネが俺の上から退いて、部屋から出て行こうとする。俺は急いで立ち上がってネネの華奢な肩を掴む。


「ネネの優しさも、気高さも、美しさも、格好良さも、高潔さも、全部知っている。だから、俺はネネのことが好きだ」


 逃げようとしているネネの肩を引いて、剣のタコが出来ている手を握る。今もまだ努力を続けているのだろう、皮の捲れた跡は真新しく、ピンクの薄い表皮が見て取れた。


 怪我の跡など、ボロボロになっている手など、女からしてみれば見られたくないのかもしれない。けれど、それでも──。


「ネネ、お前は綺麗だ。だから……」


 俯きながら振り返ったネネの顔は真っ赤に色づいて、必死な表情で俺から目を逸らしていた。初めて見るネネの仕草に思わず手を離す。


「っ……バカ男っ!」


 扉が開けられて、すぐに閉じられる。

 ネネを触った手が嫌に熱く、思わずそのまま床にしゃがみ込んだ。


「あー、くそ、もっと上手くやれよ、俺」


 寝起きとは言えど……酷すぎた。手で顔を抑えると、手の熱が顔に移っていくように熱くなる。

 ……顔、熱。というか、俺ダサすぎるだろ。

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