第147話

 結局話し合いで済むなら最初からそうしていれば良かったのに……。

 夜起きていられる時間はあまり長くない。明日シャルとの婚姻届を書いて提出するように約束させられる。


 クルルとシャルはそのあとすぐに寝て、昼まで寝ていた俺とカルアは約束していた夜の散歩に出かけることにする。


 真っ暗な夜の街の中、もう昼間にでも散歩出来るようになったけれど……他人がおらず、信頼出来る人が隣にいるという状況はとても身体が安らぐ。


「……良かったのか? せっかく勝ったのに」

「いいんです。……ん、暗くて周りが見えにくいです」


 暗い夜道、カルアが転ばないように手を握りあい、指を絡ませる。

 いや、転ばないようにというのはただの言い訳だろう。こんなにしっかりと指を絡ませる必要はないのだから。


 けれど、そんなバレバレな言い訳を用意しながら触れ合うのは嫌いではない。


 俺が尋ねると、カルアは甘えたように俺へと肩を寄せながら歩く。


「……本当は、一番が良かったです」

「……だよな」


 暗くてカルアの顔はよく見えないが、声は少し悲しそうなものだった。


「……あ、今からやっぱり譲るのはなしなんて、ワガママは言わないですよ。でも、ちょっとだけ甘えたいというだけです」

「……悪いな。いつも苦労をかける」

「苦労はしてないですけどね。……あ、そうだ。近くなんで、買った土地の方に行きましょうか果樹林になってるはずなんで」


 カルアに手を引っ張られて門の近くまで向かうと沢山の木が生えた場所があった。果実は既にほとんど収穫されているようだが、木の形や葉の形から全部同じ木だと分かる。


「……一日でこれか」

「効率は悪いですけど魔力の属性変更も出来るので増やそうと思ったら数倍は作れますよ。土地が足りないので、国土の狭いこの国だと限界がありますが」

「どうするんだ?」

「最終的にはもう一本の塔を建てます。お手本と理論があるので、さほど難しいことではありませんしね。当面は技術をほぼ無償で提供して、勝手に余っている土地を有効活用させることにします。儲けは薄いですけど、細かい調整や研究、データ集めを人任せにすることが出来るはずです」


 本当に欲がないな。

 カルアは片手でペタペタと木を触ってクスリと笑う。


「……もう世界を救えるぞって時に、一番だの二番だのと、揉めていたのも格好悪いですよね」

「俺の感覚としては、世界がどうこうよりも周りの人との関わりの方が大きいけどな」

「私もです。……例えば、迷宮の知識が全部手に入る代わりにこの散歩の時間がなくなってしまうとしたら、迷宮の知識なんていらないって思ってしまいます。世界よりも、散歩道の方を大切に思ってしまいます」


 カルア青い瞳が俺を見つめる。

 俺のことを見つめてくれるこの青い瞳が好きだ。俺の名前を呼んでくれる小さな口が好きだ。


 そっと、俺の胸にカルアが身を寄せる。


「……ランドロスさんは、どうでしょうか」

「そりゃな。言う必要ないだろ」

「聞きたいです」

「カルアとの時間の方が大切だ。……というか、世界を相手に嫉妬してた」


 俺の言葉にカルアはクスリと笑う。


「……ええ、世界に嫉妬ってなんかとんでもなく規模が大きい嫉妬してますね」

「いや、俺の規模が大きいんじゃなくて、カルアが大切に思ってるからだからな。カルアが大切にしてるものなら、何にでも嫉妬する」

「……ふふ、そうですか。自分は三股してるのに、ワガママです」

「……悪い」


 カルアは俺の腰に手を回して、少し顔を上げる。


「……許してほしいですか?」

「まぁ……許してほしい」

「大切にしてくれるって、約束してくれます?」

「当たり前だろ」

「えへへ、じゃあ私もランドロスさんのことを世界よりも大切にします。救世主を辞めて、救ランドロス主になってあげます」


 夏の風が俺とカルアの間に吹く。籠もった空気よりも心地よいはずなのに、間を通り抜けられるのがどうしても嫌で、カルアの方に身を寄せた。

 俺のものよりも小さな身体。強く掴めば折れてしまいそうな細身だ。


「だから……その……今日は夜空に雲がかかっていて、暗いですから」


 まだ幼いかんばせが俺の方に向く。

 青い目が閉じて白い頰が紅潮していく。小さな体を精一杯に俺へと近づけるようにちょこんと背伸びをして、身体を硬直させながら俺の反応を待つ。


 どうしようもなく愛おしく、少し強引にカルアの身体を掴み、瞳の閉じられた顔に近づいていく。

 互いの吐息が触れ合うような距離、暗くて見えにくいのに真っ赤になっていることがよく分かる。


 背中を抱いている腕にカルアの心臓の音が伝わってくる。緊張が俺にも移り、口付けようとしていた唇が止まってしまう。


 一度止まってカルアの顔を見てしまうと、余計に緊張して身体が硬直する。ふたりでガチガチに固まる。

 少しばかり……カルアが美人すぎて冷静ではいられない。


 けれど、この場で離れるのはヘタレすぎるだろう。いや、変に離れるのもカルアを傷つけるし……ほんの1センチ動かせばいいだけなのにそれが出来ない。


 だって、目の前でカルアを見たらあまりにも肌とかまつげとかが綺麗すぎて、息が上手くできない。

 俺が覚悟を決めて口付けようとした瞬間のことだった。ちゅ、と唇に柔らかい感触がする。


「……ヘタレ、ヘタレランドロスさん」

「ち、違うぞ。いや、ヘタレと言うならカルアもだろっ!」

「あんな寸前で止まる人がいますか。緊張で死ぬかと思いましたもん」

「それは悪いが……カルアも触る寸前に止めたよな」

「……それはそれです」


 理不尽な……。と、思っているとまだ俺の腕の中にいるカルアがクスリと笑い、俺も釣られて同じように笑う。


「もう一度、目を閉じてくれるか?」

「……爪先立ち辛いんですから、今度はちゃんとしてくださいね」

「……ああ」


 笑い合って緊張がほぐれ、目を閉じたカルアにゆっくりと顔を近づけて、唇同士を触れさせ合う。

 一度、二度、三度と繰り返したあと、ギュッとカルアの手が俺の服の裾を掴み、ねだるように小さく引かれる。


 少し強く、カルアの柔らかい唇が歪む程度に唇を押し当ててしっかりとくっつける。それから少しの時間くっつけ合う。


 それでもまだ服が引かれる。俺の手はカルアの身体を逃がさないように掴み、強引にカルアの口内に舌を侵入させる。


 掴む必要もないほど逃げようとせず、強引にする意味がないほど呆気なく舌先が入り込む。

 カルアは驚いたような声をあげようとするも、けれどちゃんと声を出すことは出来ずにくぐもった声を上げる。


「ん、んんっ……んぅ……」


 果樹林の葉が揺れる音に混じって水音が鳴る。少し舌の先が唇を押し除けただけと言うのに、強い興奮とカルアを求める気持ちが強くなる。

 けれど少し息苦しそうなカルアの声に舌を引っ込めて唇を離す。


 ふたりの唾液の混じった白い糸が唇から伸びてプツリと途切れる。


 真っ赤な顔のカルアは俺を恥ずかしそうに見ながら息を整え、整わない息のまま、もう一度背伸びをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る