第138話

 少し異様な光景であり、門の方から数名の兵が向かっていく。

 どういうことなのか気になって目を凝らすが、遠すぎて何も分からない。


「……なんだろ。アレは」

「あまり物騒な感じじゃないけど……移民とかかなママ」


 クルルはママではない。

 三人でしばらく様子を伺うが何も分かるようなことはない。既に日が沈みかけていることや、自分達が出る幕ではないことなどから、今日はギルドに戻ることに決める。


 ギルドに戻るとカルアが飛び出してきて、すんすんと俺とマスターの匂いを嗅いで頷く。


「よし、身体を拭いたりした匂いはないですね」


 マスターに手を出したと思われている……。いや、理性ギリギリではあったが……。信用がない。


「じゃあ、またね。ランドロス。ちょっとはしゃぎすぎて眠くなっちゃった」

「ああ、ゆっくり休めよ」


 そう言って別れるが、多分マスターは昨日や一昨日のように俺の部屋に来て寝るつもりだろう。……こんなに連日同衾していたらいつかバレてしまいそうな気がする。


 シャルがとてとてと寄ってきて、俺の手をギュッと握って、物陰にまで俺を引っ張り、唇にちゅっとキスをする。


「よし、です」

「……おう。あ、ただいま。……そういえばカルア、さっき門の外で移民のようなものが見えたんだが……何か分かるか?」


 カルアは小首を傾げながら、テーブルに並べていた本や紙を片付けていく。


「移民みたいな人達なら移民なんじゃないですか? ほら、ちょうど例のガルネロさんの事もありますから……。移民が発生する可能性は十分に考えられるかと」


 そう言った後、片付けていた紙を再び机の上に並べ直す。日の光がなくなり、暗くなったギルドで文字を読むためか、カルアは光の魔道具を付けて机の上を照らす。


「何をしてるんだ? 寝ないのか?」

「ん、移民が来たとなると、ついに私の出番ですからね。予定よりも早くこういう事態になったので急がないと」

「……出番? 急ぐ? 何の話だ?」

「勿論、救世主なんですから、救世です。計画していた野菜の大量生産の工場を無理矢理にでも作ります」

「……本気か? 金は足りるか?」

「本格的にやるには足りません。全くですね。ですが、ミエナさんの植物魔法を改変して急速に野菜を育てるだけなら、魔力のゴリ押しでどうにでもなりますからね。聖剣さんの魔力を吸い取らせてもらって、新たな【属性変換】の装置を使ってミエナさんの植物魔法の魔力に変えます。ここのところの調整の技術は私かイユリちゃんしか出来ないものですからね」


 カルアが何を言っているのかほとんど分からなかったが、分かるのは一つだ。カルアは本気で世界を救うつもりで、手始めに飢えた移民に野菜を渡すつもりのようだ。


「なので、今日は少し作業があるので先に寝ていてください」

「……あー、分かった。シャル、多分マスターもいるから部屋で寝ていてくれ」

「あ、はい。……お先に失礼しますが、カルアさんは無理しないでくださいね?」


 シャルはミエナと共にパタパタと寮の方に向かい、俺は暗くなり、人のいなくなったギルドを見回してから、カルアから少し距離を置いた席に座る。


「先に寝ていてくださいというのは、ランドロスさんにもなんですけど」

「いや、さすがに人が自由に出入り出来るギルドに一人残しておくのは不安だ」


 カルアの圧倒的な可愛さに、ストーカーが一人や二人や十人や百人いてもおかしくはない。

 少し困った表情とカルアを見つつ、俺はあくびをしながら言う。


「別に眠くなったらここで寝るから俺の体調に付いては気にするな。あと、気にしてるみたいだけど……俺はカルアが無茶をしていても止めないぞ。どうせ止めても止まらないだろうしな」

「……よく分かってますね」

「恋人だからな」

「ん、んぅ、まぁ、明日の朝まで私がやれることをやって、細かいところはイユリちゃんに丸投げするので、朝には寝ますよ」

「了解。……じゃあ、力にはならないが頑張れ、欲しいことやしてほしいことがあれば気軽に声をかけてくれ」


 カルアは「してほしいこと……」と呟くように口にしてから、パチリパチリと、緊張したように息を飲んで口を開く。


「……では、イユリちゃんと代わった後、マスターと先日寝ずに夢中でやったという例のことを……」


 俺としてはお茶を入れたり夜食を用意したりのつもりだったんだが……まぁ、断る理由はないので頷いた。


 改めてカルアが何かを書き始めたのを横目で見て、思わず見惚れる。とても、可愛い。


 ……カルアは特別な人だ。

 俺は自分の強さを理解している。借り物のちからではあるが魔王の雷まで手にしてしまっている俺は、並大抵の人がいくら束になろうとも負ける事はないだろうし、おそらく現在この大陸で一番強いだろうと思う。


 ……だが、それは強いだけだ。

 カルアは違う。本当に世界を救える実力がある。

 俺は強いだけで外敵を追い払うことしか出来ないが、カルアはきっとその外敵ごと助けることが出来るだろう。


 カルアが俺を好きなのか不安に思ったのは、度々金をせびられるからではない。カルアが本気を出せば金なんて幾らでも集められるが、そうしないのは単に俺に甘えるのが好きという嗜好のものである。

 甘えるために甘えているのであり、金というものは実質的にはどうでもいいのだ。


 不安に思ったのは、ただ、ただ……到底不釣り合いだからだ。

 迷宮国一番の強さでもまだ足りない。世界最強でもまだ足りない。

 世界最強なんて、歴史を思えばたくさんいる。だが、カルアという救世主は今この場にしかいないのだ。


 カルアの白い指先が文字を綴っていく。通常の言語では表現しきれないためか、度々、今まででは存在しなかった文字や単語が綴られていく。


 その一挙一動が歴史の転換期であり、一文字一文字が人類の歩みである。


 ……邪魔をしたい。と、思った。

 カルアはおそらく成功を収めるだろう。明日か明後日か、遅くて三日後には。


 成功すれば金が集まる。これまでのようにカルアにたかられることはなくなってしまう。

 成功すれば人が集まる。俺なんかよりもよほど優秀な男がカルアの周りに来るだろうし、カルアのように頭が良く端正な容姿の持ち主は多くの男から求愛を受けることだろう。


 失敗してほしい。そんなことが起こりえないと分かっているのに、失敗してほしいと願ってしまう。

 脚を引っ張りたい。今存在している研究成果をすべて破り捨ててしまい、これ以上綴ることが出来ないように監禁したい。


 ……そんな嫌われることが出来るはずもない。


 俺はただ、今までと同じようにカルアとバカな楽しいやりとりをしたり、ヒモ呼ばわりされてむきーっと怒っている姿を見たいだけなんだ。


 俺のそんな思いの中、時間は進み、カルアはこれまでの研究のまとめとなるものを書き上げて、ふぅ、と息を吐き出した。


「後はイユリちゃんに術式を組み上げてもらって、魔道具を用意したら終わりですね」


 もう朝日が見えていた。数人のギルドの仲間が朝食の下準備のためにギルドに入ってきていて、カルアはぐったりと机にもたれかかる。


「出来ましたよー。野菜の生産プラントの理論。まぁ、ほとんど迷宮の仕組みの流用ですけどね」

「……そうか」


 おめでとう、と祝うことが出来なかった。

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