第128話
出所してギルドのみんなに挨拶をしてから自室に帰ってきた。
マスターは今日も会議で外に出ているそうなので、風呂を借りるのは諦めて、布を水で濡らして身体を拭いていく。
数日分の汚れを落とし少しスッキリしたところで、落ち着いてきたせいか、自室に残るカルアとシャルの匂いに身体が反応する。
まだ少し残っているだろう瓦礫撤去の手伝いをするつもりだったが、ふたりの匂いに頭が酔う。
ここ数日の禁欲と、おっさんとの生活。
そんな中で久しぶりに感じる少女の甘い香りは、正直堪らないものがあった。
……異空間倉庫の中に、返しそびれたクルルの写真がある。いや、ダメだ。それは、ダメだ。人としてやってはいけないことだ。
少し休んでから瓦礫の撤去に向かうつもりだったが、このままでは欲に負けて許されない行動をしてしまいそうだ。早くこの部屋から出てしまおう。
……こんなにも俺の心を乱すものは、早くマスターに返さなければ……夜に会いに行ってちゃんとを謝って処分しよう。
俺は誠実な男になるんだ。いつも欲望に負けて、ずるずると情けない不誠実な行動ばかりをする俺とは決別するんだ。
そう覚悟を決めて、俺は街へと飛び出した。
◇◆◇◆◇◆◇
……やっぱり、返すのは明日にしてもいいだろうか。
いや、違う。これは返すのがもったいなくなったというのではなく、あくまでも、あくまでも……忙しいギルドマスターが休んでいるところにお邪魔するのが良くないという配慮であり……。
……いや、遅くなればなるほどに返しにくくなってしまうだろう。それに、今の状況でこんなものを持っていたらあらぬことをしてしまいそうだ。
俺は変わったんだ。誠実になると決めた。
カルアとシャルがベッドでひっついて寝ているのを横目で見ながら立ち上がり、扉を開けて部屋から出る。
悩んでいる間にふたりは寝てしまったが、決意は出来た。
クルルに写真のことを謝る!
そう考えながら、クルルの部屋の扉をノックする。少しすると寝巻き姿のクルルが出てきて、俺の顔を見て嬉しそうにはにかむ。
夜の暗さの中、部屋の中の灯りが廊下に照らされて、後ろめたい気持ちになりながら頭を下げる。
「こんばんは、どうしたの? ランドロス」
「ああ、いや、依頼が終わって帰ってきたのにまだマスターに挨拶出来てなかったから来たのと……」
クルルの写真を得て、あろうことかそのまま隠し持とうとしていたことに対する後ろめたさから目線を下げると、デートの約束をした時の夜と同じ寝巻きを着ていることに気がつく。
言い淀む俺にクルルは不思議そうに首を傾げてから、少し拗ねたように薄桃の唇を尖らせる。
「二人のときはマスターじゃなくて、ね?」
「あ……わ、悪い、クルル」
悪戯げに笑みを浮かべたクルルに手を引かれて部屋に連れ込まれる。鼻腔に感じるしゃぼんと少女の混ざった匂いに、心臓が早鐘を打つ。
丁度、寝る前だったのか、ベッドには人が抜け出したような跡があった。
クルルは嬉しそうな表情を浮かべて、机の上に置いてある明るい光を発するランプの魔道具を手に持つ。
「あ、ほら見て、あの宿にあった光の魔道具買っちゃったの。ちょっと安くなってたやつを買ったからか、あの部屋ほどは明るくならないんだけどね」
「ああ、これはいいな」
「えへへ、これがあったらこういう時も使えて便利だよね」
夜中だというのに、クルルの愛らしい顔がよく見える。
暗くて見えにくければ緊張が和らぐと思っていた算段が呆気なく崩れてしまう。
もう少しゆっくりと会話をしたいと思ってしまうが、マスターは明日も仕事があるので夜遅くまで付き合わせるわけにはいかないだろう。
意を決して、クルルなら怒らずに許してくれると信じて口を開く。
「そ、その、ネネがミエナから回収して持っていた写真をたまたま手にしてしまって……燃やしてなくしたり、クルルに返すべきだと思っていたんだが……」
「こ、こんなの持ってたんだ。……なんでそうしなかったの?」
顔を赤らめながら俺をベッドの縁に座らせて、写真を挟んで隣に座る。ワンピース型の寝巻きから伸びる白い脚に視線が向かってしまい、クルルはそれに気がついたのか、スカートの裾を少し引っ張ってふとももを隠す。
俺が、謝っている今もクルルのことを魅力的な異性として見ていることに、クルルも気が付いたのだろう。
幼さのある瞳は少し潤んでいて、羞恥に染まった頰は色艶めいて見える。
そんな幼い童女の問いかけに心臓を大きく鳴らしている俺は、側から見れば滑稽な姿をしているだろう。だがそこにはそんな側から見るような人物がいるはずもなく、俺とクルルだけの空間だ。
「……もう手に入らないことを思うと、もったいなくて燃やすことも出来なかったし、返すのも嫌われたらどうしようと思って出来なかった」
「そっか。……そんなに、自分のものにしたかったんだ」
「それは……まぁ、その……そうだ」
「……いいよ、持ってて」
クルルの言葉に驚いて彼女の顔を見ると、羞恥に頰を染めながら俺から目を逸らしていた。
「その、男の人って、女の子のそういうのを見たいんだよね? 多分、ランドロスのことだから今まで見ないように我慢してたよね? そ、その、いいよ……?」
足元をもじもじすりすりと動かしながらクルルは言う。
いいのだろうか。いや、いいと許可されたのだから……いい……の、か?
俺の理性はクルルの言葉にガリガリと削られていき、葛藤しながらも欲望に負けて写真を再び手に取ってしまった。
手に取ってから……これだと今からクルルの写真をかじりつくように見ると告白しているようなものではないか。
実際その通りすぎるほどその通りで、クルルもそれに気がついてか、顔を羞恥で真っ赤に染めているも全然嫌そうではなく、むしろ喜んでいるようにすら見える。
俺に異性として見られていることが嬉しいのだろう。
会話が途切れ、クルルと目が合う。俺がクルルを好きなのは気づかれているだろうし、俺もクルルが俺のこと好きなのにも気がつく。
クルルはそんな空気を誤魔化すように「で、デート、楽しみだね」と破れかぶれに発言した。
「そうだな。デート……楽しみだ。考えただけで緊張するが」
俺が思わず弱音を口にすると、クルルは俺の手を上から握る。
好きあっていることは理解している。だからといって初めてのデートが平気になるというわけではない。
クルルに握られている手から、俺の心臓の音が通じてしまうのではないかというぐらい強く大きく心臓が拍動する。
「私も、最近夜ずっとデートのことを考えていて、ドキドキしてるよ。待ち遠しいのに、来るのがちょっと怖くて……えへへ、お揃いだね。ランドロス」
恥ずかしそうにクルルはそう吐露して、そっと肩を俺の方に寄せる。
小さな体の小さな肩。体重を預けられても大した重さがない。微かに感じる重みと、子供らしい暖かい体温、鼻腔をくすぐるしゃぼんと少女の混じった匂い。
クルルは俺の腕にすりすりと、自分の匂いを付けるように頬擦りをしてから、はにかみながら俺に尋ねる。
「ランドロス、甘えてもいい?」
「ああ、でも、明日には支障がない程度にな」
「もちろん」
このまま頭を撫でればいいだけだろうと思っていると、クルルは予想外に立ち上がり、俺の前に来て手を広げて俺に抱きつく。
勢いよく抱きつかれたものの、体重差があって俺は後ろに倒れるようなことはなくクルルの身体を受け止める。
だが、クルルはそうしたかったわけではないのか、ベッドの縁に座る俺に抱きしめられた体勢のまま、ぴょこぴょこと床を爪先で蹴って俺を押し倒そうとする。
もちろん、そんなクルルのか弱い足先の力で俺を押し倒すことなんて出来るはずもないが、それはクルルも分かっていることだろう。
だからこれは、言葉には出していないクルルの意思表示だ。
ぴょこぴょこと跳ねるクルルの動きに合わせてわざと後ろに倒れると、少女の幼いかんばせは満足げに笑みを浮かべて、ベッドに寝転ぶ俺の体の上にべったりと張り付いて、小さな肢体をすりすりと俺の身体に擦り付ける。
夏場ということもあり、お互いに着ている寝巻きは薄手のものだ。俺の筋肉質な身体の情報はクルルに伝わっているだろうし、クルルの華奢でふにふにとした柔らかさのある身体の感触は余すことなく俺に伝わってくる。
「ランドロスは、ランドロスは……いなくならないよね?」
その声に、俺はクルルを抱きしめる力を強める。
「当たり前だろ。……どうしたんだ」
「……お母さんが、いなくなったのも……夜だったから」
初めて耳にするクルルの家族の話。
幼い女児なのだから、いて当然の母親、いて然るべき父親。あるいは祖父母や兄弟姉妹。
クルルは自分から話したことはなく、ギルドの誰もが口にしないせいで、なんとなく聞いてはいけないことだと思っていた話題。
俺がここにいることを確かめるように汗ばんだ身体に手のひらを押し当てる。
「……生きてるね」
「……そりゃ、生きてるよ」
「……えへへ、そうだよね。心臓、めちゃくちゃ早く動いてる」
クルルは自分の心臓の音を棚に上げて俺の緊張を口にしてクスリと笑う。
「……ランドロス。デートするの、好意を確かめるためだったよね」
「……ああ」
「……私は、ランドロスのことが好き……みたい。仲間として、だけじゃなくて、その、男の人としても。その、本当はあの時には気がついていたけど……恥ずかしくて、誤魔化して」
クルルは甘えた声で俺に尋ねる。
「好きだって、分かったけど……。確かめるためって目的はなくなっちゃったけど、デート、してくれる?」
「……俺がしたいから、させてくれるなら」
「えへへ、嬉しい。好き、大好きだよ、ランドロス」
ぐっしょりと汗に濡れたまま、強く強く抱きしめられる。クルルの家族のことを聞きたいという思いもあるが、今はまだ早いかもしれない。
「……もっと前から、ランドロスがいてくれたらよかったのに。産まれたときからランドロスがいてくれたら、本当のお兄ちゃんだったら……寂しくなかったのに」
「……悪い。遅くなって」
「……本気で言ってないよ。だって、妹を相手にこんなえっちなことをするお兄ちゃんなんていないもん」
クルルは俺をからかうように言いながら、唇をツンと尖らせて俺の唇に引っ付ける。
「兄妹だったら、こんなこと出来ないもんね」
「……ああ、そうだな」
「たくさん甘えたから、今度はランドロスが甘えていいよ?」
そう言って、クルルは俺の頭を撫でた。
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