第117話
……不味くないか?
あれ、甘くていい匂いがして非常に飲みやすくはあるが、かなり酔いが回る酒だった。
シャルが飲んだのは一杯だけではあるが、俺と違って酒には慣れていないだろうし、そもそも身体が俺の半分にも満たない大きさである。
悪い酔い方をしなければいいんだが……と思っていると、シャルは赤らんだ顔を俺に向けてギュッと俺の腕を抱く。
「……シャル? どうかしたか?」
「ギュッとしたくなったのでギュッとしてるだけですよ。ランドロスさん……いえ、旦那さま? えへへ、まだ気が早いでしょうか」
気が早いというか……。俺が考えていると、シャルは酔った勢いで俺の腕を強く抱きしめる。
む、胸が、胸が……当たっている。全然膨らんでいないが、若干だけふにっとした感じのある胸が……!
これ、もしも夢だったら、起きたときに下が大変なことになってそうだ。
俺も全然酔いが覚めてなく、頰がシャルの可愛さに酔っているのに気がつく。
「ほ、ほら、こんな人目のあるところでひっつくのは良くないんじゃないか?」
「……カルアさんとはべたべたしていて、ネネさんの椅子になってる人が言うことですか?」
「えっ、お、怒ってる……のか?」
「怒ってはないです。……でも、カルアさんは慎みがないんじゃないでしょうか」
ええ、可愛い感じだと思っていたら、突然怒り出した。
シャルはごくごくと酒を飲んでからカルアに向かって言う。
「あのですね、あまり人前でベタベタひっつくのははしたないです。好きな人とひっつきたいというのは、僕にもとてもよく分かりますが、もっと恥じらいを持ってください」
「……えっ、あっ、はい」
カルアの肯首にシャルは満足げな表情を浮かべて、ネネの方にも目を向ける。
「ネネさんも、ランドロスさんを誘惑するのはやめてください。お姉ちゃん怒ってますよ!」
「……誘惑?」
「とぼけないでください。お尻を押し付けることでランドロスさんを誘惑しているんでしょう。ランドロスさんは女の子のお尻が好きですから」
「ええ……気持ち悪」
「気持ち悪くないですっ! 次、マスターさんっ!」
シャルに呼ばれたマスターは肩をびくっと震わせ、顔を俯かせる。
マスターは怒られることに慣れていないからか怯えたような様子を見せていたが、いつまで経っても次の言葉がないことを思ってか、ゆっくりと顔を上げた。
「ね、寝てる?」
「……まぁ、疲れてたんじゃないのか。多少時間も遅いし、酒を飲んでころっといっちゃったらしいな」
シャルは怒っている途中で意識を失ってグッタリと俺の上に倒れ込んでいた。
急だったので少し心配したが、気持ちよさそうにスースーと寝息を立てているのであまり心配はいらないだろう。
「……お、怒られなくて済んだ……」
「そんなに怒られるのが怖かったのか? ……あー、俺は仕方ないからシャルをベッドに運ぶ。……いや、俺も酔っていて眠いからそのまま寝るかも」
「あっ、じゃあ、心配なので私も一緒に帰りますね」
なんだかんだ、夜明けから休みなく働いていたので、かなり疲れている。
普段ならそういった疲れも我慢出来るのだが、酒が入ったせいか少し厳しそうだ。
メレクと商人はまだ飲むようで、ネネもそれに付き合うようだが、マスターもそろそろ眠いらしく俺達に着いてくる。
マスターの部屋はあと二階上のため、階段の途中で「また明日ね」とマスターが言い、それに返事をしながら階段から廊下の方に移動する。
カルアは階段を登ろうとしていたマスターに、ポツリと尋ねる。
「……さっきの、図星でした?」
「えっ、やっ、な、何のことかな?」
「…………いえ、何でもないです。おやすみなさい」
どうしたのだろうか。
カルアは少し難しい顔をしながら、俺の部屋に入る。
「あっ、その、シャルさんを着替えさせるのも、私も着替えたいのでちょっと待っていてもらえますか?」
「ああ、分かった」
酔い覚ましに風を浴びようと、近くにあった窓を開けて、窓の縁に腕を置いて夜空を見る。
ぬるい風を浴びる。
見上げた天は……いつか見た夜空と同じだった。
「……結婚か」
長年の夢だったことで、浮かれる気持ちもあるし、今すぐにでも走り回りたいが……いざそうなると、どうしたらいいかが分からない。
そもそも、俺に父親はいない。まぁ結婚するだけで親になるのは10年後とかだろうが、夫というのもよくわからない。
身近にも何人かの夫婦はいるし、一応シユウも妻帯者だが……どうにもみんなバラバラで参考にならない。
どうするべきだ。といった分かりやすい指標があればいいが……。
ガリガリと頭を掻く。……結婚か。
嬉しいが、不安だ。元々ろくでもない男なのだし、俺なんかが本当にシャルのことを幸せに出来るのだろうか。
そう悩んでいると、扉が開いてパジャマ姿のカルアが出てくる。
「どうしたんです? もっと大はしゃぎしているかと思ったんですけど」
「……いや、上手くやれるかが不安でな」
「結婚式をですか? 基本的に突っ立っていたら大丈夫ですよ?」
「いや、それもそうなんだが……夫をちゃんとやれるか、と、思ってな。父がいないからな。どうやったらいいのかが分からない」
俺がカルアにそう零すと、カルアはやれやれとばかりに深くため息を吐いて、俺の頭をぽすぽすと叩く。
「あのですね。……みんな画一的な夫婦でしたら、誰がいいって選んだりするはずがないでしょう。性格が好きとか、こういうところが好きとか。品がない話をするのでしたら、この顔が好きだとか、身体が好きだとか、お金が好きだとか。まぁ人それぞれ人を好きになって選ぶ基準があるわけです」
「……まぁ、そりゃ誰でもいいなんて話はないよな」
「じゃあ、シャルさんはランドロスさんが好きで選んだんじゃないですか?」
カルアは俺の頭をわしゃわしゃと雑に撫でて、俺の背中にコツンと額を当てる。
「どこにも同じ人なんていないんです。理想の人なんて人によって変わるものです。ネネさんは白馬に乗った王子様で、メレクさんはサクさんみたいな人が、商人さんは積載量の多い女性が、ランドロスさんは救世主系女子が好きなように……シャルさんはランドロスさんが好きで、ランドロスさんのような人に旦那様になってほしいんですよ」
カルアは後ろから俺を抱きしめる。熱帯夜で暑苦しいはずなのに心地よく、不安が取れていくようである。
「ランドロスさんと結婚したら突然白馬に乗った王子様みたいになり出したら、私は「詐欺だ!」って怒りますよ?」
「……じゃあ、どうしたらいいんだ?」
カルアはクスリと笑う。
「ランドロスさんは、ランドロスさんみたいな人になればいいんです。強いのに弱くて、優しくて甘ったるくて、努力家で見栄っ張りで、格好良くて格好悪くて、ちょっと性欲がおかしな方に向いているうえにすごくえっちで変なことをしてきて、浮気性で、お金の管理が杜撰で、体調管理が下手で、女の子に弱くて、すぐに凹んですぐに立ち直って……それで、とてもランドロスさんみたいなランドロスさんが、大好きなんです」
カルアは俺の身体から離れて、ニッコリと裏表のない笑みを浮かべて俺に見せる。
……途中から、シャルとのことに対する助言ではなく、カルアに告白されていたような気分になったが……勘違いだろうか。
白い髪を夜風に揺らしながら窓を閉めて、俺の手を引っ張る。
「……もちろん、私の話ですよ? シャルさんは分からないですけどね」
「……じゃあ、俺は俺のままでいることにする」
「シャルさんはもっとカッコいい人が好きかもですよ?」
「……カルアの理想が、今の格好悪い俺なんだろ。……王子様にはなれる気しないしな」
俺がクスリと冗談めかして言うと、カルアは嬉しそうに笑う。
カルアに連れられて部屋に入って、先に寝転がったカルアは俺の手を引いてベッドの中に導く。
可愛らしくあどけないカルアの笑みに、思わず心臓が大きく鳴ってしまった。ああ、俺は……やっぱりカルアが好きだ。
並んで寝ながら、そう思った。
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