第101話

 ギルド【迷宮鼠】のマスターが、そこに立っていた。

 それはただの偶然だろう。おそらく俺を探しに闘技大会の方に来ようとしたときに、シルガの発生させた状況に巻き込まれて、そして偶然出会ってしまった。


「……あ、な、何で身体が千切れて……」


 フラフラと寄って来ようとしたマスターを制止する。


「ッ……マスター! この男は危険だ!」

「ら、ランドロス……し、シルガが、シルガが怪我をして……か、回復薬、回復薬を持ってるよね。た、助けないと」


 俺の言葉が聞こえていないようにマスターがシルガに近寄ろうとしたところを、路地裏から飛び出してきたネネが抱きしめるようにして止める。


「……マスター、この状況を見て。また……シルガはこの町を襲っている」

「で、でも……このままじゃ……シルガは……」


 シルガは上半身だけのまま、ヘラヘラと笑う。


「ああ、あのガキか。クソガキか。はは、まだマヌケな面をしてるな。今回は止められないだろ」

「……ごめん。シルガ……私、ずっと、ずっと謝りたかったんだ。復讐なんてどうでもいいって、そう思ってもらえるように、居場所を作ってあげるべきだった。美味しいご飯を用意して、暖かい寝床を作って、そうして……あげられなくて……」


 今にも倒れてしまいそうなほど真っ青な顔をしたマスターをネネが支える。シルガは俺に向かって拳を振るい、俺はそれを後ろに逃げることによって回避する。


「はっ! 何、訳の分からないことをほざいてんだよ。ほら、つまらねえことを言ってねえで、泣いて騒いで、逃げ惑えよ!」

「ごめん。ごめんね。シルガ……私が一緒に謝ってあげるから、こんなこと、もうやめよう? ランドロスも、回復薬をあげて、治してあげて……それで、みんなでギルドに戻って……」

「……何、気色の悪いことを言い出してんだよ。気持ち悪いガキだな。……ああ、鬱陶しい、鬱陶しい! 俺に、謝ってんじゃねえよ!!」


 シルガの手が近くにあった石を拾い、マスターへと投げつける。それはネネが簡単に弾く。

 シルガは魔力を多く込めたのか、じゅくじゅくと音を立てて下半身を生やしていく。


「ああ……くそが! 鬱陶しい! せっかくいい気分だったのに、邪魔をしやがって!」

「……ネネ、マスターを頼む。闘技大会の会場の近くなら探索者が多くて安全なはずだ」


 俺がそう言うと、ネネはマスターの身体を離して短刀をシルガに向ける。


「……ランドロス。私がこの馬鹿を抑える。お前はイユリの元に行け」

「何を言っている。シルガは危険だと……!」

「殺す手段がない。封じる手段もない。……とりあえず、魔物が落ちてくるのを止ませる必要がある。……私はそれの役に立てない。ランドロスの空間魔法が必要になる」


 ネネの短刀が俺の方へと飛んでくる。


「……私をなめすぎだ」

「そういう問題じゃ……ッ、くそ! ……任せた!」


 ネネからの返事はない。任せろとばかりに頷いて、俺の背を蹴った。

 俺はそのままの勢いで呆然としているマスターを抱き上げて走る。


 死傷者を減らす、マスターにシルガのことを隠す、その両方の目論見が失敗に終わった。


「まっ、待って、ランドロス、シルガとネネが……」

「……マスター」

「ダメだよ! 止めないと! 仲間同士で戦うなんて!」

「マスター」

「止まって! 止まってよ、ランドロス!」

「マスター! アイツは、シルガは……もう、引き返すことはない」


 抱き上げているマスターの身体は小さく軽い。

 ギルドマスターとしての重圧を背負えるほど、あるいは大量虐殺を始めたシルガの罪を共に背負えるようには到底思えないほどに……彼女は子供だった。


 ボロボロと溢される涙が俺の服に染み込んでいくのが分かる。声を殺しながら咽び泣いている。


「……そんなこと、そんなことっ!」


 マスターはそれ以上の言葉を言わなかった「そんなことない」そう主張し続けたら、俺が折れるかもしれない、そのことで状況が悪化するかもしれない。あるいは俺が折れなかったら、まだ助けられる仲間を殺したと責めることになるからだろう。


 こんな、どうしようもなく取り乱していても、まだ……マスターは優しく……。

 俺を頼ってくれていないことが分かり、ひどく苦しかった。


 頼られたところで、シルガを助けることなんて出来はしないが。


「……ごめん、マスター」

「……私が、私が……あの時に、優しくしていたら……シルガが、こんなことを……するはずが……。誰かが、私が、手を差し伸べていたら……!」

「……どうにもならなかった」

「……そんなこと」

「もう手遅れだったんだよ。とっくに、二年前よりももっと前に……シルガはこうすることを決めていた」


 そんなこと、俺が分かるはずもない。けれど、そう言わなければ、マスターはきっと自分から罪を背負おうとするだろう。

 誰にも納得されず、誰にも裁かれない罪を、自分勝手にひとりで背負い続けるのだ。


 そんなことを認められるはずがない。


「……遅かったんだ。出会うのが。幸福では、優しさでは、覆い隠すことが出来ないような憎しみが、シルガの中にはあった」


 マスターは俺の腕の中で泣き続けている。小さい、あまりに……こんな事件の中心にいるには、小さすぎる身体だ。道の真ん中に立っていた魔物を剣で斬り裂きながら一直線に闘技大会の会場にへと突き進む。


「ランドロス、ランドロス……私は、どうしたら……どうしたら、よかったの?」

「……ちゃんと、落ちないようにしっかりと捕まっていてくれ」


 空中から落ちてきた魔物を仕留めながら、町をかけて闘技大会の会場に着く。

 イユリとカルアはいるだろうか。混乱している人の群れを見ていると、落ちてきた魔物を素手で掴み上げる巨漢の姿が見える。


「……ッ! メレク! 他の奴は!?」

「ランドロス! お前、今までどこに……! ほとんどこの近くに集まっている。お前が朝から姿が見えないから、棄権を取り消して本戦に出場したのかと思って、観戦に来ていたんだよ」


 俺、随分と信用がないな。……だが、都合はいい。

 マスターを抱きしめたままその場で跳ねて、魔法を使う。

 空間拡大の反対の魔法。空間縮小……空間を本来よりも縮めることで、小さな移動を大きな移動に変えることが出来る。


 俺の上の空間を縮めることでちょっと跳ねただけで高い位置で辺りを見回す。人間が多い会場の中、亜人ばかりが集まっている場所を見つけ、地面に降りてから全力でそちらへと駆けつける。


 ギルドのメンバー達も俺の姿を見て驚いた表情を浮かべるが、緊急事態なのでイユリの姿を探して話しかけようとしたら、彼女は地面に座り込んで何かを必死に書き込んでいた。


「どうなっているの。空間魔法の魔力がないのにあんなところに大量の入り口を……。術式がめちゃくちゃで無駄ばかりのせいで、全然分からない。魔力の無駄遣いにも程が……」


 既に扉を解析して対応してくれているらしい。イユリの傍にカルアとシャルも立っていて、俺の姿を見て驚いたあと、小さくホッと息を吐いた。


「良かった、生きてた……」

「それより、なんとかなるのか!? あの扉は」

「一個ずつなら閉じていけるけど……どうしても時間がかかる。それに、閉じても閉じても新しいのが出てくるから」

「……無理なのか!? 俺に手伝えることは……」


 俺がそう言いながらマスターを下ろすと、イユリの顔がぐいっとこちらを向いて、俺の胸ぐらを掴んで引き摺る。


「弟子! いいところにきた! やりたいことがあるんだ!」

「……ああ、頼むぞ、師匠」


 イユリは空を覆っている扉を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。

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