第75話

 ネネとの話はそれで終わり、彼女はギルドから出て行く。

 ……マスターは助けたいが、ネネの意見も一理ある。


 マスターが心に病んで傷を作っているのは、シルガという半魔族のことで……それはマスターがマスターじゃなくなったとしても、変わらない。むしろマスターとして他の人を助けるのも心を癒すのに役立つというのは分かる話だ。


 しかしながらやはり年齢の割に重圧が強いというのは間違いないと思う。……いくら、事務仕事は大部分を他の人が請け負っているとしてもである。


 甘える相手が必要だろうか。その相手として俺が適当だろうか。

 考えても答えは出ない。そうしている間に、ギルドの奥の方からマスターがやってくる。


「ああ、ランドロス。すごいじゃないか、【炎龍の翼】のダマラスを始めとして、名のある探索者を軒並み倒したって聞いたよ」

「ん? ああ、まぁそれはどうでもいいんだけど……」


 甘えたい? と尋ねるのはどうなのだろうか。俺やミエナやイユリでもなければ、プライドが邪魔をして堂々と「甘えたい」などとは答えないだろうし、逆に変に気を使わせてしまうような気がする。

 色々と考えながら口を開く。


「……ギルドってのは、ひとつの家族のようなものだと思うんだ。子供はみんなで育てているし、部屋は別れているけど、一つ屋根の下で生活している。困った方があれば惜しみなく助け合う」

「? うん、そうだね。私もそう思う」

「俺はマスターよりも幾らか歳上だろう。言わば兄のようなものかもしれないと思ってな。頼りない兄かもしれないが、困ったことがあれば助けたいとも思っているんだ」

「……? うん、ありがとう。初代を呼びに行ってくれたのも助かったし、ちゃんと頼ってるよ?」


 こう、上手く伝わらないな。直接的に言うか。


「……お兄ちゃん、と、呼んでみてくれないか?」

「…………」

「…………」


 微妙な空気が俺とマスターの間に流れる。


「え、えっと……それは、その、私が妹みたいにして、ランドロスを甘やかせばいいみたいなのを、望んでいるという解釈でいいのかな? 今日のご褒美みたいな……」


 普段の言動のせいで変な曲解をされた。

 いや、そういう妹に甘やかしてもらうみたいなのも興奮するが、別にそういうのを望んでいたわけではない。


 望んでいたわけではないが……いざマスターを目の前にして、そうしてもらえると思うと思わず飛びつきたくなってしまう。


 違う。今日はマスターに甘えるんじゃなく、甘やかすために話しをしているんだ。我慢しろ、俺。


「……いや、いつも甘えてばかりで悪いからな。時々は……というか、まぁ……これからは、俺もマスターの支えになりたいと思っていてな」

「えっ、うん、ありがとう……。でも、大丈夫だよ? 今日は疲れただろうし、頭撫でてほしいんでしょ?」

「いや、割と余裕を持って勝てたからそれは大丈夫だ。怪我をさせない程度に手加減もしてやれるぐらいだったしな」


 俺がマスターにそう言うと、マスターは心配そうに俺の額に手を当てる。


「……熱はないみたいだけど、お医者さん呼ぼうか?」

「違う。病気じゃない」


 マスターは「悪いものでも食べたんじゃ」と言いながら、おほんと息を吐いてから、いつもよりも少し高い声を出す。


「……えっと……お兄ちゃん、今日がんばってたね、クルル見てたよ、ヨシヨシ」

「ま、マスター……好き……。……って、違う、違うんだ。そういうのをしたかったわけじゃないんだ! ……いや、したくなかったわけでもないが、そうじゃなくて……助け合いたいから、何かあったら言ってほしい。頭撫でてやろうか?」

「ん……特に困ってはないけど……。頭は別にいいよ。撫でたいなら撫でてもいいけど」


 俺が手を伸ばしてマスターの灰色の髪をサラサラと梳くように撫でてみると、マスターは少しこそばゆそうに身をよじる。


 俺がされたら心地よくて堪らないのだが、マスターは気恥ずかしさが勝ってしまっているようで、少し顔を赤くしていた。


 ……これは、違うな。俺が楽しいだけだ。


 撫でおわるとマスターは気恥ずかしそうに髪の毛を直しながら俺の方に目を向ける。


「満足出来たかな?」

「……いや、満足というか……そもそもの目的が違う……」

「……今日は本当に様子が変わってるね。疲れたのなら休んだ方が……」

「いや、全然疲れていない。……まぁ、その……頼ってくれよ。もっとな」

「う、うん。……あ、じゃあ、疲れてないなら、今日ギルド組合の会議があるんだけど、着いてきてくれないかな。いつもはミエナに着いてきてもらってるんだけど、どうにも忙しいみたい」

「会議? まぁいいけど、俺で大丈夫か? 読み書きも怪しいが」

「うん。護衛みたいなものだから大丈夫だよ。ほら、荒くれ者が多いから」


 それなら大丈夫か。難しい話は分からないが、強さという意味でなら、俺の強さはここでも通用すると分かったことだし、断る意味もない。


 俺が頷くと、マスターは「じゃあ着替えてくるからちょっと待ってて」と言ってパタパタと走っていく。


 一応カルアにも言っておいた方がいいか。浮気だと思われても困るしな。などと思って、イユリと二人で話しているところに入り「マスターと会議に行ってくる」とだけ伝えると、カルアは不思議そうに首を傾げる。


「何の会議? 今の時期に珍しいですね。定例会議じゃないですよね」

「……カルア、ギルド組合の会議の時期も把握してるのか」

「普通に書いてますよ。……あれかな、勇者の御前試合とか、人間以外の立ち入り禁止とかの件での緊急会議かな」

「……さあ、俺は護衛についていくだけだからな」


 まぁ、マスターについて歩くだけなので大丈夫だろう。

 そう思っていると、カルアにちょんちょんと頰を突かれる。


「鼻の下を伸ばしたり、変な目でマスターを見たらダメですからね。あと、好みの女の子がいても声かけたらダメですよ。外だと通報されますからね」

「するわけないだろ。……普通に職務を全うするだけだ」


 カルアにジトリとした目で睨まれていると、少しだけおめかしをしたマスターがやってくる。

 すぐにギルド組合の会議とやらに向かうことになった。

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