第71話

「……迷宮から魔力を引き出して、ドカン。と、みんなを殺すという作戦だったらしい。詳しい魔法の手順とかは、まだ子供だった私には理解出来なかったんだけどね。発動していれば、闘技大会の会場が一瞬でなくなるほどの威力だったみたい」

「それは、すごいな」

「……それだけのことをするほど、人間を憎んでいたんだ」

「……気持ちは、分からなくはない。母を殺されてから、シャルに出会うまでの間は……俺も似たようなことを考えていた」


 マスターは小さく微笑む。

 ポツリとギルドの屋根に雨粒が落ちる音が聞こえてくる。


「いい出会いが出来たんだね」

「……ああ」

「……私はね、シルガにとってのいい出会いには……ならなかったんだ」


 雨音が強くなってくる。外から入ってくる光は雨雲に遮られたのか、瞬きをするたびに暗くなっていく。


「みんな死ぬなんて、そんなことがあったらダメだと思ったよ。そんなたくさんの人が死ぬのはもちろん、そんなことが起きたら、余計人間以外の種族の立場が悪くなる……。いや、それどころか……人間以外はみんなこの国から追い出されるかもしれない。そう思った」


 ポロリ、ポロリ、とマスターの目から雫が溢れていく。必死に、耐えるようにしているが、それでも耐えきれないように落ちていく。


「……大丈夫か?」

「大丈夫。君風に言うと、人間汁だから。涙じゃないから」

「……半分は人間なんだから、違うって知っている」

「じゃあ、マスター汁だよ。ギルドマスターの役職に就くと出てくるようになる」


 ……どんな嘘だよ。と、思うが俺も似たようなことよく言うのでツッコミにくい。

 菓子の入った皿をマスターの方にゆっくりと近づけるが、口を付けてくれる様子はない。


「私はすぐに当時の、二代目のギルドマスターに報告したよ。それで先代のマスターと二人で止めるように説得をしたんだけど、知らない、そんな計画はないと言われてね。……先代はシルガの方を信じたみたいで。……私が闘技大会の会場を走り回って、見つけたんだ。でも、それを壊すだけの知識と力がなかったから……時間もなかったから、近くにいた騎士と共に魔法を壊したんだ」


 ……俺が同じ年齢の時、母の胸の中で周りの人間に怯えているばかりだった。それに比べて……すごいな、マスターは。


「……当時、8歳だろ。とんでもないな」

「今思うと、よく生きてたなって思うよ。無茶をした」

「……事前に止められたら、良かったんじゃないか?」

「……シルガがやったと、すぐにバレたよ。計画が発動したら、それで良かったからだろうね。証拠も何もかも爆発してなくなるだろうから」


 マスターは目元を袖で抑える。


「……シルガは捕まる前に逃げたよ」

「……止めれたなら、良かったんじゃないか」

「違うんだ。私が、間違っていたんだよ。君が来て……それを確信したんだ」


 俺が渡したハンカチで涙を拭きながらマスターは続ける。


「人は、変われるんだ。愛してもらえれば、愛してあげれば……変われたんだ。……変われるはずだったんだよ」

「……マスター」

「気づいた私が、優しくしてあげるべきだったんだ。怯えて遠くから探り回るんじゃなくて、愛してあげてその傷の痛みを知ってあげて。それで……そんな馬鹿なことをしないように、優しく、抱きしめてあげるべきだったんだ」


 自分を責めるように、マスターは涙を流す。


「シルガが既に追い詰められているのに、余計に追い詰めたのは私だ。……彼の痛みに気がついてあげられたのは私だけだったのに……私は、危険な人として接した。それがその結果になった」

「……ただの、子供だろう。マスターはその当時も、今も」

「大事件を未然に止めたとは言えど、犯人は逃げてしまった。騎士団はそれを隠蔽して何もなかったことにしたんだけど、流石にそんな大事件を企んだシルガのいたギルドにお咎めなしというわけにはいかなかった。内々に先代は責任を負って辞めることになって、ギルドの力を削ぐために人間の幼子である私がその役職に就くように指示された。何も出来ない子供がマスターだったら、みんなギルドを見捨てて出ていくと思ったんだろうね」


 マスターは赤く充血した目を俺に向ける。


「私はね、シルガを見捨てたんだ。優しくすることもせず、ギルドを守るためだと思って、傷ついた仲間にトドメの刃を突き立てた」

「……それは、裏切ったわけじゃないだろう」

「裏切りだよ。信じてあげることも、助けてあげることもせずに危険な人と切り捨てた。仲間なのに……。だから、私はマスターをやる資格なんてないんだ。本当はね。……次の闘技大会が終わったら騎士団長が変わるから、辞めても大丈夫になるの」


 何と声をかけたらいいのか、俺には分からない。

 子供がそんな責任を被るのはおかしいと言うべきなのか。けれど、それは……必死に自分で背負い込もうとしているマスターへの侮辱になるのではないのか。


 けれど泣いた少女に何も言わないなんてことは出来ない。

 止めるべきなのか、止めないべきなのか、馬鹿な俺には何も分からない。


 必死に絞り出した答えは、実に馬鹿なものだった。


「……優勝する。……そうする。マスターがマスターを辞めるのを、止めるべきじゃないのかもしれないから……俺はそうする。だから……マスターもマスターを辞めて、傷を癒すことが出来たら、もう一度マスターになるかを考えたらいい」

「……傷だなんて」

「傷ついたのは……マスターもだろう」


 俺はマスターに助けられた。大人のくせして、子供に甘えてばかりいた。だから……俺もいつかのマスターのように、同じようにマスターにしてやろう。


「傷ついてきたんだろ。ずっと、一人で抱え込んで、苦しんできたんだろう。泣いてもいい。辞めてもいい。これからゆっくりと、ゆっくりと、溶かしていくように傷を癒していこう」

「……いつかの日と、逆になったね」

「本来、こうあるべきじゃないか? 大人と子供だ」


 マスターは涙を拭きながらクスリと笑う。


「……そんなこと言って、もう甘やかしてあげないよ?」

「……まぁ、それはそれとして」

「恋人が出来たのに、それじゃあ怒られるよ?」

「……じゃあ、シャルに甘えるか」


 ……シャルに甘えていたらカルアに怒られそうな気がするけれど、カルアは甘えさせてくれないしな……。

 後で隠れてシャルに頭を撫でてもらおう。


 ……いや、優勝するとか言ってしまったので、真面目に修行をするか。

 外に目を向けると、朝立ちは既に止んでいた。


 少し明るくなったギルドハウスに続々と人が入ってくる。


「ちょっと修行してくる」

「うん。気をつけてね」


 ……仕方ない。勝つか。

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