第64話

 

 シャルは俺のぎこちない様子に違和感を覚えたのか、小さく首を傾げる。

 罪悪感に襲われながらも、隠したまま接するのはあまりにも不誠実だろうと思い、正直に話そうかと考える。


「会いたかったです。えへへ、商人さんに無理を言って、こちらの商談に無理矢理ついてきちゃいました」

「ああ……俺も、会いたかった」


 俺のぎこちない様子に、シャルは不思議そうに首を傾げる。


「あ、えっと……もしかして、ご迷惑でした?」

「いや、そんなことはない。全く、全然……」

「で、でも、ちょっと……その、ランドロスさんの顔色が……」

「いや、その……シャルに、謝らないといけないことがあってな。いや、そのな……来たばかりのところ、するような話ではないんだが……」

「謝らないといけないこと……ですか? お金のことでしたら、全然気にしなくても大丈夫ですよ? もう散々いただきましたし、そもそもランドロスさんのご厚意のものでしたから」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくてな……」


 一瞬だけカルアの方に目を向けると、カルアはギュッと目を閉じて膝の上に手を乗せていた。イユリは不思議そうに俺達の様子を見る。


「じ、実は……その……シャル以外にも、好きな女の子が出来て……しまい……まして」


 ギルドの中の空気が凍りつくような感覚がする。ぶるり、と背筋が凍り、恐る恐るシャルを見ると……真っ青な顔をして、俺の方を見ていた。


「そ……れは……もう、僕のことが……好きでは、ない……という……」

「そ、そうじゃない! そうじゃなくて、その、同時に好きになってしまって……悪い、ごめん、申し訳ない!」


 シャルは俺の言葉を聞きながらカルアの方に目を向ける。


「……あの、ゆっくり……お話を聞かせていただいていいですか? その、ここでは、人目もありますから」

「わ、分かった」


 シャルをギルドの寮へと案内して、俺の部屋に入ってもらう。運良く今朝のうちにマスターの写真などは片付けておいたおかげで、変なものはない普通の殺風景な部屋になっていた。


 部屋に入ったのと同時に、シャルは持っていた荷物を下ろして、扉と鍵を締める。


「……カルアさん、ですか?」

「あ、ああ、なんで……」

「……ずっと、仲睦まじそうにしていましたし……なんとなく、察しはつきます」

「その…….悪い」

「……いえ、別に、今はお友達ということにしていたのは僕ですから。浮気だ、などと騒ぎ立てるつもりはありません」


 謝り倒して許しを乞いたいのを必死に抑える。人の良いシャルが困るように謝り続ければ、シャルは仕方なく許してくれるかもしれないが……そんな優しさにつけ込むようなことはするべきではないだろう。


「……もちろん、いっときの、気の迷いですよね? 僕をちゃんと、愛してくれますよね」

「あ……それは、その……」


 シャルのことは好きだが、カルアのこともただの気の迷いではないのは間違いない。俺が返答に言い淀むと、シャルは俺の考えに気がついたのだろう。

 俺の名前をゆっくりと呼ぶ。


「……ランドロスさん」


 不味い。不味い。これは……不味い。

 シャルの穏やかな顔から笑みがなくなり、明らかに怒っている様子だが……優しげに俺の頭を撫でる。


「髪、伸びてますね。切ってあげますね」

「い、いや……今、そういうことをしている状況だろうか」

「大丈夫ですよ、僕、これでもみんなの髪を切ったり、自分の髪も切ったりしてるので」


 なんで髪を……単純に髪が伸びているから心配してくれているのか。……いや、だとしても今の状況で言い出すことだろうか。


 椅子に座らされて、ボサボサに伸びている髪を撫でて、短刀を取り出す。その鈍い色合いに若干の恐怖を覚えながら「まさか、刺されるようなことはないだろう」と考えて身を任せる。


 いつか女に刺されると予言していたネネの言葉が酷く怖い。だって、シャルの目が笑っていない。

 唐突に首に刃を突き立てられてもおかしくない気がしてきた。


 クシが俺の髪を梳いて、シャリ、と髪の毛に刃が入る。


「……僕、ランドロスさんのこと、とても好きなんです」

「わ、悪い」

「でも、少し不安がありました。……物語のお姫様って、男の人に見初められて、幸せになるじゃないですか? だから、そういう物語のお姫様に憧れて、王子様みたいな人だと思って好きになったんじゃないか、と……だったら、プロポーズしてきたのがランドロスさんじゃなくても好きになってしまったのではないかと、そう思って不安だったんです」


 頭に感じる重苦しい刃物の生々しい冷たさ。直接頭に当たっていないのに、その金属らしい冷たさが伝わってきて、首筋にゾクゾクと鳥肌が立ち、暑くもないのに汗が滲んでくる。


 シャリ、とゆっくりと丁寧に髪が切られて、床にパラパラと落ちる。


「……でも、ですね。それは杞憂だったようです。物語の王子様は「他の女の子を好きになった」なんて、そんなことは言いませんもの。それでも、僕はランドロスさんを好きですから……ただ物語に影響されたお姫様願望の表れというわけではなかったみたいです」

「そ、そ……そうか……」


 俺の相槌を聞いているのか、聞いていないのか。シャルの手はゆっくりと、この時間を惜しむように髪を切っていく。

 首筋の汗にくっついた髪が、シャルの手に撫でられて取られる。


「……男の人の髪って硬いんですね。初めて、大人の男の人の髪を切ってるのでちょっとびっくりです」

「そ、そうか? 普通だと思うが……」

「初めてだったんです。初めて……僕は恋をしたんです」


 目の前に刃物が見えて、思わず息が引きつる。


「……あ、あの……シャル……さん」

「なんでしょうか?」

「……お、怒って……ます?」

「……そうですね。あまり感じたことのない感情を抱いているのは確かです。それを怒りと呼ぶかどうかは、分からないですけど。とても……とても、冷静ではありますね」


 前髪を切り落とされて、髪がパラパラと降ってくる。

 握り込んでいる手の上に髪が乗っかるが、それを払う気にはなれなかった。


「……では、僕の想いはお姫様願望ではなかったわけですけど。じゃあ……お金を恵んでくれて、助けてくれる人だから芽生えたものなのか。と、考えました。……立場が違う人との恋ですから、本当にこれは恋心なのかと疑ってしまうわけです」

「あ、ああ」

「……別に、構わないと思いました。もしもランドロスさんが行き倒れのままでも、きっと僕は好きになっていただろうと思います。それに……もしも……」


 シャルの小さな手が俺の首筋を撫でた。


「ランドロスさんが怪我を負って、手足が動かないようになったとしても、大好きなままでしょう」

「そ、そうか。それは、とても、嬉しい」


 俺の片言の言葉を聞いて、シャルは小さく微笑む。


「……カルアさんは、どうでしょうか? 例えば、ランドロスさんの手足が千切れて、魔法も使えなくなって、顔の皮が剥がれたとして……カルアさんは、ランドロスさんのことが好きなままだと思いますか?」

「あ、あの、シャルさん……?」

「僕は、ランドロスさんが大好きなままですよ。 毎食あーんって、食べさせてあげます。頑張って抱っこして、散歩にも行きます。水浴びやトイレも、全部やってあげます」

「そ、それは……どうなんだろうか?」


 シャルは「えへへ」といつものように笑いながら、俺の耳の近くの髪を切っていく。刃物が耳のすぐ横を通っていき、嫌に強く心臓の音が聞こえる。


「……僕の方がランドロスさんを好きですよ。絶対に、絶対に、僕の方が好きです」

「あ、あ……」

「絶対に、何がどうあろうと、ランドロスさんを離すつもりはないですから。これから話し合いをするのは分かりましたけど、覚えておいてください」

「は、はい……」


 俺が返事をすると、シャルは頭の上に残っていた髪を払って退けてくれたあと、よしよしと俺の頭を撫でる。


「じゃあ、僕は髪の毛を片付けておきますから、ランドロスさんはその間に頭を流してきてください。あと、服にも着いてると思うので、着替えて置いておいてください。お洗濯もしておきますね」

「い、いや……それは悪いし、自分で」

「いえ、僕のお仕事ですから」

「……シャル、さん?」

「僕がやることですよ?」

「……はい」


 俺は部屋のことはシャルに任せて、頭に残った切ったあとの髪の毛を流しに行った。

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