赤い青春

城夜

プロローグ「俺の平凡じゃないかもしれない人生」

 俺が両親を失ったのは確か俺が五、六歳の頃だったように思う。俺は当時自宅にいた。一人の大人とともに。おそらく、両親から自分たちが出かけている間の子守りを任されたのだろう。でも俺はそれが誰だったか今はもう覚えていない。女性だったか男性だったかさえもである。

 その日は夜になっても両親は帰って来なかった。一緒にいた大人が今日はもう寝ようと言った。俺はその言葉を聞いてお母さんとお父さんは帰って来ないのと訊いた。その人は母さんと父さんが帰って来るのは真夜中になるから、寝て待っていようねと返し、俺を寝かしつけた。

 両親が交通事故で亡くなったとの知らせがあったのは、夜が明けてからのことだった。その人が俺にそう告げた。俺の親戚にでも聞いたのか、若しくは警察にでも言われたのだろう。その人は俺の親類だったのだろうか。

 当時の俺はわかっていなかった。死とは何なのかよく理解していなかった。だが彼らの葬式でそのしかばねを見たとき、もうその体は動かないのだということを悟った。

 俺はその後四年程、親戚の家をたらい回しにされた。親戚の子どもとは言えどどの家庭の大人もあまり俺に情はわかないらしく、結局俺は帯広郊外の孤児院に引き取られた。

 孤児院での生活は楽しかった。俺はそこでは最年長だった。同い年の女子児童──田中玲たなかれいと一緒に年下の子ども達とよく遊んだ。通っていた小学校ではその孤児院の児童が多かったからかいじめも特になく、最終学年では児童会長を任された。リーダーの資質はあったらしい。

 中学校は帯広おびひろ郊外にある中高一貫の私立に入った。その学校には所得に応じて学費を決める制度があり、身寄りのない俺は無償で寮にまで入ることができた。玲も同じようにして入学した。その中学校──嶺明れいめい中学校には寮生だけのクラスが設けられていて、寮生の中には親を失くした人だけではなく、遠い町に実家があるだけという人もいた。俺たちのクラスはクラス替えなく三年間同じ顔ぶれだった。

 高校進学の時期に入ると一部の生徒は外部進学を希望したが、俺のように身寄りのない生徒たちは皆内部進学を希望した。


 そして二〇一八年の今日、俺は私立嶺明高校の生徒として新生活を始める。




回想終ワリ

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