聖徳太子立像

しゔや りふかふ

  聖徳太子立像(しょうとくたいしりゅうぞう)

 東京都現代美術館で開催された「The Absence of Mark Mandersマーク・マンダースの不在」という、そこの部屋に置く彫刻やオブジェの配置全体で、建物という枠組みの中における自画像(架空の芸術家の自画像だという)を構築するという、展覧会全体が一つの作品のような、コンセプチュアル・アート的なと個人的には思うところの展覧会を見た後、東北新幹線に乗って、眞神(まがみ)郡に還り、畝邨(ほむら)村の貞観正國寺の例の聖徳太子立像を観に行った。


 金堂で、住職の倅である同源叭羅蜜斗(どうげんぱらみと)と、その友人の天平普蕭(あまひらふしょう)が待っていた。二人とも奇妙な男たちで、寺の跡継ぎに相応しからぬ叭羅蜜斗の見た眼は、一九七七年のパンク・ロッカー、ジョニー・ロットンにそっくりだ。金のスパイキーヘアに、安全ピンで繋いだ長袖のTシャツ、黒革パンツ、安全ピンのピアス、Tシャツの片袖は縫い塞がれていて手が出せない。

 普蕭は長めのマッシュルーム・カットにサイケデリックなフロックコート、ベルベットのシャツ、モロッコ革の長靴、エスニックな首飾りじゃらじゃら。


 叭羅蜜斗が手を上げて声を掛けて来た。   

「おう、来たな、龍瓶(りゅうびょう)」

 法隆寺の宝物である「龍首水瓶(りゅうしゅすいびょう)」が僕の名前の由来だと聞いている。彝之龍甁(いのりゅうびょう)。ちなみに、純粋な眞神の出身で、斑鳩とは何の関係もない。


 僕は立像をしみじみ眺めた。


 浄土真宗の親鸞が聖徳太子は誰もが仏になれる、出家しなくとも、と考えたことに共感し、布教に当たって賞揚したことに伴い、全国各地に太子像が制作され、置かれるようになった、そのうちの一つらしい。


 角髪(みずら)の長い髪の毛、少年貴公子の姿だ。江戸時代以前は聖徳太子と言えば、こういうのが定番だったらしい。我々は口髭と顎鬚の生えたおじさんをイメージするが。 


 だいぶ剥げてはいるが、赤い顔料や瑠璃や金を使った精細緻密な衣服の文様の彩色跡が見て取れる。


 この中に観自在菩薩の立像が秘められていることがX線撮影で最近判明した。僕はむろん、初耳だが、実際、伝承も何も遺されていなく、誰も知らなかったらしい。


「いったい、こういうのは、どういう気持ちなんだろうね」

 僕は思わず歎息した。

 普蕭が問う、

「と言うと?」

 僕はわかり切っているはずの我が質問に対し、問いを返され、少しむっとした。アンガー・マネジメントの研修を受けようと思う。


「だって、誰にも見られないし、誰も知らない。それを遺して意味が在るのか。虚しくないか。そりゃあ、当時の制作側の人たちは知っていただろうけど、伝承もなく、すぐに誰も知らないこととなってしまったに違いない」


 叭羅蜜斗が笑う。

「どーだっていーぜ、問題はなし、って感じじゃないのか」


 普蕭も笑う。

「まあ、そんなとこだろ。つまり、実の存在があるから、いいってことだ。真兮くんのBluesHarpみたいなものだ」


 僕にはよくわからない。

「誰も見なくても?」


 普蕭は肯(うなづ)く。

「言語や概念なんてあやふやだ。実在が確かだ、と思ったんだろ。実際の魂があれば、ご利益もある」


 或る意味、現実主義か。

 まあ、現実ではなくとも、人の心に適うものが実存的とも言えるが。どうだっていいぜ、問題はなし。現実は現実でしかなく、答なんかないしな。

 

 

   

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