第三十七話 厄災の娘(2)

 人々の騒ぐ声にハッとした。

 甘いものを食べてごろごろしていたらもう夕刻に近い。ヴァルダという犬は好奇心旺盛で、家のあちこちを探索してまわっていた。たまに首を傾げたり、考え込んでいるように目をつぶっているのが、人間みたいな仕草でおもしろい。

「ちょっと様子を見てくるから、お留守番しててね」

 レイヒは元来野次馬な性格である。外で何を騒いでいるのか気になった。ぱっと立ちあがって部屋を出ようとしたところで立ち止まる。

 もし犬がいなくなってしまったら困る。今日は一緒に寝ようと思ってるのに。

「ちょっと待っててね」

 レイヒは祭壇のある奥の間、勝手口と走り回り、ようやくちょうどよいものを見つけた。ばあちゃんが贄を入れていた大きな籠だ。そこへヴァルダを入れておく。嫌がるかと思ったが、案外おとなしい。

 ハルミが食べ物と間違わないように「食べないで」と書き殴った紙を貼っておく。

 騒ぎが大きくなっているようなので気がせいてくる。レイヒは走って外へ出た。しかし出たところで思わず物陰に隠れる。町の男たちが足早に家の前を歩いていた。

「また怪我人だそうだ」

「本当に多いな最近は」

「もしかして山の……」

「しっ、滅多なことは言うな」

「とにかく人手がいるかもしれないから急ごう」

「そうだな」

 ばあちゃんが死んでから山の事故が多い。もしかしてレイヒのせいなのか。少なくとも町の人たちがレイヒのせいだと疑い出したら、本当にごはんが食べられなくなるのかも。

 これはまずい。

 レイヒはその場で行ったり来たりする。様子を見に行くのは控えた方がいいだろうか。とにかく明日は寝坊しないようにしよう。

 ふと、見慣れない子供が家の前を歩いて行くのに気づいた。先ほど会話していた男たちの後をついてゆく。この町の人々はほとんど顔を知っている。もしかしてシハルという旅人の連れだろうか。先ほどはいなかったはずだが。

「レイヒ! 大変だ。早く来てくれ。祈祷が必要だ」

 ひそかに家に戻ろうとし通りに背を向けたレイヒを別の男が呼びとめた。思わず飛びあがる。しかし男はひどく焦っているようでレイヒの様子には気づかない。名前は忘れたが町長の息子だ。

「きとう……」

「ああ、ザグハが山で何かに憑かれたみたいなんだ。怪我も負っている」

「あ、はぁ」

 困惑するレイヒを見て町長の息子の目にわずかな陰がさす。これはいけない。

「準備……してきます」

「わかった! 早く頼むよ」

 祈祷。山の何か強いやつ。祠。ごはん。

 レイヒの頭の中はぐるぐるし始める。とにかく早く行かなくては、ごはんが食べられなくなる。

 しかし家の戸を開けるなりハルミが仁王立ちしていた。長いこと裏庭の畑をいじっていたようだったが、勝手口から戻っていたようだ。

「レイヒ様、あの禍々しいものはどうされたのです?」

 何だか随分と腹を立てているような顔をしている。ハルミはばあちゃんの弟子のような存在だが、ばあちゃんみたいに口うるさく言ってくることはなかった。そのハルミが怒っているのでレイヒは思わず身を縮める。

「えーっと、何のこと?」

「あの籠に入った悪霊です。何も感じないんですか?」

 さっきも似たようなことを言われた。ハルミのいっているのはヴァルダのことだろう。

「あ、あくりょう? いや、待って……」

 あんなにかわいいのに悪霊?

「待てません。処分させてもらいます」

 ハルミはどすどすと廊下を歩きだす。

「待って、待って。あの子は預かってるの。勝手に処分したらまずいよ」

「なぜあんなものを預かるのですか」

 かわいいからに決まってるじゃないか。

「いやいや、それどころじゃないんだって。また山の事故があって祈祷が必要なの。怪我人もいるんだから早く行かないと」

 急にハルミが足をとめるので、レイヒはその広い背中に豪快にぶつかる。

「また……ですか」

 意味ありげにレイヒをふりかえる。もちろんハルミはレイヒが毎朝寝坊していることを知っているし、なんならばあちゃんのように妙ちきりんな儀式をやって町の人たちを納得させる技術すらないことも知っている。それでも今のところ町の人たちにそれを言いふらしている様子はなかった。義理を感じてそうしてくれているのかと思っていたが、あまり調子にのると痛い目をみそうだ。

「と、とにかく急がないと」

 祈祷の方もあまり気乗りはしなかったが、ヴァルダが処分されるのは困る。

「――そうですね。お供します。道具類をそろえてきますのでお待ちください」

 ハルミは奥の間の祭壇の方へと向かっていったのでホッとする。レイヒの方も部屋着から儀式用の妙な服に着替える。こんな姿をもしオキに見られたらやだなぁと思ったが仕方ない。なんならばあちゃんに何でもかんでも教わっていたハルミがなんとかしてくれればいいのに。聞いたところによると男の人ではダメなのだとか。一体どういうルールなんだ。

 あわてて現場に駆けつけたものの、思っていたよりも落ち着いた様子だった。見ると人々の輪の中にあのシハルという旅人がいる。

「痛みをやわらげる薬を飲ませたのでもう大丈夫です。怪我の痛みで混乱して暴れていたんでしょう。傷は止血しましたが、早めに医者に見せてください。それまでに痛がるようでしたら、またこれを煎じて飲ませてください」

 大荷物の中からごちゃごちゃと何かを取り出して近くの人に手渡している。怪我をしたのは山に入り始めたばかりの宿屋の息子だ。慣れない仕事でヘマをしたのだろう。しかしシハルという旅人、派手な格好をしてるくせに薬屋さんだったのか。医者は町外れに住んでいるのでちょうどよかった。

 そんなことよりもオキがいたらどうしよう。レイヒがきょろきょろと辺りを見渡していると、運悪く例の町長の息子と目が合ってしまった。

「レイヒ、遅かったじゃないか」

 非難がましい視線を受けて「ちょっと準備に時間が」と、頭をかいた。ちらちらと町の人々の視線が痛い。これは本格的にまずいのかもしれない。

「私も怪我が原因じゃないかと思ってたんだよね」

 とりあえずわかっていた風を装っておく。

「怪我の原因はそう単純ではなさそうです。最近多いそうですね」

 シハルがバカでかい箱を背負って立ちあがり山を見上げる。なんでみんなの前でそういうことを言うかな。

「まぁ、そうだね。怪我の原因は別だっていうのは、わかってるけどね」

 レイヒも意味ありげな様子を装って山を見上げた。怪我の原因はどうせちょっとしたうっかりでしょう。そんなことまでレイヒのせいにされてはたまらない。

「山にいるのが見える?」

 突然の声に驚いて見ると先ほどの見慣れない子供だ。十くらいだろうか。しかし子供らしからぬ無表情である。シハルの方をうかがうとレイヒと同じく「誰だろう」というような顔をしていた。連れではないのか。

「山にいるのが見えますか?」

 シハルは子供に問いかけると、無表情なまま「さあね」と言った。生意気そうな返事だが無表情なので何を考えているのかよくわからない。

「あなたがあの悪霊の持ち主ですか」

 唐突にハルミが割って入る。心なしか声が怒っていた。ヴァルダがそんなに気に入らないのか。普段は本当に穏やかな人なのでめずらしい。

「ヴァルダのことですか。そういえば、どこに行きました?」

 まるで空気を読まないシハルはハルミの怒りに気づいていないようで、のんきな顔で辺りを見渡している。

「家にいるんだけど」

 仕方なくレイヒが答えると、シハルは「レイヒさんの家に……? ひとりで?」と首をかしげた。その瞬間、ハルミがハッと目を見開く。

「あなた、わざと?」

 ハルミは一瞬だけシハルを睨みつけると、もうこちらを見ることもなく家の方へと走り出した。

「え? 何? なんなの?」

「さぁ、どうしたんでしょうか」

 隣であの無表情な子供が無表情を保ったままクスクスと声をあげた。笑っているつもりなのだろうか。

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