第三十六話 厄災の娘(1)
来客を告げる鐘の音にレイヒは飛び起きる。飛び起きたもののまだ眠い。
また今日も寝坊した。
「誰かぁ」
再度鳴る鐘にレイヒは人を呼んでみるが、声は奥の間に反響して不気味に漂っただけだった。辛気臭い家で嫌になる。
そして誰もいないらしい。いつも身の回りのことを手伝ってくれるハルミはまだ来ていないようだ。前はもっと早くに来てくれていた気がするが、レイヒが頻繁に寝坊をするからなのか、ハルミの来る時間も徐々に遅くなってきている。結局、寝坊するのでこういった事態がない限り特に問題にならない。したがって、早く来いと文句も言えない。
再度、鐘が鳴った。
寝起きで薄衣だし、お化粧もしていないので外には出たくない。薄く綿を入れた布団をかぶって聞こえないふりをすることにする。先ほどの声が客人にも聞こえているかもしれないなと思ったが、朝が苦手なのは町のみんな知っていることだ。ばあちゃんが生きていたらこんなことは許されず叩き起こされたあげくに水をかけられるところだが、あいにくばあちゃんは死んでしまった。
もちろん悲しかったが、それよりも開放感の方が強かった。とにかく口うるさい人だったし、身内でこんないい方もないかもしれないが、少し気味が悪く、得体の知れない感じだった。町の人には頼りにされていたようだったが、孫のレイヒはかわいがってもらったという記憶がない。
鐘はしつこく鳴っている。
「もう。誰なの?」
もしかして恋人のオキだろうか。日が出ているので、とっくに山仕事に出ているはずだが、自分に会いたくなって戻ってきたとか。オキは歳上だが、二人きりのときは少し我がままをいったりして甘えてくれる。自分がとてもいい女になったような気にさせてくれるのだ。一瞬心がわき立ったが、なおのことお化粧をしていないのが気になった。
「オキ?」
無視することもできず、レイヒは寝室を出て戸口に声をかける。もしオキだったら戸を開ける前に顔を洗って、着替えて、きれいに化粧をしなくてはならない。
「ごめんください」
レイヒはがっくりとうなだれる。戸口から聞こえるのは、聞いたこともない声だ。町の人ではない。オキじゃないなら出てくるんじゃなかった。一気に気分が谷底に落ちる。もう一度寝たい。
「何でしょうか。今、ちょっと手が離せないんですけど」
頭をかきながら帰ってほしいという意志をこめ迷惑そうな声をあげてみる。
「少しだけお話を聞かせてください」
空気が読めないみたいだ。むしろ町の人やオキではないなら適当な格好を見られてもいいだろうと、レイヒは少し戸を開けてのぞきこむように外を見た。
「レイヒさんという方とお話がしたいのですが」
隙間から客人を見上げる。背が高い。それになんだか変な格好をしている。それは上等な法衣に見えた。瞬間的に嫌だなと感じる。これはもしかして、ばあちゃんみたいな人種かもしれない。あれやこれやと面倒なことをいわれたら鬱陶しい。
「レイヒは私ですけど。こんな朝早くに何の用ですか」
山仕事をする男たちやレイヒの家にとってはもう寝坊といっていい時間帯だが、そうではない町の人にとってはまだ朝早い時間だ。
「早起きをしてきました」
何だか照れくさそうに笑っている。別に褒めてないんだけど。とりあえず皮肉の類は一切通じなさそうだ。
そういえば、めずらしく旅人が入ってきたという話を昨日ハルミに聞いたような気がする。ばあちゃんが死んでからというもの、旅人はぱったりとこなくなった。確か一軒しかない宿屋は先日半分店をしまって、山仕事をしていると聞いたが。
街道が近いので、以前は日暮が近づく頃に旅人がパタパタと駆け込んでくることがよくあったが、どうしてこなくなったのだろう。この町は畑仕事と、山で木材を切り出して売ったり、炭を焼いたりして生計を立てているので、街道をゆく旅人への対応は慈善活動みたいなものだ。来なくなったところで、町が傾くような問題ではない。
そのとき、客人の後ろで何かが動いた。
思わず戸をさらに開けて見る。そこに犬がいた。
「わっ! かわいい」
赤みを帯びた茶の被毛がふさふさとゴージャスで、夜空のような暗い目がとてもクールだ。こんな立派な犬は見たことがない。レイヒは思わず外へ出ると、跪いてわしわしと頭を撫でた。毛並みがよくて抱き心地がよさそうだ。ちょっと嫌そうな顔をしているのもかわいい。
そして驚いたことに全然獣のにおいがしない。それどころかお日様のような、ぬくもった土のような、そんないい匂いがする。思い切り顔をうずめてみた。ふわふわの毛が鼻をくすぐる。
「変わったご趣味ですね」
客人は首を傾げてレイヒを見下ろしている。
「そうだ! この子を貸してくれるなら話を聞いてあげる」
「貸す?」
客人はまた首を傾げる。あまり頭がよくないみたいだ。
「だーかーら! あなたがこの町を出るまでこの子をうちでお世話させてくれるならいいよって言ってるの」
「あ、わかりました。いいですよ」
即答である。
もうちょっと渋ってくれた方が張り合いがあるんだけどなと、レイヒは肩透かしをくったような気持ちになってしまう。しかし犬のことを考えると、自然にふふっと笑みが漏れてしまった。
「あの、怖くないんですか? 何も感じませんか?この犬に」
やはり客人は不思議そうである。
「何言ってんの? 全然怖くないよ。名前は?」
「私はシハルといいます」
「あなたじゃなくて、犬の名前!」
レイヒは深くため息をつく。どうもテンポが狂う。
「そうでしたか。ヴァルダといいます」
名前もなかなか素敵だ。
「それで何を聞きたいって?」
犬は抱きあげるには少し大きい。仕方なくしゃがんだまま抱えこんでおく。思った通り抱き心地がよい。一緒に眠ることはできるだろうか。ちょっとの間は私のものだ。犬は何故かほうけたような顔をしてる。
「山の麓の祠のことなんですけど……」
「ええっ? 祠?」
やっぱりばあちゃんと同じ種類の人だ。麓の祠は毎日、日が登る前に身を清めてよくわからない儀式をすることになっているが、水は冷たいし眠いし面倒くさいしで、最近はやっていない。昼間にちゃちゃっと掃除をしておけば町の人からの文句もなかった。
「何をお祀りしてるんでしょうか」
祀る? 祀るというのはどういう意味だろうか。あれは確か山仕事の安全をお祈りするような設備ではなかったのか。
ああ、何にお祈りをしているかということを聞きたいのだろう。
「ああ、あれは、ええっと、確か山のぉー」
ふわっとはわかるような気がするが、何というべきものなのかよくわからない。ばあちゃんは確かとても強い――何とかとかいっていたような。山の神様みたいなものだったか。山仕事をしている人たちなら知ってるかもしれない。
「山の」
客人は無意味に反芻して勝手に何かを考えこんでいる。
「昨日、町の方々に聞いたのですが、以前はあなたのお婆様が祠を管理されていたとか」
「そうそう。ばあちゃん、ほんとに急に死んじゃったから、もう何が何だかわからなくって。あなた、わかるなら何とかしておいてくれないかな」
可能であればもう面倒な仕事をしなくて済むようにしておいて欲しい。
いや、ばあちゃんの代わりにそういう仕事をしているから、レイヒはそれ以外何もしなくとも、勝手にハルミがどこからか食材をそろえてごはんを作り、掃除もしてくれるということなのかも。仕事がなくなったらまずいのかな。レイヒはうーんとうなった。ほぼ毎日寝坊して仕事をさぼっていることが町の人に知れたら、ごはんが食べられなくなるのかも?
「祠の正体がわからないので聞きにきたんです。わからなければ手のほどこしようがないんですよ。あの祠…………何か」
そう言ったまま、指先で額を押さえて考えこんでしまう。
「変です」
ようやく顔をあげたかと思うと、特に中身のないことを言った。本当にあまり頭がよくない様子だ。
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