馬に蹴られてゆく道で

第三十三話 楽師の長い旅（6）

「こういう雨は多いのでしょうか」

　好奇心に負けてシハルは口を開いた。店主は困ったような表情でわずかにシハルから目をそらす。

「悪質な雨師にでもつかまったんじゃないのか」

　突然シハルの腹にくくられたままのヴァルダが発言したので、目に見えて店主の顔に怯えが浮かんだ。人語を操る気色の悪い小動物などまともなものではない。

「雨師というのは何でしょうか」

　一方、リシャルドは慣れた様子でヴァルダに質問を投げかける。こちらは悪霊の存在をすでに受け入れている様子だ。普通に会話をしている。

「雨をつかさどる神々のことだが、広義では低俗な悪霊やそういったものを雨乞いの道具だとうたって売りつける人間なんかも含まれる。この町、ろくでもないもんがいる臭いがするぜ」

　ヴァルダが自身も低俗な悪霊めいた笑いを浮かべていう。店主は完全に怯えて口も聞けないでいるようだ。

「こわいですね」

　リシャルドは神妙な顔をしているが、シハルにとってはリシャルドの楽器の方が悪質に思える。真正の神でない雨師などは程度の差こそあれ対応は簡単だ。

　とりあえずシハルはチーズをハムで巻いて食べた。おいしい。明日はお金を稼いでまたこれを食べよう。

　しかし場所代というのが必要だと知ってしまった。失せ物探しをする場所はどうしたらいいのだろうか。やはりリシャルドのように稼ぎの一部を支払うべきかもしれない。後でヴァルダに聞いてみよう。

　その時、窓から閃光がさし、すぐにドンと地響きのような雷鳴がとどろいた。店内は小さな悲鳴やどよめきで満たされる。

「この雨はいつもどれくらい降り続けるんですか」

　リシャルドはグラスを片手に店主に問いかける。つられたようにシハルもグラスを手に取った。

「それがまったくわからない。二、三日でやむこともあれば何十日と続くこともある」

　店主はヴァルダを警戒しながら、リシャルドに向けて話す。

　この雨量で二、三日にも続けば上等である。雨師かどうかは見てみないとわからないが、もしかしたらおもしろいモノがあるかもしれない。ただリシャルドの楽器のように騒がしいのは嫌だ。

　考えながら手にしたグラスに口をつける。

　とろりと甘いがすぐに溶けて消えてしまうはかなげな甘味である。あとにふくらみのある旨味が残った。おいしい。そのままハムでチーズ巻いて口に入れる。これもおいしい。だがハムとチーズとの相性は葡萄酒の方が上かもしれない。おいしければどちらでもいいが。

「何をたくらんでいる。薬箱はもういっぱいだぞ」

　ヴァルダの声が下から聞こえてくる。妙に勘が鋭い。シハルが雨師に興味を示したことを察したようだ。ヴァルダのことは無視する。

「私は多少呪術を扱います。事情を聞かせてもらえませんか」

　店主はシハルを胡散臭そうに見てから、下にいるヴァルダをチラリと見た。やはりヴァルダが怖いようだ。

「シハルさん、この雨を何とかできるんですか？」

　シハルはシハルでリシャルドの足元に立てかけてある楽器を見る。相変わらず敵意の圧でやかましい。

「見てみないとわかりませんが、できると思います」

　すると店主は周りにはばかることなく大きな舌打ちをした。

「あいつもそう言ったんだ。なんとかできるって。みんな本当に困ってたから大金を詰んだんだが、その結果がこれだからな。悪く思わないで欲しいんだが、信用ができねぇ」

　どうやらヴァルダのいうような「悪質な雨師」と呼ばれる人間にやられたようだ。呪術師を警戒するのも無理はない。雨師が置いていくものといったら得体のしれない「雨師」という物品である。そちらは低俗な雨を呼ぶ悪霊を指す。捨てられた古い村の社などに安置されていたものを勝手に持ち出して売るのだろう。農地を持つ村の多くにそのようなものが祀られている。祀られているうちはその村の神であったものが、悪意ある人間の手で雨師に堕ちてしまうのだ。

「なるほど。ごもっともですね」

　シハルはとりあえずうなずいたが、勝手に見に行ってちょっとばかりいじくるくらいなら怒られないだろうと考えていた。雨師が気になる。

「何に困っていらっしゃったんですか？」

　リシャルドが世間話のような口調で続ける。

「砂だよ、砂。ここら辺はとにかく雨が少なくて、周りは砂漠地帯だ。どんどん砂が吹き込んで、年々町が小さくなっていた。このままでは町が砂に飲みこまれるのも時間の問題だ。もちろん砂を防ぐために木を植えてみたり、塀を立ててみたり色々とやってみたがどうもダメだった。藁にもすがる思いで旅の呪術師に頼んだんだが、この有様だ」

「うるおってはいますが、これではちょっと難儀ですね」

　リシャルドはチラリと戸口の方に目をやった。店の中にゆるゆると水が流れ込んでいるが、誰も気に留めない。よくあることなのだろう。

「そのやっかいなものを持ち込んだ人はどういう人なんですか」

　リシャルドの質問に店主は大きく眉をしかめた。思い出したくもないという表情だ。

「雨を呼ぶものを自分で作ったと吹聴していたよ。何だか木の箱のような……今から考えたら本当にあやしい男だった」

　雨師を自分で作った？　シハルは首をかしげた。シハルがジ・ダァの中にヴァルダを入れたように、その人物もどこかで低級な悪霊をつかまえて箱に入れて手作りしたということだろうか。そうなると盗んだ雨師でお金もうけをするような呪術師とはレベルが違う。

　ガタッと足元の楽器が動いた。

「おや、いけない」

　リシャルドは楽器が濡れてしまわないように膝の上に抱き上げた。コミュニケーションがとれている。

　気づいたらシハルはお酒を全部飲んでしまっていた。シハルも戸口を見やる。相変わらずすごい豪雨だ。

「お金はいりませんので、ちょっと様子を見てきてもいいでしょうか。モノはどこですか？」

　店主は困ったように眉根を寄せる。

「見るくらいかまわないが、この雨の中を行くかい？」

「雨がやんでしまってはわからないこともあります」

　めずらしくヴァルダが静かにしている。シハルがお酒やらハムやら口にしたせいか、いよいよ重く感じるほど大きくなっていた。まだまだ使えるほどではないが、毛並みもふわふわだ。

「どうやって雨師を封じるつもりなんだ」

「それは様子を見てから考えます」

　ヴァルダは「自信満々だな」となぜかおもしろそうにつぶやいた。興味はなくもなそうである。

　シハルが席を立つと、リシャルドもあわてたように立ち上がる。

「本当にこの雨の中見に行くんですか」

「ええ」

「では僕も。恋人を危険にさらすわけにはいきませんから」

　リシャルドは足元の水たまりを気にしながらシハルについてくる。楽器を持っているが濡れてしまうのではないか。

「あれは濡れてどうなかなるようなやわなもんじゃない」

　シハルの視線に気づいたのか、腹からヴァルダが汚い笑い声をあげる。宿の戸口を出ると雨が矢のようにシハルを貫かんばかりに打った。

「いやあ、これはひどいな」

　すぐそばにいるリシャルドの声が遠く聞こえる。これは早く方をつけないと風邪をひいてしまうかもしれない。

　シハルは懐中を探る。指先に香の入れ物があたった。これで忌々しい額の印が打ち消せると知ってからはずっとここにいれている。これさえあれは真性の神以外に負ける気がしない。

「シハルさん、あっちらしいですよ。町の外れです」

　いつのまにかシハルが聞きそびれた場所をリシャルドが聞いていてくれたようだ。ほぼ怒鳴るような大きな声で教えてくれる。

「そんなこと聞かなくてもわかる」

　ヴァルダが悪態をつくが、おそらくリシャルドには聞こえていない。

　確かに外に出た途端に禍々しい気配があり、方角は朱輪を使わなくともわかるくらいだ。だが念のためシハルは髪の間から朱輪を取り出す。「輪」といいつつ、小さな半円の金属がいくつか連なった形状の祭具である。特殊な金属の配合で作られており、ぶつかり合うことで音を響かせ魔を避けると言われているが、なぜか単体でも金属音がする。仕組みはよくわからない。シハルが村で神に仕えていた頃も一番よく使用したものだ。音や動きで邪なものの位置も知らせてくれる。

　しかし雨がひどくて進みにくい。式服はとうにずぶ濡れになり重たくなっている。ヴァルダの毛皮も水を含んでさらに重たい。もはやリシャルドがちゃんとついて来れているのか確認する余裕もなかった。

「あれでしょうか」

　町の家屋がまばらになった辺りに小さな池のようなものがあり、その中央の小島に何かが安置されていた。この大雨でも灯が絶えていない。

　箱だ。

　シハルは迷わず池に踏み入れる。池というよりは水たまりだ。朱輪が中央の箱を警戒するように高い音を鳴らす。この気配は何かに似ている。

　懐から香を取り出すが、ヴァルダに「おい」と呼び止められた。

「何ですか」

「もう一度聞くが、どうやって封じるつもりだ」

　豪雨のせいでヴァルダの声も聞き取りづらい。

「力でねじ伏せます」

　ヴァルダが何かを言ったようだが、シハルには聞こえなかった。

　香をとりだして額に解除紋を描こうとしてヴァルダが何を言おうとしたのか気づいた。

「雨で香が流れます」

　紋を入れたそばから流れてしまう。もはやヴァルダは黙っていた。文字と香りで力を発する香がこれでは用をなさない。

「ヴァルダ、どうやって封じたらいいと思いますか？」