占術士のカード(8)完
ロズウェルは思わず目をつぶってしまった。直後、恐ろしいまでの絶叫が地下中にこだまし、滝の真下にでもいるかのようなすさまじい水音であわてて目をあける。
だが大量の水を頭上から浴びせられ結局前が見えない。そして全身から水をしたたらせて、ようやく祭壇の辺りを見渡すと、あの蛇の姿はなくなっていた。
だが代わりに別の禍々しいものがいる。
巨大な狼だ。
たっぷりとした毛皮の上からでもよくわかるほどの筋肉が発達しており、立ち上がれば人の身長の二倍以上はありそうだ。口に人の足ほどの太さの白い大蛇をくわえている。蛇には鋭い牙が深々と突き刺さり、ときおり痙攣するように動いていた。
狼の洞のように暗い目に見覚えがある。
シハルは変わらず膝をついたままひたと前方を見据えていた。どういうわけかロズウェルのように水をかぶった様子がない。
ロズウェルはひとつくしゃみをした。寒い。カードを入口の方へ置きっぱなしにしていてよかった。
「ヴァルダ、神様に無礼のないように、丁重にお願いします」
シハルは白々しくそんなことを言っている。どう考えてもシハルの仕業ではないのか。あの暗い目と土色の毛並みはシハルのお守りではないかとロズウェルは思う。もはや非現実的なことが現実的に受け止められるようになってしまった。
ヴァルダと呼ばれた狼は妙に人間めいた仕草で何か言いたげな様子であったが、蛇で口がふさがっているためか低く唸り声をあげただけだった。
「さて、今のうちに失せもの探しを――」
シハルはいそいそと祭壇の近づき、瓦礫を持ち上げてはわきに放っている。なかなかの怪力だ。
「何を探しているんだ」
一連の出来事に呆然としていたロズウェルだったが、ようやく言葉が出る。
「――ロズウェルさんはそこにいてください。見つかったらお知らせします」
ロズウェルの方を見もしないで、めずらしくぴしゃりと言い放つ。
突然、狼にくわえられたままの白い大蛇がびくびくと暴れ出した。狼が獲物を扱うように首をふって蛇をふり回すとやがてもとのようにおとなしくなる。神様への扱いとは思えない。
「ここですね。見つけました」
瓦礫をどけた祭壇の奥にきちんと長方形に削り出されたような石の箱が見えた。シハルはその蓋をずらして中を見ている。
「とてもきれいです」
それから祭壇の前に戻り服が濡れるのもかまわずに膝をつく。何を言っているのか皆目わからないが、小声で何事かをつぶやくような声は妙なる歌のように心地よく、次々と結ばれる印を形づくる指先も見とれるほどにうつくしい。腰にさげられた半円がときおりうつくしい音色を響かせた。
本当に神職についていたのか。
最後に先ほどの金色の粉をその石の方へ吹きかけると、また香のよい香りが辺りにただよった。ロズウェルは不思議と心が落ちついた。
「簡略にですが、弔いました。ここにはいらっしゃいませんから、気持ちだけですけれど」
シハルは立ち上がって、ロズウェルに手のひらで祭壇を示す。ぼんやりとシハルの動きにみとれていたロズウェルはあわてて姿勢をただした。
「――何の話をしているんだ?」
「ロズウェルさんの婚約者の方です。ご依頼の失せもの探しですよ。ですがこちらにあるのは体だけです。今日言ったように心はあちらに――」
シハルはこの部屋の入口に置き去りにされているカードを指した。
「よく……わからないんだが」
シハルはなぜかふわりとほほ笑む。
「死者の名を三度呼べばそれはまじないになります。いなくなった婚約者の名を何度も呼んだのではないですか」
シハルの笑みに誘われるように、ロズウェルは祭壇に近づく。知らず指先が小さく震えていた。
「もちろん、誰にでもできるまじないではありません。呼ばれた相手が彼女だったからできたことです」
ロズウェルは石の箱に近づく。シハルがそっと燭台を差し向けてくれた。
――変わっていない。あの夜に心もとなげに小さく手をふって別れたあの時のままだ。ロズウェルから逃げたわけではなかったのか。
「ファールティ様のご加護なのかもしれませんが、ここはずいぶんと湿度が高くて気温も低いです。こういう環境だと人の体は蝋のようになり、亡くなったときの姿を長くとどめるのだそうです」
ロズウェルは黙って燭台の灯りにゆれる白い頰を見つめた。言葉は何も出てこない。ただ二十年前と同じいとおしさがこみあげて来る。
「少し声が聞きとれました。この方は神と対話ができる、神殿専門の建築士だったんですね。この町の人に請われてもともとあったこのファールティの地下神殿を神の意志にそうように手を入れた。――ですが、この町の偉い人たちがのぞんだ泉の維持にファールティは建築士をさし出すように要求したのだそうですよ。孤独な神が意志を正確にくみ取ってくれた彼女を気に入ったのかもしれません。偉い人たちはよそ者である彼女をファールティに贄としてさし出したようです。おそらくですが、犠牲になったのはこの方だけではありません」
祭壇の奥をみると、同じような石の箱がいくつも並んでいた。
ロズウェルはその場に膝をつく。じわりと膝に冷たい水を感じた。
この神殿の存在すら知らなかった。いや、どれほどの人が知っているというのだろうか。この町の豊かさが人を贄として要求するような化け物によって支えられているということを。
「私の話を信じていただけるかわかりませんが、町の人を恨んではいらっしゃらないようです。神の声を聞いてしまう者というのは遅かれ早かれ『そういう存在』に呼ばれてしまうものだからこれは定めだったと――そう、考えていたようですね」
しばらくは黙っていたシハルだったが、まるで耐えかねたように小さく笑い出す。
「それから最近あなたのひとり言が多すぎて気持ちが悪いとも言っています」
それは本当にポケットの中にでもいないと知り得ない事実だ。ロズウェルも少しだけ笑った。
シハルは半円の金属や、香などの道具を片付けはじめる。ロズウェルも思い出したように借りていた守り刀をシハルに返した。
「私に彼女の名前を言わないでくださいね。あのカードは本当にすごいものなんです。名前を聞いてしまったら横取りしたくなります」
やっぱりカードを狙っていたのかとロズウェルはまたおかしくて笑った。そんなロズウェルの前でシハルはおやつをねだる子供のように両の手のひらを差し出した。
「では、お代をいただきます」
シハルの要求した金額はおつかいの駄賃程度だった。この町の相場を知らないのかもしれない。
「まさかこの金額で全員の失せもの探しをしたのか」
こんな金額でやられたら客を奪われるのも当然だ。その前に商売として成り立たないだろう。朝から夜までひっきりなしに失せもの探しをして、ようやく宿代に足りるかどうかだ。
「相場というのを教えてやる――いや、これじゃ足らないな」
ロズウェルは酒を買うために持ち出した金をシハルの手のひらにのせたが、危険を冒して地下水路にもぐり、蛇の化け物と戦ってまで見つけてくれた報酬にはとても足らない。
ツケてもらうしかないかと思案していると、再度あの滝のような水音と地響きが始まった。
部屋の壁がまた移動し、外に出られるようになっている。
「動力は水らしいです。心配しなくても時間が経てば開いて、また閉まるのだそうです」
「それなら早く出ないといけないな――」
ロズウェルはちらりと祭壇を見る。シハルはロズウェルの心を読んだかのように口をひらいた。
「そのままにしておいて欲しいそうです。体は物でしかないから、それでなぐさめられるものがいるならそれでいいと。心は別の場所にあって、今とても幸せだからとおっしゃっています」
ロズウェルはしばし迷った。彼女をきちんとした場所に弔ってやりたいし、この町の「偉い人たち」とも話をつけたい。よそから来た人間だから自分たちの利益のために殺していいなどという考えは許せるものではない。そのためにも彼女の体は重要な証拠になる。当時必死に婚約者を探すロズウェルのことをどう思って見ていたのかと思うと腹が煮えた。
けれども――ロズウェルはくだらない見栄や常識にとらわれて、自分の考えを押し通してしまったことを二十年もの間ずっと後悔してきた。町の人を恨んでいない、そのままにしておいて欲しいという彼女の意思を今度こそ尊重すべきではないのだろうか。
「わかった」とうなずき、カードを拾い集めると、元のようにケースにしまいヴィロードの布で丁寧に包んだ。ここにいるのであればもはやロズウェルに望むものはない。
「さっさと逃げるぞ」
足元で物音がする。土人形だ。元のようにガタついた気色の悪い動き方をしている。土人形がここにいるということはファールティが解放されたということか。確かに急いで戻った方がよさそうだ。
「水で流れてしまいました」
シハルが無念そうに額をこすっている。
「そういえば、その馬蹄のような額の赤い模様は何なんだ。それをあの金の粉で塗りつぶすと何かあるのか」
「金の雪」、「壁塗り職人」、「馬蹄」の三枚のカードの謎はいまだロズウェルの中にくすぶっていた。確かにシハルは占いの通りのことをやっていたが、それが何だったのかよくわからない。
「端的にいうと神職として道を踏み外したので、こんなものをつけられてしまい、いろいろ不都合が生じています。ロズウェルさんの占いでこれを打ち消すような文字で塗りつぶしてしまえばいいことがわかりました」
ロズウェルの脳裏にまた横倒しに転がされていた神像や、狼にふり回されて苦しげに暴れていたファールティの姿がちらついた。
「なるほど。大変だな……」
ロズウェルはそう言うにとどめる。
昼間の占いで出た「神を囲む二人の殺し屋」とはこのことだったのか。気づくのが遅かったが、これもまた当たってしまったということだ。
結局ロズウェルは町を出ることにした。
婚約者の犠牲のうえになり立った豊かさを享受し続けることは心理的にむずかしい。幸いロズウェルにはあのカードがある。他の豊かな町へゆけば、収入を得ることは可能だろうし、気に入る町が見つからなければ旅を続けてもいい。最愛の人はいつもポケットの中で見守ってくれている。
シハルも地下水路をめぐる一連の出来事の翌日にはもう町から姿を消していた。
ツケてもらおうと思っていた失せもの探しの報酬もまだ全額支払っていなかったので、ロズウェルはまたもやもやとした気持ちを抱えこむことになってしまった。
「カードで占ってもらったのでいいんです」
残りの報酬を支払うと申し出たロズウェルにたいしてシハルはそんなことを言っていた。中断させたのは本人だったとしても、あれではあんまりに中途半端な占いである。
それでも本人はにこにことうれしそうであった。
「あのカードがそんなに気に入ったのか」
「ロズウェルさんの占いは当たるうえに人をしあわせにします。あのカード、とてもうれしかったです」
花嫁のカードのことだろうか。ロズウェルが首をかしげていると、シハルは少し気恥ずかしそうに笑った。
「私はお嫁さんになりたいので」
「シハル、きみは――」
シハルはきょとんと首をかしげる。
「女の子だったのか」
ロズウェルの言葉にシハルはショックを受けたように目を丸くした。
とても失礼なことを言ってしまった自覚はあるが、思い出すとまた笑ってしまう。
「さて、シハルを追いかけて金を払ってしまうか、それとも先にどこかでひと稼ぎしてからにするか。時間はいくらでもある」
二手に分かれた街道の真ん中でロズウェルはあぐらをかいた。ポケットから取り出したカードをなでると、「どっちがいい?」とつぶやき、ヴィロードの布の上に一枚のカードをあけた。
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