供養屋
佐伯僚佑
第1話 1年前に解散しました
黒地のパンツに黄色のパーカー。蜂の警戒色そのままだが、目立つには適している。僕は駅の改札すぐ外側で、電車でやってくる客人を待った。スマートフォンには遅れる旨の連絡は来ていない。待ち合わせまではあと十分ほどある。着くのが早すぎた。
ショルダーバッグから文庫本を取り出し、立ったまま続きを読む。内容はエッセイで、遠い異国での暮らしをコミカルに語ったものだった。自然と口元が綻ぶ。僕には日本語が通じない外国で暮らす勇気は無いけれど、こうして異文化を面白がれる感性を共有できるのは、本のいいところだ。
「すいません」
声を掛けられて顔を上げた。慌てて口元を引き締める。手元では、ほとんど自動的に栞を挟んで本を閉じていた。
「供養屋さんですか」
僕は頷き、文庫本をパーカーのポケットにしまった。
「初めまして。ミヤジマといいます。ウェブサイト、『供養屋』の管理人です」
こういうとき、作家だとか、それこそ供養屋だとか、はっきり自己紹介できたらいいのだけれど、いまいちしっくりくる言葉がなくて、いつもウェブサイトの管理人、という誰でも名乗れる意味のないものになってしまう。
供養屋が商売でない以上、職種というものはないのだけれど。
「予約しました、サワコです」
鼻は少し低めだが、目が大きいし、口元が整っている。一般的に見れば十分美人に分類されるだろう。
人当たりのいい明るい笑顔。僕も笑顔を浮かべる努力をして、手で駅の出口を指した。
「それでは、行きましょう。話を聞かせてください」
「はい」
ハキハキした声と絶やさない笑顔。望んで人前に出る人間とは、みんなこうなのだろうか。
駅を出てすぐ、僕の行きつけの喫茶店がある。行きつけといっても、家から近いのでよく行くという程度なのだけれど、店が広いので内緒話にはちょうどいいし、長時間居座っても嫌な顔をされない。されていない、と思う。
「あ、すいません。サイトには書きましたが、ここの支払いはお願いします。必要経費ということで。そんなに高い店じゃないので」
サワコさんは軽く笑った。
「はい、わかっていますよ」
僕たちはお互いに飲み物を頼んで、僕はついでにバニラアイスクリームも頼んだ。
「ここのアイス、美味しいですよ」
「そうなんですね。後で私も頼もうかな」
僕はボイスレコーダーを取り出して、セットした。
「申し訳ありませんが、録音させていただきます。依頼を受けないと決まるか、作業が終わったら削除します」
サワコさんは頷き、興味深そうに僕の顔を見ていた。
「何か?」
「随分丁寧な人だな、と思って」
何と返せばいいか困って、曖昧な笑顔で返した。ウェブサイトにも書いた説明を何度も繰り返すのは、僕が臆病なだけだ。
飲み物が届き、僕は切り出す。
「それでは早速、サワコさんが供養したいことを話してください」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
地下アイドルって知っている?
アマチュアのアイドルというか、これから売れようとしているアイドルのことね。大手に属さないで、地道にライブパフォーマンスをしている子たち、って感じかな。
一年前まで、私はそれだった。四人組でね、数日に一回ライブやって、歌や踊りの練習は毎日やって、あとはアルバイトで暮らしていた。
仲のいいメンバーでね、ライブの後にご飯食べに行って、ついついファミレスで何時間も喋っちゃうような。仕事仲間ではあったけど、当時は親友でもあった。
三年くらい頑張ったんだけどね、大当たりできなくて。グループは解散しちゃった。
あと一年続けたら売れたかも、そんな風に考えなかったわけじゃないんだよ。でも、高校の友達が結婚したり、昇進したり、何なら出産したり、人生の段階を上がっていくのを聞いていたら、だんだん焦っちゃって。
アイドルにこだわり切れなかった。
それが私の才能の限界だったのかもしれない。
リーダーのミカがね、ある日、メンバーに言ったわけ。「あと一か月で解散しよう」って。
みんな、何となくわかっていたんだね。このときが来たか、って感じでさ、反対の声は無かった。誰も切り出せなかっただけだった。
リーダーが、その役回りを引き受けてくれたってことね。
それからの一か月は、今さらだったけど、一番楽しくて、一番頑張った一か月だったよ。ライブやファンサービスをこれでもかってくらいやったし、お客さんを楽しませるためにいろんな工夫を凝らした。
それを最初からやっていれば売れた、というほど簡単な話でもないけどね。
それまで頑張っていなかったわけじゃないんだよ。
何が足りなかったのか、今はっきりとはわからない。ダンスのキレが足りなかったのか、歌唱力が足りなかったのか、トークスキルなのか、単に顔か。
ただ、今になると、もっと上手くやれたんじゃないか、当時は思いつかなかったけど、こんなアイデアもある、そんなことを考えちゃうの。
そう、それが、私が供養したいこと。
公園のステージ、小さなライブハウス、コンサートホールのポスター、そういうものが目に入ると、そこに立っている自分を想像してしまうの。
何百人、何千人ってお客さんを前に踊っている自分。私の言葉に、歌に熱狂する人たちを想像して、胸が苦しくて……。
解散するとなったとき、反対しなかった自分が今さら何を、って思うでしょう。でも、もしもあのとき続けていたら、運が傾くきっかけが降ってきたかもしれない。もう少し考えて努力したら、形は違ってもステージに立てたかもしれない。
あり得ないってわかっている。そんな小手先で何かをしたって意味がないんだよ。アイドルを目指す子たちはたくさんいて、そこから頭角を現すには、突き抜けたものが必要なのに、私たちはそれを持っていなかった。リーダーのミカは、身内の贔屓目だけど、プロ並みの歌唱力があったと思うのね。でも、それだけでは成功できない。
どうしようもなかったってわかっている。分不相応な夢だったし、一度は諦めることを決めたのも自分。
でも、今になって、もう一度あの場所を目指したいって思ってしまう自分がいるの。今さら、どうしようもないのに。
この気持ちを、私の夢を、供養したい。
ミカがリーダーに選ばれたとき、私たちはすんなり納得した。抜群の歌唱力と、私たちの中では一番のルックスを持っていたから。
だから、ミカがグループの解散を提案したときも、私たちはすんなり納得した。
「このメンバーでやっていくのは楽しいと思う。気が合うし、喧嘩らしい喧嘩もなかったよね。みんな真面目だし、努力家だし、正直、今でも続けるべきなんじゃないか、って思っている部分はある」
ミカにしては歯切れの悪い言葉で、ライブ終わりの私たちに終わりを告げていく。
一言ひとことを聞きながら、私は肩の荷が下りていく感覚に、ほっとしていた。
ようやく、終われる。
夢を見て駆け出したけれど、現実は想像以上に甘くなかった。雨後の筍のように乱立した地下アイドルグループの数々の中で、私たちはその他大勢にすぎなかった。
ミカは真面目だと評したが、実際は保守的だっただけだ。思い切った行動を起こせず、基礎が大事だと知った風なことを言って、ありきたりなトレーニングとパフォーマンスに終始した。
最も攻めたアイデアを出していたのはミカだったが(山に籠って修行しよう、など。笑えるよね)、私たちに気を遣ったため、実行できた企画は少ない。
今ならわかる。足りなかったものは貪欲さと、捨て身になる覚悟だった。
結局、私たちはただの仲良しグループに過ぎなかった。そして、それを分かっていた。
だから、沈痛な振りをして、ミカの言葉を聞いて安心していた。
ステージに立つという夢すら、保守的でテンプレートな少女の願いだ。私たちは少女を卒業する。
「でも、このままなあなあで過ごしても、意味はない。だから、あと一か月で解散しよう」
プロデューサーには話が通してあったらしく、その日のうちにホームページには告知された。
それからの一か月はあっという間だった。楽しかったが、それは必死でないがゆえの楽しさだった。まるでグループを組んで間もない頃のような、未来が開けた解放感。グループを始めたときと、終わるとき、どちらもスタートなのだと思うと、泣きたいほど嬉しかった。
そんな晴れ晴れしい気持ちでグループは解散した。最終公演を終え、いつものファミレスで、私たちは解散会をした。普段は飲まない酒も解禁した。
グループを組んでからの軌跡を辿る会。話題は尽きず、何度も大笑いした。それぞれが失敗も成功も持っており、ミカがステージ上で派手にこけて捻挫した話は一番盛り上がった。その後二週間は、踊れないミカのアコースティックギターソロ弾き語りパートが入るという、ストリートミュージシャンのような光景があった。
過去の話は尽きないが、話題はこれからのことに移った。
「みんな、これからどうするの」
ミカの言葉に、私はうつむき、メンバーのヒロは諦めたように笑い、カナは生き生きと語った。
「営業職に誘われているから、そこに就職する」
カナはアイドル活動を通じて、人と関わることが天職であると感じたのだと話した。カナの明るさは営業の武器になるだろうし、元地下アイドルという肩書も顧客の記憶に残りやすいだろう。
ヒロはバッグから一冊の本を取り出した。
「私は、デザイナーになりたいと思って、実は勉強していたの。服とか、アクセサリーとか。私が衣装をデザインして、みんなに着てステージに立ってもらいたかったんだけど、仕方ないよね」
ヒロには、衣装のほつれや破れを何度も直してもらった。でも、真剣に勉強していたとは知らなかった。
「ミカは?」
聞いたのは誰だったろう。少なくとも私ではあり得ない。
「私は、音楽の道に進む」
そうだろう。そんな気がしていた。
「アイドルは辞めるけど、音楽は続けようと思う。事務所も辞めない」
ヒロとカナは頷いている。やっぱり気づいていたのか。
「サワコは?」
ミカの視線が気まずくて、私は誰とも目が合わない空中に視線を逸らした。
「まだ、何も考えていないんだ。しばらくフリーターやって、ゆっくり考えるよ」
考えていたことはあったのだけれど、私は口にすることができなかった。
「そっか」
ミカの目を見られなかった。
散々名残を惜しんで閉店時間まで粘り、さらにカラオケに行って、アカペラで持ち歌を全曲歌い、朝になってへとへとになった私たちはようやく解散した。
気絶するように眠り、目覚めた私の視界に入ったのは、一本のベース。紺色のボディに、鈍く光る弦。
力なく抱え、ベンベンと鳴らした。
「サワコにはベースが似合うと思う」
ギター弾き語りをしていた頃、ミカはそう言った。
「ヒロはキーボード、カナはドラムス」
そのときの声が今でも鮮明に思い出せる。
「ドラムスって、両手両足別々に動かすじゃん。無理だよお」
カナの言葉でハッとしたことを覚えている。私には無理だ。楽器なんて触ったこともない。
その週末は、緊張しながら楽器店に入った。
今、涙目で苦笑しながら、下手な音を奏でていく。練習してみたけど、とても他人に聞かせられるレベルにはならなかった。ミカのギターの隣にいる自分を想像すると、場違いさと情けなさで嫌になった。
スマートフォンが点滅していた。メッセージが一件。ミカから、グループではなく個人宛だった。
「音楽の道を諦められなかった。バンドかソロかわからないけど、私はまたステージに立つよ」
ミカが求めている言葉も、私が返したい言葉もわかっていた。
でも、私が返したのは違う言葉だった。
「そっか。応援している」
送信ボタンを押して、一筋の涙が頬を伝った。これが多分、最後のチャンスだった。
私はもう、ミカについていけない。
小さなライブハウスで歌うミカの歌声は聴衆の熱を上げていく。静かに染み入るように、内部を震わせる。
前座として登壇したミカのバンドは、超有名曲のカバーで観客のボルテージを上げて颯爽と退場した。最後に、観客に向かってミカが手を振った。会場の緊張が解け、純粋な期待が空気に満ちた気がした。
控室に行くと、四人のバンドメンバーがいい表情で談笑していた。
「みんな、お疲れ。良かったよ」
ミカが顔を上げ、破顔する。
「サワコ、来ていたんだ」
「そりゃあ、ミカたちの初仕事なんだから、来ないわけないじゃない。他の担当業務を急いで終わらせてこっち来たの」
ミカがへへ、と幼さすら感じさせる顔で照れたように笑った。
「サワコも、マネージャーお疲れ様」
「全然余裕」
胸を張って答え、私も照れたように笑った。
隣に立つことはできなかった。ついて行くこともできなかった。
でも、私の夢は続いていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「私、マネージャーになったのね」
サワコさんは大笑いして、目尻の涙をそっと拭った。
「そっか。そんな未来もあったのか。それは思いつかなかったな」
ヒイヒイと笑って、サワコさんは封筒を取り出した。
「大満足です。あのベースがそういう伏線になるなんて、予想外だったわ」
僕は封筒を受け取って、中身を確認した。二枚の千円札が見えて、鞄に入れる。
「才能がないというか、楽器にのめり込めなかったのね。ベーシストにはなれなかった。でも、そうね、マネージャーになっている自分なら、フフ、たしかに想像できる。ステージで歌って踊るアイドルよりもよっぽど似合っているかも」
サワコさんの顔には薄い隈。機能性を重視した飾り気のない服。髪はポニーテールにまとめてあるだけ。化粧気も最低限。
「今日は、お子さんは?」
「夫に見てもらっている。たまには友達に会ってくるって言って来たの」
「友達、ですか」
浮気だなんだと責められたくはないが、喫茶店で会っているだけならば大丈夫か。
「嘘じゃないでしょう」
「まあ、はい」
ほとんど嘘だが、友達の定義をものすごく拡張すれば、あるいは。
最初にサワコさんに話を聞いて二週間、僕はサワコさんから聞いた話とサワコさんが所属していたグループの公開情報を元に、サワコさんの物語を書いた。
サワコさんが抱えていた思い。それはアイドルになれなかったことではなく、ミカさんについていけなかったことだった。
本当はミカさんの隣にいたかったのだろう。その機会を逃してしまった後悔が、今も彼女の胸から消えていない。
その思い出を物語の形にして昇華するのが、供養屋の活動だ。
「供養屋の名前を併記して頂ければ、SNSやブログに投稿しても構いません。もちろん、話のネタにしていただいて結構です」
僕が物語を書いたことで、空想のサワコさんが夢を引き継ぎ、現実のサワコさんの代わりに羽ばたいてくれたらいいと思う。サワコさんの胸に去来する思いが、夢を諦めた後悔ではなく、供養屋というよくわからない男に対する可笑しさであってくれれば、それでもいい。
思い出を供養し、前に進む助けになれば、僕はそれで満足できる。
「ありがと、供養屋さん」
僕は黙って一礼を返した。
薄い、それでもしっかりと製本した一冊を持ってサワコさんは改札の中へ消えていった。
僕が聞いたのはサワコさんの口から語られたことだけで、ことの真相はわからない。ただ、それほど単純で綺麗な解散劇ではなかったのだろうと思っている。
グループが解散したのは一年前。サワコさんはそれから出産し、今は子育てが最も忙しい時期にいる。
ならばいつ妊娠したのか。
答えは必然的に、アイドル時代ということになる。相手とはいつ出会い、いつ交際していたのか。それも同様だ。
アイドルならば、夢を見せなければならない。特定の誰かの恋人になれば夢は薄れ、妊娠すればただの現実だ。立場を確立したアイドルならば結婚や出産で致命的に人気を失うことはないだろうが、売れない地下アイドルとしては致命傷だろう。それどころか、継続できまい。
解散を言い渡したのはリーダーのミカさんだろうが、彼女は何を思って告げたのだろうか。
お腹が大きくなれば、サワコさんの妊娠は発覚する。そんな身勝手な妊娠を、メンバーは喜ばないだろう。ミカさんも解散するいい機会だと思ったのかもしれない。
僕はスマートフォンを操作し、ブラウザを開いた。直前に検索した画面のままになっている。そこには、ミカさんが新しい名前で結成した4ピースバンドの新曲リリース情報が表示されている。
ミカさんは諦めたのではなく、切り捨てたのではないか。
成り上がる意欲に欠けて、楽器や音楽に本気になってくれないメンバーを切り離し、自分はストイックに音楽を極めるために新しい仲間を探しに行った。
そのために、自分が悪役を引き受けて、サワコさんの妊娠を隠すためという煙幕を張って、誰も恨まれないように幕を引いた。
それは、悪い方に穿ち過ぎだろうか。
僕はサワコさんを責めないし、ミカさんの前途が幸多いものであってほしいと思う。
サワコさんのお子さんが健康に育てばいいし、夫婦仲が良好なままであると嬉しい。
思い出、供養します。
上手くいかない人生に、取り戻せない後悔に、ほんの少しだけ救いを乗せて、その思い出の冥福を祈ります。
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