拝啓、忘れものへ

 今まで生きてきた中で、取りこぼしてきたものは、どんな形をしていたんだろう。四角く尖っていたのか、丸くて優しかったのか、見えなくても悲しいものだったのか。

 忘れるということは、その形を思い出せなくなることだ。優しさの形も、悲しみの色も、自分を苛むものへの怒りも。私にはもう何も残されていないのだ。

 ぜんぶ、忘れてきてしまった。

 忘れものさんへ。

 あなたは何を思っていますか?私のことを、覚えていますか?苦しみの味を、あなたも感じているのでしょうか。私には分からないけれど。

 あなたはどんな顔をしていましたか?渋り顔でしょうか、誰にも真似できない笑い顔でしょうか、それとも、鬼のように眉を吊り上げていたのでしょうか。

 あなたの顔も、忘れてしまいました。

 あなたが今感じている味は、どんな味ですか?塩辛いのかな、泣きそうなほどに甘いのかな、それとも、舌がヒリヒリして何も感じられないほど辛いのかな。

 私には、その味は追想できそうにありません。だって、あなたごと置き去りにしてしまったから。

  ああ、願わくば。私のことも忘れてください。私がそうしたように、私を遠いところへ置き去りにしてください。

  もしも許しというものがあるのなら。私が置き去りにして忘れてきたもの全てに、許されたい。未だ鳴り止まない、体の真ん中で鳴り響くノイズが、今日も私を苛んで来るから。

  あなたにだけは、許されたい。

  忘れものへ。私はもう、息をし続けることを諦めてもいいですか?

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