第2話 一人の朝餉

 江戸間八畳の上に正座し敬忠は朝餉を摂る。時は朝五。それなりに広い屋敷ではあるが住人は敬忠一人である。元年寄本役―――下家老の身分だっとはいえ、一万石に満たない寄合に近い大名の家臣である。最も多かったときの預かり石高が一二〇石程度。それほど贅沢ができる身分ではない―――とはいえ、この屋敷に一人で住むというのもまた不思議な話である。そもそも江戸―――秋葉原の一角に駿河の家老が隠居して一人住むというのが。この屋敷は江戸勤番の折に懇意となった旗本より借り受けた屋敷であった。

 姿勢正しく、朝炊いたばかりの白米を口に運ぶ。おかずは大根のたまり漬が数切れと、小松菜に先日の残りの納豆を入れた納豆汁が椀である。当然すべて敬忠の自炊によるものであった。敬忠はいつも四合ほど米を炊く。一般に比べれば少ない量であるが、最近は昼を外で済ましてしまうのでこの位の量で事足りてしまう。

 きれいに朝餉を平らげる敬忠。両手を重ね目を閉じる。このご時世に三度三度食にありつけるだけで幸せなことである。そのことをなき君主松平信義公にも感謝せねばならない。しかし―――しかしなのだ―――

「たまにはカリカリのベーコンとサニィサイドアップの目玉焼き―――ケチャップをいっぱいかけて―――ソーセージなんかも盛って―――こうビジホで朝出るような―――そんなんでいいよ―――そんなんで―――」

 絞り出すような敬忠の言葉。到底この時代の若い侍の言葉とは思えない泣き言―――それもそのはず―――”彼女”は”令和”の人間だった。



 彼女がそれに気づいたのは二〇歳の時、元服して後のことである。養父の隠居を受け家督相続し、少禄とはいえ側用人を仰せつかったあの頃、当然の成り行きとして結婚も考え始めていた。そんなある日、敬忠は一冊の冊子を見つける。何気もなく屋根裏を掃除していたときに見つかった冊子。嫌に白い紙で独特の留め方をしている冊子であった。敬忠は本に明るい。実は本庁に内緒でこっそり江戸の庶民向けの読み物を書いてそれを生活の足しとしていた。当然バレればただ事ではすまないが、天下泰平も長い。いろいろ緩んでいる時代であれば、内密にすますこともそれほど難しいことではなかった。その冊子をパラパラと開く。墨ではなく―――薄い木炭か何かで書かれた帳面。”二〇二〇年”などという不可思議な年号が表紙に記されている。

 おや?と彼女は思う。漢字には違いないのだがあまりに省略されているその漢字がスラスラと読めてしまうのだ―――不思議なことに頭の中に入ってくる。そして、突然の頭痛。その場にうずくまり敬忠は頭を抱える。話には聞いたことにある脳の病。脳の血管が切れることで死に至ると―――助けを求めようとするがなんともいかない。時間の経過もわからず、そのまま意識を失ってしまう―――

 次の日の朝、敬忠は目が覚める。目の前にはくだんの”ノート”が開かれて。いやに頭がすっきりとする。そう、そしてすべてのことに気がつく。自分が令和の保坂恭子という女性の生まれ変わりであることを―――そしてこの”ノート”は彼女がこまめにつけていた”ラーメンデーターベース”であったことも―――

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