第6話 ジョンと大我のツルツル事変
あの一件を境に二人の距離は明らかに縮まった。留学の際に両親が借りたモデルハウスにも遊びに来るようになったり、興味の無かったジョンの身の上話まで聞いてしまう程、俺も心を許していた。
普段は能天気で何も考えてない様に見えるジョンも、自分に負けず劣らず波乱万丈というか、中々に面白そうな人生を歩んでいたからこそ俺達は自然と波長が合ったのかもしれない。
ジョンの父は軍人で幼い頃にテロの鎮圧に参加した際に、テロリストの凶弾に倒れ亡くなってしまったのだという。残されたジョンの母は女手一つでこいつを育てたそうだ。 しかしシングルマザーを積極的に雇いたいと思う職場などそうそう無く、働き口に困っては娼婦として日銭を稼ぐ毎日だったという。
そんな日々に疲れ果てた母は薬物に手を出し、中毒による幻覚症状の末ジョンが中学の頃に自殺したそうだ。
本来ならパンを片手にコーヒーを啜りながら聞く話ではないのだろうが、そのせいで二人の間に気まずい空気が流れる事は無かった。ジョンはそれから高校も努力の末に推薦で入学し、この大学にも入る事が出来たんだと
ふーん、と興味なさげに相槌を打つ俺の顔を見てジョンは頭を抱えながら言った
「俺の家族の話を聞いて同情しなかったのはお前が初めてだよミュゼー。まったく薄情な奴だ」
俺がジョンの立場でもそう言っているが、昔から同情は好きじゃなかったんだ。起きてしまった事を当事者が悔いる事は当然の権利だろうと思う。ただ、部外者が義憤に燃え無責任な励ましの声をかけるのは、冷たい事を言ってしまえば自己満足以外の何物でもないだろうと感じたから。事実ジョンも同情の言葉は聞き飽きていた様子で、ケタケタと笑っていたのは本心からだろう
ジョンのそういう所は俺に似ているのかもしれない。であるならばジョンの人生をどこまで弄って良いのかが気になった。他人とインターネットを介さずに接して来なかった俺は、少しジョンの心に踏み込んでみる事にした
「おい! お前そのドーナッツに掛かってる白い粉…母親のじゃねーだろうな」
ジョンはそれを聞いた瞬間に飲んでいたカフェオレを気管に詰まらせ、咳き込みながらのたうち回っていた。 どこか痛めたのかピクピクと身体を痙攣させ、やっと落ち着いたと思えば俺の肩を殴りつけ、吐き捨てるように「ヘイ!!」と叫んだ
それから白い物を見るたびにジョンの顔を訝しげに見てはジョンに肩を叩かれる、俺達の間で繰り返し行われるお気に入りのやり取りが出来た瞬間だ。
それから大学卒業までの4年間の間にはもっと様々なエピソードがあったのだが、それを語る日はまた訪れるだろう。それもそう遠くない未来に…
* *
「…っていう感じかな。まぁそんなこんなで金を借りに三日後に日本に来るらしいから、その時に多分一緒に配信するわ。俺も会うのは四年ぶりだから想い出話なんかもする事になるかもね」
日付が変わろうかという時間まで話し込んでしまった大我の脇には、十本以上のビールの空き缶が積み上げられていた。明日もある事だしそろそろお開きにしようかと提案するも、遮るようにイズミから一言問われた
「ねぇ兄さん。私前に一度兄さんと一緒にお風呂に入った事があったじゃない?」
「あぁ、先々月くらいにな」
視聴者の間に謎の緊張感が走ったが、今回重要な部分はそこではないらしく
「その時なんだけど…その…」
「つるつるだったのって…?」
更に驚愕の事実にこれではとても眠れんと、普段はおとなしい視聴者からとてつもない勢いで詰め寄られた
「分かった…確かにそう。全身脱毛をしているのは事実だけど…また今度でよくない…?」
ふざけるな、いい加減にしろ、このパイ〇ン野郎と散々な言われ様に観念したのか、大我もまた新たなビールを開けながら重い口を開き新たな想い出話に興じるのだった
「これは俺がジョンと一緒に住み始めるようになって数か月経った時の事なんだけど…」
* *
その日俺達はそれぞれの部屋で過ごしていると、ジョンの部屋から大きな叫び声が上がって少しするとドタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。またか、と俺は辟易しながらその足音の主を待っていると…
「ミュゼー! また虫が出たよぉ;;」
ジョンは虫が大の苦手だった。小さなクモだろうが、油断している時にはコバエにも驚き腕を振り回すほどに。自分の部屋に虫が出ると毎度こんな風に俺の部屋に飛んでくるのだ
そして俺が駆除してやると、まるで忍者のように忍び足で部屋の隅々を確認しながらまたいつもの生活に戻っていくのだが…
ある日事件が起きた
夏の暑さが増し、薄着で生活するようになるとこの家で大声が響く回数は格段に増えた。夏場だから虫が増えたのだろうとも思ったが、奇妙な事にジョンが自分の部屋を訪ねてくる事は無かったのだ。
そしてそんな事が何度か続くと、とうとうジョンは泣きそうな顔で俺に相談してきたのだ。
「なぁ、ミュゼー…笑わないで聞いて欲しいんだ…俺……脱毛しようと思う…」
急にどうしたのかと聞いてみた。どうやらタンクトップで過ごしているとクーラーの風で腋毛が不意に自分の腹部をくすぐり、それを虫と勘違いしたジョンは何度も大声で自分の脇腹を叩くという奇行を繰り返していたのだという。
確かにジョンの脇腹は赤くなっている。もう自分が情けなくて情けなくて…と頭を抱えるジョンに、行ってくればいいじゃないか。清潔感が増していいじゃないか? と背中を押すと顔を上げたジョンがこちらに向き直って提案してきた。
「じゃあミュゼーも一緒に行かないか?」
冗談じゃない。なんで俺がこんな奴の為に一緒に行かなきゃいけないのか。そもそも俺は自分の毛で困った事なんか一度も無いし、これからも困る予定なんかない。行きたいのなら一人で勝手に行けと突っぱねたがジョンもただでは引かなかった。
ジョンは男一人で行くのが恥ずかしいという。俺は男二人で行く方があらぬ誤解を生んでもっと恥ずかしくなるに違いないと言えば、ミュゼーも恥ずかしいなら恥ずかしさは半分で済むとジョンが言う。
どちらも意見を譲らない中でジョンは暴論で俺を捲し立ててきた
「じゃあ聞くけどミュゼーは今まで生きてきた中で腋毛に助けられた事ってあるか!? 邪魔だろあんなもの! あぁ今腋毛がなければ危ない所だった! ナイス腋毛! なんて事例があったか!?」
「日常において役に立つ物ではなく人間の毛髪というのは免疫の一部であり、潜在的に身体に害を及ぼしうるものを排除する役割を担っている。じゃあお前はまつ毛に毎日感謝しながら生きているか?脱毛するのなら眉毛までするのか?」
「もう屁理屈ばっか!!」
「お前だよ」
ぐぅの音も出ないとはこの事か。ぐぬぬ…とジョンは唸っているが、くだらないやり取りに辟易してしまった俺はジョンを家に置き去りにして一人で外食へ出向く事にした。
この国で一番うまい食い物を挙げろと言われれば恐らく半数の人間はハンバーガーと答えるだろう。それほどまでに食事の当たりはずれが多い。というかほぼ詐欺だろうというくらい不味い物が多すぎるんだ
肉に砂糖をぶちまけて焼き、焦げた砂糖の苦みを甘ったるいソースで誤魔化す糞のような料理や、ただただ硬く伸びたパスタに乳臭いソースを掛けるだけの物も食べた。
そんな物にも金を払って食べる人間が居る程度には食に寛容な国とも言える。
…なんて考えている俺の後ろを恨めし気にジョンが付いてきている
また何か別の理論で論争を繰り広げようとしているのか?どんな角度で攻められても負ける気など"毛ほども"無いが…
「なんだよ、まだ毛の話がし足りないのか? 悪いがお前の期待には応えられそうにないぞ」
「いや…お腹空いたから…お金ないからご飯おごってよ」
なんだ、こいつも飯を食う気だったのか…まぁバイトの給料が出る前はいつもこうなのだから慣れた…ん?
待てよ?こいつさっきまで脱毛に行くとかどうとか言っておきながら金はどうするつもりだったんだ?まさか俺の金で自分の腋毛を処理しようとしてたのか?というかそれが目的で俺にも脱毛させようとしていたのか…?いやまさかな…
さすがのこいつもそこまで自分勝手に、仮にも家に住ませて貰ってる友人に対して図々しくはなれないだろう。
「なぁジョン、どうせ脱毛に行く予定も無くなったんだからその金で美味い物でも食ったらどうだ?」
「え…? 無いよそんなお金…ミュゼーも一緒に連れてってついでに俺の分も払わせるつもりだったから…」
俺はジョンを投げ飛ばした。驚くほどジョンにムカついた。別に金を払いたくないとかではなく、その後の「ハァ~ア…失敗失敗…」みたいな態度に信じられないほど苛立ってしまった。
もう呆れの域にまで到達してしまうほどに。もうこの際、日頃のストレスもここで発散してしまおうと思いジョンを見下ろしながら声を掛けた。
「よし、いいねジョン。一緒に脱毛に行こう。金も俺が出すよ。いいね、今すぐ行こう」
「え、ほんと?」
それからすぐに脱毛サロンに行き別室に通されたるとチェックシートを渡され、永久脱毛の欄に〇をつけた。そこから細部に渡って〇を記入していくのだが、俺は文字通り全身くまなく〇をつけた
なぜこんな事をするのかと疑問に思う人も多く居るだろう、俺はストレスが溜まるとそれを発散するために面白い事をしなければ頭がどうにかなってしまいそうになる。昔からそういう性分なんだ
短気な俺はすぐ頭に血が上る、その度おかしくならない様に怒りを外に逃がしてやるのだ。
その為に首から下の毛を一本残らず根絶やしにして、自宅に帰った後に披露してそこで生まれた笑いの力でこのストレスをチャラにしてしまおうという算段だ。俺のツルツル陰部ちゃんを見た時のジョンの顔を想像すると今からすでにワクワクしている
施術し終え、その出来に感動しているのか何度も自分の腋を鏡で観賞しているジョンに、俺は身の毛がよだつほどの気持ち悪さを感じ…おっと "もうよだつ毛は残っていないのだった" …ふふふ
上機嫌の俺は帰り際、普段なら暴言で一蹴するようなジョンのクソくだらないジョークにも気分よく相槌を打ってやった
「ミュゼー、今俺は想像以上に最高の気分だよ。ただ君は今日から頭を悩ませる事になるかもしれないね…先に謝っておくよ。なぜなら、もし料理に毛の一本でも入っていたなら…それは君の仕業になるからだ☆」
パチンと指を鳴らしウインクしているジョンに、普段の俺なら
『知能に乏しい下郎が人の言葉を介して人間もどきを演じるとは滑稽だな』
と言っている所だが、今日はそうだなと言ってやる。なぜなら今、こいつは自分よりもツルツル度数の高い人間にツルツルの感想を自慢げに語っているのだから。
なんて哀れなんだろう…この世には自分よりもツルツルな人間など存在しないはずだ!とイキがっている。こんなにもツルツルな俺に。まだまだ半ツルツル人間のカスは俺に向かってジョークを放ち続ける
「なぁミュゼー、今日の晩御飯はチキンにしよう。だって、毛のなくなった俺達はまるで羽をむしられたチキンの様じゃないか☆」
パタパタと羽ばたく身振りをする不細工馬鹿にいつもなら
『親が薬物中毒だと子供もお前みたいな気狂いに育つんだな』
なんて言って鼻をグーで殴っているところだが、今日はそうしようと言ってやる。なぜなら今の俺はチキンでは無くパイとパンなのだから。
こいつは全身の毛が無い男に向かって一生懸命に話しかけているのだと思うと笑いが込み上げてくる。それを自分のジョークがもたらしたものだと勘違いした「たわけ中のたわけ」ことジョンはさらにギアを上げてきた
「これで我が家から虫の出現報告は一気に減るな、あのぉ…あれだ、駆除業者を呼ぶでもなく解決に導いて…な?☆」
語彙力の乏しさが出始めいよいよ鬱陶しくなってきた頃に家に着いた。
そして今日のメインでもある"お披露目"の時間がやってきた。どんな顔をするのか想像しながら俺は慎重にジョンに話を振った
「それにしてもあんなあっさり終わるとは思わなかったなぁ…腕のいい所だったのかもしれないな」
「そうだね、もっと時間かかるのかと思ったらクリーム塗って終わりなんだもんなぁ」
「あぁ…まさかこんなに綺麗に無くなるなんて思わなかったよ!」
そう言うとパンツを下ろし、焼き畑農業跡地の如くまっさらになった俺の陰部を目にしたジョンは驚いたように俺を見て言った
「あぁ、ミュゼーもやったんだ。ほら俺も」
俺はジョンを投げ飛ばした。帰路で聞いたくだらないこいつのジョークと、こいつの陰毛の脱毛費用まで負担したという事実と、何より自分が楽しみにしていた時間を奪ったこいつを許せなくなり、今までの経緯をすべて捲し立てるように言い放った。するとジョンは俺に背を向け起き上がるとこういった。
「よし分かった、ミュゼー…やっぱり今日の俺たちはチキンを食べるべきだよ…だって、君は今カルシウムが足りていなそうだからね☆」
鼻を殴った後に家を飛び出した俺はフライドチキンのバスケットを買い、やけ食いしながら家に帰った。
家に帰るとジョンはピザを食いながら俺の買ってきたチキンを見て「いいなぁ~」とか言っていたが無視してその日は眠った。これが俺とジョンのパイ〇ン事変のあらましだ。
* *
「って感じで、いまだに俺はツルツルなんだよね」
「…そう」
イズミの予想以上に薄い反応に長時間の話に疲れたのか、それともそんなに面白くなかったかと不安になってしまった。するといつもはきっぱりと物を言うイズミが少し気まずそうに目をそらして言った
「その…いくら兄さんの事が好きでも…そんな所見てないわ……///」
俺はなにか勘違いしてしまっていたようだ。言われてみればお湯の色が緑になる入浴剤を使い、シャワーを浴びる時もタオルをかけていたじゃないか。そうか、シャワーの時に俺の腋がちょうどイズミから見える位置だったんだ…何という事だ、実の妹に全世界同時配信で堂々とセクハラをしてしまったのか?
それはそうとさっきの話の最中に思い出したのだが、ジョンの野郎金が無いはずなのに家帰ったらなんでピザ食ってたんだ。日本来たらぶっ飛ばしてやると胸に決め、この日の配信は午前二時を過ぎた頃に半ばぶつ切りで終了した。
これがいつもの如月兄妹の配信風景である
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます