No.215:浅慮


 次の週末、俺はさっそく明日菜ちゃん宅にお邪魔することにした。

 社長と晴香さんに「結婚を前提に、お付き合いさせて下さい」と挨拶をするためだ。

 結婚は別だ、とか言われたらどうしよう……。

 いや、社長に限ってそんなことは言わないと思うけど。


 明日菜ちゃんの家の玄関前に到着すると、いつもどおり明日菜ちゃんが門扉まで出迎えに来てくれた。

 半袖のブランドTシャツに、白系のタイトミニ。

 生足と輝くような美しさは、出会ったときから変わっていない。


 ところが……気のせいか、明日菜ちゃんの表情が冴えない。

 体調でも良くないのか?


「瑛太さん……」


「明日菜ちゃん、どうかしたの? 元気ないみたいだけど」

 

 俺は急に心配になった。

 このタイミングで、明日菜ちゃんの元気がない。

 悪い予感しかしない。


「瑛太さん……あの……あとでお父さんが瑛太さんに、お願いをするかもしれません」


「お願い?」


 明日菜ちゃんは明らかに言いにくそうに、そう言った。


「なんだろ、お願いって……」


「あの、それでですね……もし嫌だったら、すぐに断って頂いていいですからね」


「ちょ、ちょっと待って。余計に気になるんだけど」


「すいません。でも……とにかく私は、瑛太さんの意思を尊重します。ですから瑛太さんの思ったとおりにして下さいね」


 どうやら明日菜ちゃんは、その内容を話してくれる様子はなさそうだった。

 これって、結婚に関することだよな……結婚式とか、しきたりとか、宗教とか?

 そういったことなのか?


 俺は不安を胸に、明日菜ちゃんの家にお邪魔する。

 社長と晴香さんは、すでに待ってくれていた。


 4人でダイニングテーブルに腰をおろす。

 少し世間話をしたあと、俺は切りだした。

 明日菜ちゃんと結婚を前提としたお付き合いをさせてほしいと。


 俺が言い終えると、社長も晴香さんも破顔した。


「ああ、もちろん構わないよ。仲代君だったら、明日菜をまかせることができる。これからも、よろしく頼むよ」

「瑛太君、明日菜をよろしくね」


 俺はここでようやく一安心する。

 手汗が凄いことになっていた。


 それから社長と晴香さんから、具体的な日程とかを考えているのかを聞かれた。

 

「その辺はこれから二人で話し合って行こうと思っています。ただ……自分自身奨学金の返済もあって、経済的に余裕がないのも事実なんです。ですから親とも相談したいと思っています」

 

 俺は正直にそう答えた。


「そうなんだね。いやー会社の給料を上げてあげたいのは山々なんだけどね」

 社長はそう言って笑ってくれた。


 それから俺たちは、しばらく世間話をしていた。

 ただ隣の明日菜ちゃんの表情は、いつになく硬いままだった。


「ところで……仲代君」


 突然社長の表情が真剣になった。


「明日菜との結婚を考えてくれているタイミングで……ひとつ考えてほしいことがあるんだ」


「はい……なんでしょうか」


 来た。

 なんだろう……



「仲代君……うちへ婿養子に来てくれないだろうか」


「え?」



 俺は社長の意外過ぎる言葉に、すぐに返事ができなかった。

 でも……俺は自分の浅慮を恥じた。

 なんで今まで気がつかなかったんだ?

 

 社長は兄弟もいないし、子供は明日菜ちゃんと小春ちゃん。

 二人とも女の子だ。

 当然跡継ぎの問題がある。

 そして俺は次男だ。

 

「いや本当はね、明日菜を嫁に出してから、先々二人でゆっくりと考えてもらおうかと思っていたんだよ。明日菜が嫁いだ後でも、将来また二人で南野家に姓を変えて入ってもらうことは法律上は可能だからね」


「そうだったんですね……すいません、自分の考えが浅かったです」


「そんなことはないよ。でもね……僕も気が変わったんだ」


 再び社長の表情が真剣になった。


「仲代君。将来的にうちの会社を率いていく気はないかな?」


「ええっ?」


 今度こそ俺は驚きを隠せなかった。


「それは……どういう意味でしょうか」


「そのままの意味だよ。養子に来てもらうということは、僕の後継者の第一候補になってもらうということになる。もちろん本人の適性もあるし、やりたくなければ無理になることもないしね」


 俺はまだ驚きから覚めずにいた。


「でも……もし本気でうちの会社を率いていこうという気があるんだったら、僕は仲代君が若いうちから将来経営者になるための教育をしていきたいと思っている。ちょうど僕の父親が、僕が若い時にやってくれた同じ事をね。まあ帝王学とまではいかないけど組織のトップとして必要な事というのは、それなりにあるからね」


「ちょ、ちょっと待ってください。話がちょっと突然過ぎて……それに、自分にそんな資質があるとは思えないんですが……」


「そんなことはないんじゃないかな。仲代君はトップとして大事なことをもう認識していると思うよ。仲代君、ホーチミンの空港で僕と話したことを覚えているかい?」


「ええっと……はい、覚えています」


「仲代君は、こう言ってたんだ。『自分一人じゃできないことでも、チームや組織ならいろんなことができる』って。あとはそのためにはどうすればいいか考えるだけでいい。私利私欲のために会社を利用しない事とか、お客さんと従業員を大事にするとか。とても基本的なことだよ」


 社長はそう言って、柔らかな笑みを浮かべた。


「もちろん仲代君がトップとしてふさわしくないと判断した時は、僕も仲代君を後継者として指名しないよ。だけど仲代くんにもしその気があるのであれば、若いうちから周りの環境を整えていきたいと思っているんだ。『地位が人を作る』という言葉もあるからね」


 俺はまだ言われたことを咀嚼している最中だった。

 俺が将来、フューチャーインポートのトップ候補?

 あまりにも非現実的だ。


「でも……自分に務まるでしょうか」


「それは仲代君次第だよ。でも僕も増田君も仲代君のことをとても評価しているし、会社での評判もいい。それにうちの家族全員、仲代君のことをもう家族のように思ってるんだ。明日菜だって『瑛太さん以外の人とは結婚しない』って、言い切ってるしね」


「お、お父さん!」

 明日菜ちゃんは頬を膨らます。


「もちろん仲代君の一存だけでは決められないと思う。是非ご両親とお兄さんも交えて、話をしてもらえないだろうか」


 社長はそう言って、また穏やかな笑顔を浮かべた。


「……わかりました。まだちょっと頭の中が整理されていないんですけど、家族とも相談させて頂いてもいいでしょうか?」


「ああ、そうしてもらえると嬉しいよ。無理なお願いなことは分かっている。だけど是非とも検討してほしいんだ」


「わかりました。ありがとうございます」


 俺は座ったまま、深く頭を下げた。

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