No.193:ノルマ


 今年の5月のゴールデンウィークは、お天気がいい日が続いた。

 俺は明日菜ちゃんとデートをしたり、南野家で食事を頂いたりしていた。

 久しぶりに会った小春ちゃんも元気そうだった。


「小春ちゃん、デザインの学校はどう? 楽しい?」


「うーん……実技は面白いんですけど、それ以外はつまんないですね。たとえばデザインの歴史の授業とか、もう眠たくって」


 興味があるものしか関心を示さない、小春ちゃんらしい感想だった。


「で、姪っ子か甥っ子には、いつごろ会えるんですか?」


「……とりあえず質問がおかしいよね?」


 それを言うなら、『結婚はいつですか?』だよね?

 いや、結婚もまだだけど……相変わらず平常運転の小春ちゃんだった。


 ゴールデンウィークの終盤には、久しぶりに誠治と綾音に会うことになった。

 場所は綾音のマンション。

 デリバリーを頼んで食べたほうが、落ち着けるだろうということだった。

 もちろん明日菜ちゃんも一緒に行くことになり、結局4人で会うことになった。


 俺は明日菜ちゃんと一緒に綾音のマンションへ向かった。

 綾音の部屋に入ると、既に誠治が来ていたのだが……


「誠治、久しぶり……ずいぶん痩せたんじゃないか?」

「誠治さん、ご無沙汰しています」


「おう、二人とも久しぶり。いやー仕事が大変でな。胃をやられて7キロ痩せたわ」


 目の前の誠治は、俺の知っている誠治とはかなり印象が違っていた。

 頬はこけ、目の周りにはクマができている。

 顔色だって良くない。

 体調が悪そうなのは、明らかだった。


「そうなのよ。なんだか誠治の会社、ひどい職場でさぁ……ウチも心配なのよ」


 綾音自身は変わった様子はないが、誠治のことが心配なんだだろう。

 俺たちは持ち寄った飲み物で、とりあえず乾杯した。

 それからネットでデリバリーを注文して、到着するまでとりあえずポテチをつまみに飲み始めた。


「それより体調は大丈夫なのか?」


「ああ、なんとか胃薬飲みながらやってるわ。半年の研修期間を終えてから、実際にテリトリーを与えられて営業が始まったんだが……ノルマがきつくてな。大変なんだよ」


「そうなのか?」


 俺の会社は部署としての予算目標はあるが、個人のノルマは課せられていない。

 だからその『ノルマが大変』という感覚が、よくわからなかった。


 誠治は今の会社の労働環境が、いかに過酷かを語ってくれた。


 会社は期初になると、売上目標・利益目標を立てる。

 その数字が全国のエリア、その下の各営業所へ『目標という名のノルマ』として割り振られる。

 営業所はその割り振られたノルマを、各営業担当者に振り分ける仕組みだ。


 誠治の会社は全国的に知名度が高いとは言え、マーケットシェアは実はそれほど高くはない。

 従ってシェア拡大を狙って、売上目標の数字は良く言えば意欲的、悪く言えば実現不可能なレベルらしい。


 各担当者はノルマの数字を達成するべく、リストの作成を課せられる。

 どの顧客に、いくら、いつまでに。

 そしてそのリストの金額合計は、担当者のノルマよりも大きな金額である必要がある。

 リストアップ先が全て達成できることは、まずありえないからだ。

 そもそもこのリストアップの時点で、現実問題としてかなり無理があるらしい。


 そしてそのリストを元に週に1-2回、課長から会議という名の『吊し上げ』が行われる。


『ここは、どうしてできないんだ?』

『もっと金額ふやせるんじゃないか?』

『この間、ここはいけるって言ってたよな?』

『新しいターゲットはないのか?』

『本当に必死にお願いしたのか?』

『努力が足りないんじゃないか? 俺が若い頃には……』


 こんなことがずっと続くらしい。

 とにかく『やって当たり前、できて当たり前』『数字を作れない者、人にあらず』的な雰囲気が蔓延しているらしい。

 しかもこれが半期ごとにリセットされて、延々と続いていく。

 話を聞く限り、地獄である。


 ただ中には仕事のできる営業担当者もいる。

 そういった人だけ栄転し、昇格し、さらに条件のいい営業所や本部へ移っていく。

 そうじゃない営業担当者は、その逆方向へ転がり落ちいく。

 まさに弱肉強食の世界らしい。

 これでは身体を壊しても不思議ではない。


「そもそもだな、シェアが上がらないってのは商品能力が低いことが一番の原因なんだよ。流行ってないラーメン屋は、ラーメンが不味いとか立地が悪いとか何か原因がある。売れる商品を開発できずに『とにかく売ってこい』というのは、その時点でかなり無理があると思うんだよ」


「ああ、そうだな。誠治の言うとおりだ」

 俺も全面的に同意だ。


 しかも誠治にはツキもなかった。

 シェア上位の会社が、夏の期間にキャンペーンを実施。

 期間中にビールの卸値を下げてきた。

 その分誠治の会社のビールの注文量が食われてしまった。

 これが上司の機嫌を更に悪くしたらしい。


「とにかく身体を大事にしないとね」


「ああ、そうだな。でも通勤も大変でしんどいし……綾音、悪いな。ちょくちょく泊まらせてもらって」


「ううん、ウチは全然いいんだけど」


 確かに三鷹の自宅に帰るよりは、中野からの方が横浜には近いが……。

 そういう問題でもないだろう。


 それから話題は、俺と明日菜ちゃんの話になった。

 誠治の後に話すのはとても心苦しかったが、俺たちの充実した毎日を正直に語った。


「うわー、なんだよそれ。同じ社会人なのに、こうも違うのか? 全く羨ましいぞ」


「本当ね。こう言ったらアレだけど……一番小さな会社に就職した瑛太と明日菜ちゃんが、一番充実した毎日を送ってるんだね」


 誠治も綾音も、羨望の眼差しで俺と明日菜ちゃんのことを見ていた。

 デリバリーが到着して俺たちは食事を始めたが、誠治があまり食べていなかったことが俺は最後まで気になった。

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