虚言

こうしてアラベルは、三度みたび、妊娠した。


「でかした!」


パン屋の男は、そう言ってアラベルを労った。アラベルも、<良い女房>のかおで、


「ありがとう、あんた」


微笑み返す。恐ろしいまでの二面性だった。


とは言え、表向きは幸せそうな家族の光景にも見えるその中で、ギャナンは、やはり死んだ魚のような目ではありつつ、しかし死んだ魚では有り得ない、<何か>をその眼の奥で揺らめかせつつ、部屋の隅に潜んでいた。


そしてそんなギャナンを、アラベルはやはり虐げた。悪阻がきついと言っては殴り、パン屋の男の前では良い女房でいるために酒を控えたことで腹が立つと言っては殴り、そして彼の体に痣ができると、


「また暴れて……本当にどうしたらいいのか……」


<我が子の問題行動に悩む母親>を演じてみせた。そしてパン屋の男も、そんなアラベルの虚言を疑うこともなく信じた。アラベルの<演技>もそれなりのものだったのだろうが、そのこと以上に、パン屋の男自身が、パンのこと以外にはあまりに疎く、能天気すぎるのだろう。なにしろ、客に勘定を誤魔化されてもそれに気付かず、そのままパンを渡してしまうような人間だったのだ。


お人好しが過ぎると言うか、何と言うか……


それでも、パン職人としての腕は確かで、店も繁盛していたことで、生活には困らなかった。




だが、そうして(表面上は)平穏に暮らしていたパン屋がある街では、ある時期から、不可思議な<事件>が続いていた。


子供が突然、姿を消すというものだった。いや、子供だけでなく、街のはずれの牧場では、生まれたばかりの子牛や、飼っていた犬がいなくなるという、奇妙な事件だった。


子供の失踪と、子牛や犬の盗難は、もしかすると別の事件なのかもしれないが、いずれも犯人の手掛かりがまったくなく、ただ子供が家出しただけだったり、子牛や犬が逃げ出しただけでは?という噂も流れ始めていた。


もっとも、ただの子供の家出でここまで完璧にいなくなれるというのも奇妙だし、そもそも犬はともかく子牛が親の下を離れるだろうか?という根本的な疑問もあったが。


しかしいずれにせよそれらは解決の糸口さえ掴めないまま、街の有志らの捜索でも、何の進展も見られなかった。


その中で、大きな蝙蝠のような何かが、野良猫を攫って飛んでいく姿を目撃したという者が出てきたものの、いくら大きくても蝙蝠が猫はまだしも犬や子牛やましてや人間の子供を攫うとは考えられず、それらを結び付けて考える者はいなかったのだった。


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