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突如始まった物語は、急速に時が進んだが、ここで1度私の人生を振り返ってみよう。

幼稚園の頃の私は、非常に泣き虫であり、弱虫であった。周りからは泣き虫だとはやし立てられ、平日は常に憂鬱だった。とは言っても、行かぬという選択は無かったのだ。当時は行くことが当たり前だと、親などから教育されていたため、そのような選択があるなど、夢にも思わなかったし、その教育は、今でも尾を帯びているのだ。私の唯一の救いは、絵を描く時間があった事だ。物心ついた頃には、既に絵を描いていた。どんな時でも、画用紙に向かっていた。それが、恐らく、その当時の私の人生で、最も楽しかったのだ。誰にも縛られることなく、自由に、画用紙の中に世界を作れる。そんな時間は、幸福であった。無論、その幼稚園での絵を描く時間も楽しかった訳であったのだが、ある日、いつもの様に適当なおもちゃか何かを描いていると、突然教師は「みんなのお父さんお母さんを描いてみよう」などと言い始めた。私は困惑した。なぜそのような事をしなければならないのだ。なぜわざわざこの貴重な時間を、教師のやらせたい事によって潰されなければならないのだ。勿論、父や母を描こうと思う時が、これからあるだろう。しかし、今ではない。今は、このおもちゃへと意識を集中させ、このおもちゃが何を見ているか、感じているかを、画用紙の中の私の世界に反映させているのだ。そんな事をしている暇はない。幼稚園児ながら、私は勇敢にも、その教師へと疑問を投げた。そんなことが、できてればよかった。私は出来なかったのである。この崇高なる作業をわざわざ中断させ、描きたくもない父や母の顔を描くことを受け入れてしまったのである。私は、教師へと疑問を投げようと立ち上がろうとしたのだ。しかし、突然その意思は疑問へと変わった。なぜ従わない?私が私に呼びかける。その疑問には、答えられなかった。正確には、答えを探す間に、皆が描き始め、あまり、そういう疑問を言える雰囲気では無くなってしまったのである。私は、強い屈辱を、幼稚園児ながら感じて、赤いクレヨンだけ使い、2つの丸を描いて、塗りつぶした。

小学校への期待は、仄かな疑心を帯びていた。皆が期待に胸を膨らませている中、宿題やら、勉強やら、そのような不穏な話が、気づけば、小雨のように、周りに降っていたのだ。とは言っても、実際見なければわからぬ。どのような場所なのかは、私自身で、この目で、判断する。そんな幼稚園児らしからぬ決意を持って、私は小学校へと入学したのである。

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