第7話 富田林メロスと云う男

 社長ディオニスは「ばかな。」と眉根を寄せた。白洲町のクレジットカード会社、旭西金融の応接室にて、セリヌンティウスが契約書に実印を押したのである。それも富田林メロスの借金の連帯保証人となる契約書だ。200万円の借金である。


 社長は訝しんで続けた。「なぜ、あの30にもなって定職に就かぬ男の為に、借金を負う。」「奴に、それほど、値うちがあるか。」常識セリヌンティウスは手を拍って言った「メロスに値うちがあるものか、奴は馬鹿で間抜けで愚か者。何度言っても話を聞かぬ、もう友でいるのも疲れたわ。」そう呵々と笑って腹を抱える。


「しかし、メロスは人を裏切らぬ。そして、親が面白がってつけたこのセリヌンティウスなるギリシアネームを笑わぬ。それどころか我らは似たもの同士、運命の友だと言う。同級に友を馬鹿にされれば憤慨し、窮地に在れば駆けつけてくれたものだ。」


 自らの名を貶められるのは耐えがたい苦痛である。似たような経験を持つディオニスは奇妙な共感を覚えていた。セリヌンティウスはふと竹馬の友、メロスの生き様を思い出す。


 メロスという男は愚直だった。就職氷河期だというのに面接で嘘も吐けず、媚びを売ることも、騙すこともできない。かといって、取り立てて秀でた才があるわけでもない。隙をついて誰かを蹴落とすこともできない。それも、日本男児には珍しい、ギリシアネームまで付けられている。本名、富田林☆メロスである。いくらなんでも☆は余計だった。悪目立ちは避けられない。


 必然、市場に売れ残り、就職活動を繰り返し、自動送信される心ない祈りによって自尊心を破壊されていく。弱った獲物には獣が食いつくものだ。数多の詐欺に遭い、友に裏切られ、かつての恋人に怪しげな情報商材を売りつけられそうになっても、メロスは正しく生きることを止めない。人を信じることを止めない。それはセリヌンティウスにはできなかったことである。


「私が判を押した理由はただひとつ、富田林メロスは信用に値する。それだけだ。」


 正社員になるために、正社員であり続けるために常識セリヌンティウスは多くを捨てた。それが間違いだったとは思わない。むしろ、メロスの愚直さを見ていると自分は正しかったとすら思う。それでも、セリヌンティウスはメロスの友で在りたかった。竹馬の友で在りたかったのである。


 外は嵐だ。台風の接近に伴い、災害警報すら出ている。クレジットカード会社の社員はすでに皆、家へ帰り、家族の安否を確認している頃だろう。鉄道も運休している、この状況で、わざわざ金を返しに来るというのは考えにくい。むしろ連絡がないところを見れば、きっと逃げたに違いない。これがディオニスの見立てであった。


 ……もし。もし、本当にメロスがやってくるならば。この嵐の中をやってくるならば。ディオニスはもう一度、人を信じることができるだろう。


 逆に、メロスがやって来なければ。尻尾を巻いて逃げてしまうなら、ディオニスの心は闇に染まり、二度と人を信じる事は無いだろう。期待と失望は対である。


「聞かせてくれぬか、おまえの友の話を。」「いいとも、くだらない話ばかりになるが。」


 雷鳴の中、身代わりはメロスを語り、その呆れた間抜けぶりに社長は低く笑った。




 ――川辺でメロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は暗雲の中で西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら堤防をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に浮浪者の群れがいた。


「待て、何者だ。」


「私は富田林メロスと云う者。すまぬがここを通してくれ、私は陽の沈まぬうちに旭西金融に行かねばならぬ。この100万円を無事送り届けねばならん。」


 懐から札束を取り出すと、浮浪者たちは眼を丸くし、ぎらぎらさせた。思うに、メロスは正直すぎるきらいがある。


「は、放せ。」


「どっこい放さぬ。有り金全部を置いて行け。」


「私にはこの金以外貯蓄も無い。この100万も借金で、これから社長にくれてやるのだ。」


「その、100万が欲しいのだ。」


 メロスは浮浪者たちを見回して言った。


 汚い身なりだ。これは一体どういうことか。もしや、まさか。君たちは生活保護を受けていないのか。愚かなのは仕方ない、誰もが最初はそうである。まずは役所へ行き……。


 そこまでメロスが発した途端、浮浪者たちは、ものも言わず一斉に鉄パイプを振り上げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げようとしたがうまくゆかず、したたかに打ち据えられてしまう。一度動きが止まれば次が来る、また次が来る、これでは多勢に無勢である。散々ばら打ち据えた後、日頃の鬱憤晴らすが如く、浮浪の民は呟いた。


「愚か者はお前の方だ。この国じゃ、住所がなければ生活保護は受けられぬ。そんなことすら知らぬとは。」


 そんな馬鹿な、政府の福祉はハリボテか! やはり、邪知暴虐の政府にはいつか鉄槌を下さねば! 脊髄反射で思考した後、メロスは静かに気絶した。




次回、「メロス、言い訳をする」みんな、読んでくれよな!

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