◇5-1:上辺だらけ


「明日からは森の警備に行くことになった。今日のうちに準備をしておいてくれ」


 それは初任務から十日程経った、ある昼下がりのこと。

 リディアがセシルの机に積み重なった書類の整理を手伝っていたところに、一通の封書が届いた。

 封蝋には魔導騎士団の紋章が施されており、中身に目を通したセシルが発した言葉が先程の台詞であった。


「随分と急なのね」

「いつものことだ。買い足しておきたいものがあるなら早めに言ってくれ。私は急には手を離せない」


 驚きのあまり、書類を落としそうになる。ぱちくりと瞬きをしたリディアは言葉の主をじっと眺めた。

(外出時は私用でも護衛が最低一人つくことは聞いたけれど……、今のって、え?)

 手元の書類へと落とされていた視線は、リディアへと訝しげに向けられる。


「なにかな、その顔は」

「えぇと、仕事が山積みな副団長の時間を割いてもらうのは申し訳ないわ」

「元は団長の仕事だから返せば済むだけのことだ。それとも、私では不満か」

「いえ……いや、……そう、ね」


 なんと言えば良いかと思考を巡らせているとなんとも間の悪い返事になってしまい、リディアの首筋を冷や汗が滑り落ちる。

 この山積みの書類を突然返されたらルイスも困り果てるだろうし、不満は大いにあった。


 祈祷師となってからは隣にいる時間が長くて見慣れてしまっていたが、彼は極上の美貌と輝く金の滑らかな髪をもった麗しの貴公子様だ。

 そんな男と日用品の買い出しだなんて、恥ずかしくて出来るわけがない。周囲の視線に耐えられるかも怪しい。


「うん?」


 たじたじになったリディアの続きを促すセシルの目は、心なしか面白がっているようにも見える。

 揶揄っているだけだと感づくと、これ以上遊ばれないためにも、はっきりきっぱりと言うべきだと意を決した。

「貴方のエスコートでは目立ちすぎて困るわ。お気遣いはとてもありがたいのだけれど、お互いの為にも良くないでしょう? 外に出る時は他の騎士に頼むから安心してちょうだい」

 にこりと微笑んで足早に退出する。

 こういう時は早々と立ち去ることが賢明だということを、既にリディアは学んでいた。



◇◇◇



「ついに宵の森へ行けるのね……ふふっ」

 荷造りをしながらも心はどこか上の空だ。


 思えば、初任務から今日までの間は平穏な毎日だった。

 初任務の翌日は元々予定が空いていたため、朝食を摂るなり屋上に造られた祈祷室で独り思いに耽っていた。司教が様子を見にやってきたので話を聞いてもらい、祈祷師として良きことをしたのだとお言葉をもらっては、また独りで祈りを捧げて。

 それ以降は距離を測りかねていた魔導騎士達にも笑顔で接して、セシルには次の巡回はいつ行くか問いかけた。そうして、王都から少し離れた治療院や王都中心の聖堂を何度か巡回し、祈祷師として人前にでることにも少しは場慣れしてきたと思う。


 自身の不甲斐なさを嘆くのは止めた。

 どれだけ悩んでもその場で答えが出るわけでもないし、リディアが祈祷師として表舞台に立ったのはまだ簡単に振り返れる程度だ。座学で教わったことが全てではないことは知っているし、経験を積むことでしか得られないことだって多いだろう。

 望む答えはそういった積み重ねの先にしかないのだ。そういう世界にリディアは立っている。

 思い返すだけで心が裂けてしまうような経験を忘れようとは思わない。けれど、常に思い出して後悔していては先に進めない。

 そのため、自分なりの答えがでるまでは心の奥底に隠して、周りに余計な心配をかけないように気持ちを入れ替えていた。


「買い足しておきたいもの。……化粧品が少し心許ないかしら?」


 衣類は祈祷師用の装いと夜着くらいしか必要ない。空いた時間のために数冊の本と刺繍糸や布も用意した。石鹸やスキンケア用品もそこそこ量は残っているが、おおよそ一月分の身支度をしているため、期間が長引いた時に足りるかと言われると心許ない。

 足りなくなれば近くの村で調達すればいいのだが、なるべく肌に合う使い慣れた物を用意しておきたい。けれど、リディアが使っているものは貴族ご用達の店で販売されているため、街はずれの村にあるとも思えない。

(粗悪品だったとしても気づけるかわからないし)

 普段は必要なものを言付ければ使用人が取り揃えてくれるのだが、なにせ今日中に必要なのだ。

 幸いにも護衛隊長であるセシルからは外出許可が下りているし、不安の種は回収しておこうと立ち上がる。

(問題は誰に付き合ってもらうかよね。行先を考えるとウォルトにお願いしたいけれど、部屋にいるかしら)

 貴族ご用達の店にクロズリーの家名を伏せて赴くことになる。貴族でなくとも身なりの良い者であれば問題なく出入りできる店ではあるが、エスコートする男性が貴族であれば不審がられることはまずないだろうし、万が一見知った者と出くわしたとしても上手く対処してもらえるはずだ。

 かといって次期侯爵のエスコートなんて頼んでしまえば、瞬く間に様々な憶測と噂が社交界を飛び回ることは目に見えている。


(何度考えてもあり得ないわ)


 “祈祷師と魔導騎士”以外で王都の街をセシルと歩くことなどないのだろうと、当然のように思った。



◇◇◇



 ウォルトに予定が空いているか尋ねると、快く了承を貰えた。

 以前は他の祈祷師の護衛に就いていたこともあって、こういったことには慣れているそうだ。


 待ち合わせ時間に一階ホールへ降りてからは、事前に行き先を告げていたこともあり、エスコートに身を委ねるだけですんなりと目的地へと辿り着く。

 化粧品だけでなく美容に関連した雑貨も取り扱っているこの店は二階が貴族向けの応接室で占め、一階は自由に商品を見て回れる造りになっていて、年若い女性達が店内でぱらぱらと物色していた。

 リディアも棚に綺麗に陳列された小瓶を眺めては手に取り、戻してはまた眺めて、時にはサンプルを試しながら、ゆっくりと店内を見てまわった。


 店舗内を行ったり来たりと何度も繰り返す。

 ようやく購入する品を決めて棚の上段へ手を伸ばそうとすると、後ろ斜めからスッと腕が伸び、リディアが今し方取ろうとした物がウォルトの手に収まる。

「他のものは店員を呼びましょうか」

 そうして手を軽く上げて店員を呼ぶウォルトには一粒の迷いもなくて。

 感心を通り越して呆けていると店員が淑やかに現れ、ウォルトにリードされるまま商品を次々と頼んでいく。一通り注文し終わると、その後のウォルトと店員の会話に割って入ることもできず、気づけば店員に見送られて店の外へと出ていた。


 ウォルトの左手には丁寧にラッピングされた商品の詰まった紙袋が下げられている。

「どうもありがとう」

 街を歩く人々の流れに合わせてゆっくりと歩を進めながら、ウォルトに礼を伝える。

「もちろん後ほど返していただきますよ」

「ええ。戻ったら渡すわね」

 ウォルトがあえて口に出さなかったものが代金のことだというのは一目瞭然だ。当然だとリディアが微笑み返せば、穏やかな笑みを浮かべていたウォルトの表情が怪訝になる。


「ではなぜ?」

「付き添いだけでも十分だったのだけれど、親しい間柄に見えるように配慮してくれたのでしょう?」


 必要なものだけを買って引き上げる予定でいたが、宝箱の中身のように美しく飾られた目新しい商品を見ていると、つい時間を忘れて長居をしてしまった。

 ウォルトにはさぞ窮屈な時間だっただろうが、常に気を配ってくれていたのだろう。


(私がどう動くのかをすぐ察してくれたもの)


 そんなウォルトに礼を伝えることは至極当然で、それに対して何故と思うことすらリディアには不思議でならなかった。

 ウォルトにとってはこういった機会が頻繁にあり、既に当たり前のことになっているのだろうか。もしそうだとすると、彼女か姉妹か、はたまた親戚かはわからないが、その女性はとても幸せ者だろう。

 リディアが参加した数々の社交場でウォルトを見た記憶はないが、こんなに気遣いのできる紳士がいれば女性の間で密かな噂になるに違いない。


「当然のことをしたまでですよ」

「ええ、だからありがとう」


 ウォルトは当たり前のことなので礼は不要だと伝えてくる。そのことを理解はしたが、リディアがお礼を言わなくていい理由にはならなかった。


 にこり、にこりとお互いに笑みを浮かべる。


「せっかくの外出ですし、他に希望があればお付き合いしますよ」

「そう? それなら……」

 そうして、ウォルトとの次の任務に備えた街歩きは陽が暮れ始めるまで続いた。



(ウォルトが相手だと少し気楽だわ。けれど、これって貴族同士の会話よね……?)


 お互いがどう思っているかはさておき、魔導騎士と祈祷師という関係とは違った空気が流れていた。






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