◇4-3:月影に潜む
魔導騎士団棟へと帰ってきたのは、夜も遅くシンと静まり返った時間だった。
馬車から降りて、セシルの後ろを重い足取りで追う。
――――嘘つき! この偽物!!
涙で震えた幼い少女の甲高い叫びが、何度もリディアの脳で木霊する。
「君は何も悪くない。医者の言うようにもう手遅れだったんだ」
祈祷師の部屋が並ぶフロアの通路で、セシルが静かに口を開く。
移動中は一言たりとも声を発する者はいなかった。
初任務に最適な聖堂へと赴いていたのだ。突如の事故を予測できる者などいない。
「ええ、わかっているわ。聖霊様の加護は万能の力ではないもの。祈りが届く範囲には限界がある。……祈祷師ならなんでもできる、だなんて思いあがってもいないから心配は無用よ」
「そうか」
淡々と言い切ったリディアに返ってきたものは、淡白な相槌だった。
支えられるように握られた手首を虚ろに眺めていると、リディアの心を強くさせていた重たい枷が呆気なく外れる。
途端に堪えきれなくなる感情を
「なにか食べるか? 希望があれば後で持っていこう」
「いらないわ。お気遣いありがとう」
振り返らずに答える。
マナー違反だが、どうしようもなかった。
早くこの場を離れたかった。
誰もいないところで独りになりたかった。
廊下にはリディアの足音だけが切なく響く。
まだセシルは言いたいことがあるのだろうと頭の片隅では分かっていても、自分の心を守る事を優先して、気づかないふりをした。
鍵を開けてドアノブを回す。
けれど、部屋に入ろうとした際に視界の端に映ったセシルがリディアの足を止めさせた。少女の家を出てから今までの長い時間そばにいたが、その表情が視界に入ったのは初めてだったのだ。
(ずっとどこか遠くを見ていたから、気づかなかった……)
若くして人望厚く、優秀な魔導騎士団副団長が後悔を顔に出すこともあるのかと、そもそも後悔することもあるのだなと人ごとのように思う。同じ人間なのだから、歳だってたいして違わないのだから当然のことだけど、そんな事も不思議に思うほど出来過ぎた人間だと感じていたから思わず立ちすくんでしまった。
いつの間にか触れられるほど近くにきたセシルが、迷いながらもリディアの頭に手を置く。
「最後、あの父親は幸せだっただろう。母と娘とともにいれて、聖霊の加護に包まれて。あの母娘も、時が経てば君に感謝をするはずだ。恥じることはない」
返事はできなかった。
「――君は、祈祷師として立派に勤めを果たしていたよ」
その代わりに、透明な雫が頬を伝ってポタリと垂れた。
◇◇◇
ローブを着たまま寝台へと勢いよく倒れ込む。
脱がないとシワになってしまう。頭ではわかっていても、もう動く気力が湧かない。
「はぁ……」
(なんで最後の最後であんなに優しくするのかしら。ずっと我慢してたのに)
音もなく溢れ出る涙がシーツを濡らす。
(心のどこかで、私なら、祈祷師なら何とかできるって過信していた。思い上がっていた)
歴代の祈祷師も同じような経験が何度もあったのだろうか。どんな思いで前を向いていたんだろうか。届けきれなかった祈りを悔いて、無力さに失望して。それでも、陽が登れば誰かの為に再び祈って。そんな毎日をどのような心持ちで過ごしていたのだろう。
(私は、どうするのが最善だったの?)
身じろぎをして仰向けになると、ローブの内ポケットからかさりと音が鳴る。
(なにか入れてたかしら……)
月の光が僅かに差し込む薄暗い部屋の中、手探りで内ポケットを探る。
出てきたのは、焼き菓子が包まれた小袋だった。
(そうだった。帰りに食べようと思って大事に取っておいたのを忘れていたわ)
焼き菓子は端からボロボロと崩れていた。何処かのタイミングで押し潰されてしまったのだろう。
中が飛び散らないように慎重に袋を開ける。
崩れた中でも大きいかけらをひとつ摘まんで口に放り込んだ。
「ん……美味しい……」
口の中に甘く爽やかな柚子の酸味が広がる。
(私の好きなもの……料理長にいつ話したかしら?)
記憶に残らないくらい、たわいもない会話の中でのことだっただろう。それを料理長は覚えていて、この日のためにわざわざ準備してくれた。今は季節外れで、仕入れにも苦労しただろうに。
「はぁ」
嗚咽の代わりに溜息が漏れる。
膝を抱えて、室内を微かに照らす月夜を見上げる。
月の儚い光はまるで聖霊の加護の光だ。
今も聖霊様は見守ってくれているのだろうか。
膝を抱えた手を組み、祈る。
そうして支えてくれている魔導騎士団の皆や料理長に感謝して、長い夜が明けるのを静かに待った。
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