◇3-4:散りばめられた心
「着きましたね。既にかなりの人が集まっているようです」
フレッドの視線の先は、王都の中心地から少し離れた一角にある治療院の正門だ。
負傷している者だけではなく、高齢者や仕事の合間を縫ってきた風貌の者、花売り等で溢れていて、中には小さな子供が一輪の花を片手に走り回る姿も目に映る。
「まるで祝祭のようだけれど、いつもこうなの?」
「関係者にしか知らせないことが多いですが身を隠す訳ではないので、帰る頃には噂が広まって人だかりにはなります。今回のように事前に周知することは遠方での巡回がほとんどで、王都では稀です」
人混みで治療院に入れないのではないか、というリディアの心配は杞憂に終わった。正門まで辿り着くと、負傷者が出入りしやすいように道が開けていたのだ。
受付を済ませたフレッドに連れられるまま階段を昇って廊下を突き進み、騎士の紋章が刻まれた扉を開ける。
落ち着いた色合いで統一された、こじんまりとした一室は壁に沿って椅子が並べられていた。不釣り合いにも壁に数種類の武器が飾られてはいるが、それ以外はよくある待合室だ。
けれど、室内を見渡しても人っ子一人いない。
「ここは騎士専用の待合室なんです」
「領地の治療院は分かれていないけれど、ここは違うのね」
リディアも貴族として領地の治療院や療養所の慰問に行くことは度々あった。
そのどれもが広々としたホールに身分関係なく負傷者が並んで待っていたことを思い浮かべる。
その違いに首を傾げつつも、壁に添えられた武器にそっと触れた。
飾られてあっても埃は一切溜まっていない。隅々まで手入れが行き届いていることがわかる。
室内を繁々と見渡すリディアに補足するようにフレッドが付け加えた。
「ここは王都内でトップクラスの実力を備えた治療院ですから。中心部からも行き来がしやすいので、王宮に戻るよりもこちらが近ければ騎士団も利用します。ただ、街の人々と同じ待合室だと萎縮されたり、怪我を負うほどの事態であれば噂に尾鰭がついて広まってしまいますので、王都のいくつかの治療院では専用の待合室を分けてるんです」
相槌を打ちつつ室内を観察していると、視界の端でフレッドが手を挙げた。
「もう直ぐ祈祷師様が着く頃です。ここから正門前がよく見えます」
フレッドが指さす大きな窓ガラスから覗き込むと、正門と集まる人々の様子が木々に遮られることなく見渡すことができた。
窓ガラス越しに正門全体を把握できるのは騎士専用の待合室ならではだろう。先ほどまで眺めていた武器の数々は、万が一の実践用だということが窺える。
(来たわ! あの馬車ね!)
程なくして、控えめな装飾が施された上品な白塗りの馬車と、馬に乗って並走する二人の魔導騎士一行が正門から少し離れた位置に到着した。
歓声とともに人が集まる中、馬車から先に降りた魔導騎士にエスコートされながら純白のローブを纏った祈祷師が現れる。
魔導騎士の一人はその場に留まり、残りの魔導騎士と祈祷師が群衆の合間を縫って、ゆっくりと動き出す。
注視していると、握手を求めたり祝福を願う者たちに祈祷師はそれぞれ言葉を送っているようだった。併せて集まった人々から花束や贈り物などを受け取っている様子も見て取れる。
「受け取ったものはこの治療院に寄付するのよね?」
「はい。帰りがけに受け取った場合は、その次の巡回で寄付します」
賑わいは更に人を呼び寄せる。
馬車から正門まで無言で歩けば五分もかからずにたどり着くその距離を、祈祷師達はおおよそ三十分もの時間をかけて歩き、治療院内へと消えていった。
そして、集まった人々は祈祷師と言葉を交わした後もその場をすぐには立ち去らず、感謝を口にしていることがガラス越しでも伝わる。
「祈祷師様は集まった一人一人にとても丁寧な対応をするのね。こんなに時間がかかるとは思わなかったわ」
自分があそこに立っていたらと考えると、巡回はまだ始まったばかりなのにヘトヘトになってしてしまいそうだ。
「帰りも同じくらいかかります。巡回地に着いたらまず院長に挨拶と寄付をしてから、療養者を見舞うために院内を回ります」
「院内でも同じように一人一人声をかけていくの?」
「はい。先ほどよりも療養者からの相談や悩みを聞くことが増えるので、この治療院を出るころには夕暮れになっていると思います」
「まあ、そんなにかかるのね」
窓越しに空を見上げると、ようやく太陽が空の真上まで登ってきたころだった。
常にだれかと会話をし続ける祈祷師も疲れるが、その後方に無言で控える魔導騎士にとっても体を思う存分動かせないのは苦行ではないだろうか。
「棟へ戻りましょう。運が良ければ、途中で祈祷師様を間近で見れるかもしれません」
「もう?」
てっきり夕方まで治療院内にいるものだと思っていたら、そうではないらしい。
踵を返して歩き始めたフレッドに遅れないよう、立ち上がりながら尋ねる。
「はい。入ってすぐの受付の横が待合室だったことに気づかれましたか。院長室はそこを横切った先にあるので、祈祷師様は待合室にいる者にも声をかけながら挨拶に行く可能性が高いです」
返事をしようと口を開いたが、声にならなかった。
踏み出していた足がピタリと留まる。
(どれも私のため、だったのね)
今日は祈祷師の巡回を事前に周知した、滅多にない日だった。変装しきれないリディアが人混みに紛れることができるように。
正門前での様子を見渡せる騎士専用の待合室のある治療院だった。そして、院内での様子を間近で見れる機会のある治療院でもあった。
どれも全て配慮してくれたのだろう。
そう考えると、今日この治療院で巡回をすることに決めたのはセシルではないだろうか。
この場に来ている祈祷師は今、警備塔を拠点としている。そのため、王宮内にある魔導騎士団棟から詳細を決めるために早馬を走らせても時間を要する。たった数日間でここまで調整してくれていたことに感心すると同時に、意図せずして、多忙な副団長の仕事を更に増やしてしまったことを申し訳なく思った。
「リディアさん? どうかしました?」
「いえ、急ぎましょう」
セシルが与えてくれた貴重な機会を逃さないために、先を行くフレッドの後姿を足早に追いかけた。
◇◇◇
階段を忍び足で、それでも急ぎ気味に降りて受付を通り過ぎる。
そっと様子を伺った待合室では肩を押さえている初老の男性と話をしている祈祷師の姿があり、男性は遠目から見てもわかるほど溢れんばかりの涙を浮かべて感謝の意を述べていた。
周囲の熱気が、信仰が、祈祷師の輝きが空気とともに流れて伝わる。
鳥肌が立って感嘆の溜息が溢れた。
遠目からガラス越しに眺めるのと間近で合間見えるのとでは全然違う。
ようやく会えた感動から無意識に胸の前で手を組みながらフレッドと並んで眺めていると、会話を終えた祈祷師がふいに顔を向け、なにを思ったのか駆け寄る。
「騎士様、任務中にお怪我をされたのですね。どうか私に騎士様の快復を祈らせてください」
すぐそばで祈祷師の凛とした、そして艶のある大人びた声が響く。そう感じるのはローブ越しでも強調されている膨らんだ胸元とゆるやかな女性らしい曲線のせいだろう。
どうやら彼女は王宮騎士の制服を着たフレッドの怪我に逸早く気づいて、駆け付けてくれたらしい。
このような場合を想定していたかのように迷いなくフレッドが言葉を紡ぐ。
「私は治療を終えたので大丈夫です。宜しければ、私をここまで連れてきてくれたこちらのお嬢さんに祝福をお願いしたいのですが」
「まあ、心優しい方に助けていただいたのね。貴女のお名前は?」
「は、はい。リディと申します」
突然話を振られて戸惑う。
まさか話しかけられるとは、そして名前を聞かれるとは思っておらず、かと言って本名を名乗るべきではないと咄嗟に出たのは愛称だった。
口から滑り出た後に、これでは本名を伏せた意味がないのではと後悔する。
しかし、そんな思いは一瞬でどこかへと消え去った。
「リディさん、この地を守る騎士様を助けていただいてありがとう。聖女ラティラーシア様も貴女を慈しみ、見守ってくれていたことでしょう」
祈祷師の両手が胸の前で組んでいたリディアの手をそっと包み込む。
その時、微かに祈祷師の指先がリディアの手首に埋め込まれた聖石に触れた。
肌に馴染んですっかり気にも留めていなかった聖石が、急に存在を主張する。
(気づかれてしまった……わよね。まずい、のかしら?)
お互いに祈祷師同士だ。
いずれ正式に会うことになるのだから、今知られたところで問題はない。
けれど、変装している手前、騙そうとしていたような気がして気まずさが残る。
そんなリディアの気持ちを吹き飛ばすように、クレマチスと蔦をなぞらえた金細工の冠から垂れ下がる薄布に唯一遮られない口元が綺麗な弧を描いた。
「貴女に多くの幸福が降り注ぎますように。――エクラシア・フィデラーレ」
祈祷師の腕輪から現れた魔紋が纏う淡い光はやがて霧散して消えていく。
心に沁みわたるように消えていった光は、リディアの中で煌々と瞬きつづけた。
◇◇◇
「その様子だと運良く祈祷師に会えたようだな」
迎えがきていると指示された道を歩くと、路地裏に紛れるように薄暗いマントを羽織った男が立っていた。
目深にかぶったフードからは闇の中でも輝く金髪が見え隠れする。
「貴方のおかげよ」
ありがとう、と感謝の意を伝える。
「大したことはしてないさ。どれもタイミングが良かっただけだ」
言い終わるやいなや体を反転して歩き出すセシルの後に続き、リディアは小走りで隣へ並ぶ。
「こうして迎えにもきてくれたわ」
「たまたま近くに用があっただけだ」
「実は気になって様子を見に来てくれたのではなくて? 私の弟もそう言って迎えにきてくれたことがあったわ」
「なにを馬鹿なことを」
そうこうして帰った魔導騎士団棟のホールではルイスが腕を組んで待ち構えており、セシルがマントの中から茶封筒を取り出し、そして、私を見て小馬鹿にしたように鼻で笑った。
(言葉のとおり、私がついでだったのね……)
どうやら少し調子に乗ってしまったらしい。
なにを言おうにもルイスの前では自らの首を絞める結末が簡単に予想でき、逃げるように礼をしてリディアはその場を離れた。
◆◆◆
「リディア嬢はあんなに急いでどうしたんだ」
「単に疲れたのではないですか」
「そうか? いや、それよりも書類の受け渡しだけで大分時間がかかったようだな。俺は気が気じゃなかったぞ」
「元はと言えば後回しにした挙句忘れていた団長の責任でしょう。今更急いだところでたかが数時間、大差ありませんよ」
「いや、それはそうだが……」
団長の代わりに行ってきたんだから感謝はされこそ、責められる謂れはないですよと去っていくセシルの背中に、俺が行ったほうが時間的にも精神的にもよかったと悔いるルイスの姿がそこにはあった。
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