◆閑話:零れ落ちた情


「君は見た目によらず、情というものがなかったようだね」


 ひどい奴だなぁ、と心のこもっていない台詞を吐きながら歩く殿下が薄ら笑いを浮かべているだろうことは想像に難くなくて、その後ろ姿を軽く睨む。


「それにしても、リディア嬢が七歳の頃となると十二年前か。ちょうど君が護衛をしていた時期じゃないか」

「……そうです」


 いずれ問われるだろうとは思ったが、どうやら既に把握していたらしい。黙秘を貫きたいがそうはいかない。


「君もそばにいたのかい」

「はい」

「私の記憶では、あれは指輪だったと思ったんだが?」

「幼い彼女の指には合いませんので、伯爵が常に身につけられるようにとピアスに変えていました」


 クロズリー伯爵にとって、私がこうして殿下のそばにいることは果たして想定内なのだろうか。それとも想定外なのだろうか。どちらにせよ、これは裏切りに他ならない行為だ。


「当時の彼女の護衛は誰だったかな」

「隊長は陛下の近衛騎士になっています。他の隊員はその場にはいませんでしたので無関係かと」

「なるほどね。当時から既に繋がっていたというわけか」


 ふーん、とどんな感情を抱いているのか全くわからない反応をする殿下は、知りたいことが取り敢えずはなくなったらしい。

 私がクロズリー伯爵家に恩を感じていることを殿下は知っている。その上で、嘘偽りなく答えを返すことを理解しているのだ。


 これは決して信頼なんて綺麗なものではない。


「私を試してどうしようというのですか」

「何も? 人は見かけによらないなと思ってね」


(それは貴方に一番当てはまることですよ……)


 殿下に付き従って早五年。彼の腹の底に渦巻くものは、いまだ得体が知れない。

 世間的には先見の明を持ち、人を引き付ける魅力を備えた若くして文武ともに優れた有能な王太子だが、近衛騎士となってからは理想のためには手段を選ばない、支配欲の塊のように見えてくる。

 そんな殿下の期待に沿った行動をするのは目指すところが同じであって、そのためにはどんな薄汚れたことでも厭わないと考える慾に塗れた己がいるからで。そんな私のことを殿下は最初から見透かしている。だからそばに置いているのだろう。


(こんな己をリディア様に知られたくはないな)


 幼い彼女から向けられる家族に懐くような親しみと仄かな恋心が混ざり合った面映ゆい感情が、強さを求める糧となり高みへと導いてくれた。自分の人生においてかけがえのない存在であったことは確かで、クロズリー伯爵への恩も奥深くまで刻まれている。

 恩返しをするならば今しかないのだとわかっていても、その選択をすることは変わり果てた今の私にはもうできないのだ。


(できない、ではなくて“する気がない”だったか)



 渇いた笑いが虚空に消える。

 硬く握り締めた拳に爪を立て、己が選んだ決断を戒める。


 私から与えられるものは何もない。幼かった彼女に差し伸べていた手は跡形もなく消えた。


 けれど、きっと彼女は自分で掴み取るんだろう。

 そうする強さが彼女にはある。


(それに……)


 殿下と比較されても甲乙つけがたいと評される彼は彼女の道を照らすだろう。

 私にも殿下にもない、年相応な青臭さがまだ残っている彼ならば――


 こんな他人任せで慾に塗れた姿を彼女が知ったらなんと言うだろうか。ありもしない未来を想って溢れた失笑は薄暗い闇夜へ溶けて消えた。



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