愛像
イキシチニサンタマリア
解錠された日々
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
またこの挨拶である。何年、何百年経っても変わらないであろう日常挨拶、一千年一日のごとく私の家庭はただただ退屈な日々を過ごしている。
夫は悪い人ではない、私と娘を愛してくれているし稼ぎも同年代の人と比べて格段と高い。顔だって地味だけど悪くない、すらっと高身長だし、性格だって優しくて結婚してから嫌味ひとつ言われたことがない。
だが、私には退屈なのである。いつも同じ挨拶、変わらない毎日。まるで毎日同じ行動をするようにプログラムされているようだ。
「ママー準備できた」
「じゃあ出発しましょうか」
これも同じだ。娘を幼稚園に送り、家に帰り家事をして、娘を迎えに行き帰ってきた夫と一緒に3人で食事をする。風呂に入って寝る。3年は同じ生活を繰り返している。娘が産まれた時私は、これから起こるであろう輝かしい日々が目前に広がっていくのを感じた。しかし、娘の成長と共にその景色が萎んで行くのを感じている。少しずつ私の人生自体が狭まっていくような気がするのだ。
「チョコは持った?」
「うん」
娘の荷物を持ち、外に出て鍵をかけた。これもいつもと同じ動作、毎日変わらない音色がする。
「ゆうたくん、喜んでくれるといいね」
「うん!」
今日はバレンタイン。娘のみゆが同じ幼稚園のゆうたくんにチョコを渡すらしい。やはり女の子はませている。バレンタインをいつから気にしなくなっただろう。学生時代は毎年二月に入るとソワソワしたものだ、手作りにするかそれとも市販品にするか。誰々ちゃんは誰々君に渡すとか、そんな話で持ちきりだった。私が夫に最後に渡したのは、、、。まあいい。どうせ夫も覚えていないだろう。
私と夫の出会いは、大学のサークルである。当時、大学内でも優秀だった夫に惹かれ、この人だったらいい人生が送れると思って交際を始めた。当時は何かと遊びに連れて行ってくれた夫も今では仕事だのなんだので、構ってくれない。挙げ句の果ては、私よりも娘を優先する始末である。何時だって私を優先してくれた彼も、いつの間にか私のことを蔑ろにする。保育園の保護者の集まりでは、ぺこぺこ頭を下げ、周りの母親や保育士に鼻の下を伸ばしている。こんなはずじゃなかった。私の結婚生活はもっと華やかなはずだった。
「ママ、今日はお父さんが迎えに来るんだよね」
「ええ、そうよ。今日からホットヨガを始めるの。だからお迎えはお父さんがくるの」
「夜ご飯は?」
「作り置きしておくから、お父さんと温めて食べて」
「ママは?」
「ママ友会で食事があるらしいいの」
「ふーん、わかった」
ホットヨガを始めることにした。幼稚園のママ友が誘ってくれたのである。今までホットヨガをやっている人なんて、ブルジョアだと思っていたが、私がそうなるとは驚きだ。写真を見せてもらった限り、なかなか刺激的な服装をしている。少し同じ服装をするのは恥ずかしい、あの服装を自分がするのは想像がつかない。
「おはようございます」
幼稚園の先生とはすごいと思う。無際限の体力を持つ子供達と毎日戯れているとは、どう言う神経なんだろう。私は耐えられない、比較的大人しい自分の娘ですらやかましかったり、耐えられない苦痛を感じる。
「今日は旦那様が迎えに来られるんですよね」
「ええ、顔見たことってありましたっけ?」
「はい、運動会や保護者会で何度か」
そう言う彼女は無邪気に微笑んでいる。保育士の癖に子供の父親の顔を気にしてるのか?そんな疑問を覚えたが、
「ママ、もう行くね」
そんな思考は娘の言葉に遮られた。
「ええ、いってらっしゃい」
「ゆうたくん、今一人で絵本読んでるよ」
「先生!私、別に聞いてないもん」
娘が恥ずかしがりながら、駆けて行った。さすが先生だ。伊達に毎日子供達と遊んでいない、考えていることが直ぐにわかるのだろう。
「では、私はこれで」
「お母さん、今日も一日お預かりします」
「はい」
家に着いてから、今日の夜ご飯を作ってみた。温めて食べられるように今日はカレーだ。来週はシチュにしよう。昔は手の込んだものを作り、夫に食べてもらい、ただ美味しいと言う一言のために頑張っていた時代があった。たった2、3年なはずなのに、すごく昔に感じる。掃除をして、洗濯をしテレビを見て、お風呂を沸かした。いつものルーティンだ。しかし、今日はいつもと違う。初めてのホットヨガ。意外と自分が楽しみにしていることに気づく。時間になり、荷物を持ち外に出て鍵をかけた。閉まる鍵の音はいつもと違う音色がした。
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