バイトテロ奇譚 ~人外娘を求めて旅立ったら呪われた~

さっさん

第一章 獣食った報い

第1話 転生は不安と共に

『起きて! 起きて下さい!』


 あれ、ここは……俺はどうなったんだっけ。何だか長い夢を見ていたような気がする。


『やっと起きましたか……』


 優しそうな女性の声が聞こえ、俺は我に返った。手を付き、起き上がる。

 どうやら床で寝ていたようだ。

 視界に入ったのは不思議な空間である。一面が真っ白で、雪だか煙だかに覆われている世界だ。奥行きが感じられず、どこまで続いているのかさっぱり分からない。

 そして眼前には椅子。その上に、翼の生えた女性が座っている。彼女はフゥ、とめ息をついた。


「天使ですか?」


 直感だった。俺は彼女にそう尋ねた。天女てんにょ羽衣はごろものような衣服を身にまとい、背中からは白い翼が生えている。

 透き通るような柔肌やわはだ、端正な顔立ち。抜群のスタイル。それらは光輪こうりんに包まれており、なんだか神々こうごうしかった。


「ええ、そうです」


 彼女はこくりとうなずいてみせた。

 やはりそうか。という事は、これは夢か。なるほどなるほど……。

 うん、良い夢だな。随分ずいぶんとリアリティがある。

 ……しかしまぁ、またこれは中々のエチエチボディのドスケベ天使ではないか。

 視線で舐め回すと、彼女はムッとした様子で眉毛を逆さにした。


「ここは?」


 俺が問うと、彼女は悲哀ひあいに満ちた表情を浮かべた。

 やや垂れ下がった眼は柔和で、それでいて可憐かれんさを感じさせる。祈るようにうやうやしく両手を組むと、彼女の頬を涙がつたった。


「ここは現世と来世の狭間、あなたは……プッ、不慮ふりょの事故で死んでしまったのです」


 そう答える天使。口の端が少し引きっていた。

 っていうか、今笑わなかった?


「フッ……クスクス……」


 死んだ……俺が? えっ、何で? 

 ま、まさか……ッ!?


「私、見ておりました。あなたは冷凍庫の中に閉じ込められて……ブフッ!! す、すみません……」


「いや、笑うなし! 死んでるからね、俺!!」


 天使様は吹き出し、顔をそむけた。そのご尊顔そんがんは分からないが……どうやら笑いをこらえるのに必死のようだ。

 ああ、なんて哀れなんでしょう、と付け足す彼女だが、今更もう遅い。


 声は震えているし、棒読みじゃねぇか、この野郎。マニュアルで言うように出来てんだろ!

 死者に対しての配慮というか、あるだろ、何ていうか……そういうのが!!


「……それで、俺はどうなるんすか?」


 死んだ上にバカにされて、気分は悪い。だが、これからどうなるのかは聞いておきたかった。

 こちらが座して背筋を正すと、天使も椅子に座り直した。

 すると、咳払いを一つして彼女は静かに口を開いた。


「失礼いたしました。私は天使ガブリエル。転生をつかさどる者です」


「知ってるでしょうけど、俺は立花たちばなです」


「ええ、存じております。死んでしまったタチバナ・ジン――」


 ガブリエルと名乗った天使が語り出した。どういう事情があるのかは知らないが、神妙しんみょうな面持ちである。

 その吸い込まれそうな瞳を彼女は一度瞑目めいもくさせると、勿体もったいぶるようにゆっくりと続けた。


「――あまりにも面白……可哀想過ぎるので、特例として希望する世界へ転生させましょう」


「ホントっすか!?」


 今「面白い」って言いかけた気がするけど。聞かなかった事にしよう。

 生前の事もあるから、地獄行きの覚悟はしていたけど。マジで?

 そんな特大サービスがあるなら……まぁ、死んで良かったのかな、なんてね!


 喜び、はしゃぐ俺、その問い掛けに対し、ニコニコと微笑むガブリエル。

 そうと分かれば、この不躾ぶしつけな天使も何だか愛しいとさえ思えてきたぞ。


「それじゃ、ケモ耳娘みみむすめのたくさん居る、ファンタジーの世界で!」


「ケモ……? 分かりました。良いでしょう!」


 俺は声高らかに宣言した。俺の大好きなケモ耳美少女、その世界へ俺は行く。

 対するガブリエルは刹那せつなにぶい反応を示していたが、こころよい返事を発してくれた。彼女は何も無い空間からパッと杖を取り出すと、呪文のようなものを唱える。


なんじ、前世の記憶と共に、その御魂みたまを新世界へ。今、旅立ちのとき――』


 瞬時に俺の周りを魔法陣が囲った。幾何学きかがく模様のそれは明滅を繰り返していく。

 ガブリエルの詠唱えいしょうが進むにつれ、魔法陣はおもむろに上昇していった。音や光が空間を満たしていく、神秘的な光景である。


『――いざ、新たな道へと進まん……ハッ!!』


 彼女が詠唱を終えると、それに答えるかのように魔法陣が一際ひときわ激しく光った。くるくると回転しながら、一本の光の柱を形成していく。

 徐々に足先の感覚がなくなった。次は手、胴体。順次、不思議な感覚におちいっていく。転生するのだろう。


「さらばです、タチバナ。良い人生を──」


 そう告げたガブリエルを見やり、俺は口角を上げた。

 来世はきっと、良い人生にしたい。いや、するんだ。アディオス、ガブリエル。

 薄れていく意識。消えていく身体。狭まっていく視界。


 見事なものだ。この女にスタンディングオベーションを送りたい、そう思った時だった。


「──あっ!! 間違えちゃった!!」


 ひどく不安にさせる言葉が聞こえてきた。

 ふと見れば目を丸くし、顔面蒼白そうはくで滝のような汗を流している。詠唱の為に広げた両腕をプルプルと震わせた状態で、ガブリエルはフリーズしていた。


「ウソやろ?」


 薄れていく意識。消えていく身体。狭まっていく視界。

 こうして――俺の異世界生活は産声うぶごえを上げた。

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