第272話 思い出深き記憶

 フォレは血と泥に塗れた背中に呼びかける。



「あなたの負けです。これ以上は無意味。降伏してください!」

「降伏? なんでだよ?」

「なんでって……もうあなたに勝ち目はありません。なのに、どうしてまだ戦おうとするのですか!?」

「……ふふ、その説明は難しいな。あえて言うなら、可能性を閉ざしたくない」

 

 笠鷺は振り返り、フォレを真っ直ぐな視線で見つめた。

 フォレに詳しく説明を交えても、理解はしてもらえない。

 だが、諦めればヤツハとしてはぐくんだものを全て壊されてしまう。

 だから、笠鷺は諦めない!

 

 その彼の視線と彼が口にした言葉は、フォレにある日の光景を思い出させる。


(この視線。それに今の言葉、どこかで……? そうだ、初めてヤツハさんが空間魔法に挑戦し、失敗したときだ)



 エクレルの地下練習場で、ヤツハは空間魔法の基礎である透明な立方体を産むことに失敗して、右手に激痛を走らせた。

 それでも諦めず、空間魔法を習得しようとする姿に、フォレは困ったような表情をヤツハに向けていた。


 その雰囲気に気づいたヤツハが、フォレに声を掛ける。


「心配してくれるんだ?」

「当然ですよ。どうして、あのような目に遭ったのに続けようと?」

「説明は難しいな。あえて言うなら、可能性を閉ざしたくない」


 この言葉はヤツハにとって何の変哲もない言葉だったが、フォレにとっては非常に印象深いものだった。

 彼は貧民街出身。

 幼い頃の彼には夢も希望もなかった。

 しかし、サシオンと出会ったことで、彼には希望が生まれた。夢を描けた。

 

 諦めずに走り続けることで、サシオンの背中に迫れることを知った。

 そのためにフォレは努力を続けた。

 その思いが心に広がり、彼はヤツハへこう言葉を返していた。



「……わかります、その気持ち。私も可能性を信じて努力し続けて、今ここに立っているのですから」



――

 フォレはかつての情景を瞳に浮かべて、笠鷺の姿に重ねる。

(どうして、彼があの時の言葉を? 偶然? そう、偶然のはず。でも、何故だろう? 彼からは懐かしさを感じてしまう……)



 血塗れの笠鷺はフォレから視線を外し、再び戦場へと向かう。

 そんな彼の背中を、フォレはじっと見つめ続ける。


 空から地上を見下ろしていたウードは、その奇妙な様子に気づいていた。

(フォレの態度が妙ね。ちょっと、遊び過ぎたかしら? つい、笠鷺の反応が面白くて地が出てしまった…………まだ、笠鷺とは遊べそうなんだけど、仕方ない。お遊びは終わりにして決着をつけましょう)

 

 彼女は切っ先鋭い金属の棒を操作する。

 そして、笠鷺に先端を突きつけた。


「出力を最大にした。これで終わりだ」


 笠鷺は答えず、一度チラリと前を見て、すぐに地面へ視線を落とし、片足を引きずりながら草原を歩いていく。

 それはここから逃れようとしているのか?


 彼の姿に、ウードは眉を折りながら問いかけた。

「どこへ行くつもりだ? そんな状態で逃げられると思ってるのか?」

「はぁはぁ、さてな……」

 笠鷺は視線を上げず、地面を見つめたまま、歩き続ける。

(あと少し……いい感じなんだ。だから、もうちょっとだけ身体、持ってくれよ)



 彼は回復魔法を唱えることなく、虚ろな表情でウードから離れていく。

 

「おいおい、どうした? 本当に逃げようとしているだけか? そんだけ粘ったんだ。まだ、何かあるだろ。俺はお前の土壇場での悪あがきには期待しているんだぜ」

「はは、そんなに期待してもらっても困るな。ほどほどに、それなりにな……」

 言葉を尽き、笠鷺は一瞬だけよろけた。

 それでも彼は歩みを止めない。

 

 フォレは笠鷺の姿を見つめながら、草原を流れる風に乗り届いた言葉に鼓膜震わせ、心へ沁み渡らせる。


「今の言葉は……」


 

 彼の脳裏に、過去の情景が次々と浮かんでくる。


 これは、カルアの人身売買に対してフォレが怒りに震えた時だ。

 彼は感情に荒れる理由をヤツハに告白した。

 自分が貧民街出身であること。

 それ故に、他者に対して不信があり、正義に強く傾倒していることに。

 正義と不信に揺れる心を、彼はこう吐露する。



「俺はさもしい男なんです。自分自身を正義と見せるために、自分を欺き続けている。本当の自分は正義とはほど遠い存在。疑り深く、壁を作っている。そうだというのに、正義を渇望してやまない。だからこそ、悪を憎もうとする。本当に、自分勝手で、わがままな存在なんです」


 それに対してヤツハはこう返した。


「あほか、お前はっ!」

「え? ヤツハ、さん」

「お前がさ、どんなに苦しい思いをしてきたか、知らんよ俺は。でもさ、頑張ってんじゃん。俺から見れば、本当にお前はすごいよ」

「でも、しかし」

「お黙り! お前は正義であろうとしたんだろう。で、実行できてる。それだけで十分じゃん。むしろ、それ以上を望もうとするなんて、ぜいたくな奴。やだね~、持ってる奴は」


「持ってるって、何を?」

「才能だよっ。実力だよ! そして、努力する心だよっ! フォレ、努力を続けるお前は尊い。だけど、それが苦しいってんなら、やめたっていい。もし、誰かが文句を言ってきたら、俺がぶんなぐってやる!」

「ヤツハさん……」


「でも、まだ正義を続けたいってんなら、俺を頼れ。俺だけじゃない、アプフェルだっている。トルテさんだっている。ピケだって助けてくれるさ」

「あ、あ、……俺は……」

「お前が子どものころに見てきた光景。受けた傷は俺にはわからない。でも、愚痴ぐらいは言えるだろ……だから、なっ」



 ヤツハはフォレに手を差し伸ばした。

 フォレは数度の躊躇いを見せて、ヤツハの手を優しく握りしめた。


「ヤツハさん、ありがとう。頼りにさせてもらいます」

「おう、それなりに期待してくれ」

「それなりですか?」

「当たり前だろ。そんなに期待されたら困る」

「……はは、ヤツハさんらしい」


 

 次に浮かんだ場面は、フォレがエヌエン関所からシュラク村へ向かう道中の会話。

 それはフォレが政治の世界に身を投じる可能性を話していた時だ。


 ヤツハ以外の仲間たちは叱咤と激励と期待を込めて、フォレに声を掛けていく。

 その中でヤツハは少し躊躇いを見せたが、すぐにしっかりとした口調でフォレの名を呼んだ。



「フォレ」

「ヤツハさん?」

「頑張れ、応援してる。でも、迷ったら俺に会いに来い。悩みくらいなら聞いてやる」

「ふふ、以前、同じような話をしましたね……期待はしてもいいんですか?」

「いや、そんなに期待されたら困る。ほどほどな」


 ヤツハは眉を跳ねて、ニヤリと笑う。

 アプフェルたちは呆れ返った顔を浮かべるが、フォレだけは羽のように軽やかな笑い声を上げた。 

 


 最後に浮かんだのはシオンシャ大平原での黒騎士との戦いの場面。


「ヤツハさん、下がっていてください」

「そうする。悔しいけどね」

「ヤツハさん……あなたの悔しさも私が引き受けますから」

「ああ、大いに期待してるぜ」

「ふふ、私がヤツハさんに期待を向けるときは、ほどほどにと答えるのに……」


「そ、それは……あんまり期待されるとプレッシャーだもん。だけど、お前なら大丈夫だろっ。だから、勝ってこい、フォレ!」

「あはは、わかりました……この日本刀『ヤツハ』に誓って、必ずっ!」



――

 脳裏を過ぎていく、ヤツハとの思い出。

 黄金の力を纏う、不思議な少年。

 フォレとヤツハの思い出を刺激する言葉。


「どうして、あの少年はこうまでヤツハさんに……」



 笠鷺の姿を通して、フォレの心の中はヤツハへの思いで満たされていく。

 彼は不思議な少年を目にした。

 

 そこに空から絶望が降り注ぐ。

 

「さらばだ、笠鷺!」


 ウードは最大出力のレーザーを地上へ放った。 

 光は大気を焦がし、笠鷺の瞳に迫る。

 魔力の尽きかけた彼の身体は全く反応できない。

 

(くそったれっ。ここだとまだ!)


 恐怖に目を閉じる間もなく、光は瞳へ突き刺さる。



――キィィィンッ!!


 

 草原に響き渡る、鼓膜に爪立てる金属音。

 続いて、響くは、ジュウ~と地面を焼く音。

 

 そして、光と笠鷺の間を遮るように、真っ赤なマントがひらりと舞う。


 瞳から光は消え、代わりに瞳に宿ったのは、蒼き騎士の鎧を身に纏った眉目秀麗な青年――その背中は、笠鷺がヤツハとしてアクタへと訪れ、盗賊たちから救ってもらった時に見た光景。



 彼は青い重厚な鎧を纏い、背には真っ赤なマント。僅かに襟にかかる程度の紺碧の髪を持つ。

 鳶色の大きめの瞳は自信に満ち溢れる輝きを放ち、薄く美しい唇は己への信頼に引き締まっている。

 どこか中性的な雰囲気を漂わせるが、それに相反する、剣士としての逞しき体躯。

 容姿からはかつてあった幼さは消え、騎士としての風格を感じさせる。

  

 絵画に描かれた王子様を彷彿とさせる彼は、持ち手に不要な飾りなど一切ない日本刀『ヤツハ』を手にして、悠然と立ち、笠鷺を背後に置いて彼へ強く問いかけた。


「あなたは、あなたはいったい何者なんですかっ!?」





――――――――――

フォレの思い出1「可能性」――『第五章 渇望する空間魔法』

フォレの思い出2「期待①」――『第六章 フォレの過去」

フォレの思い出3「期待②」――『第十五章 誓い』

フォレの思い出4「期待③」――『第二十六章 帰ってきた友』

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