第220話 優しさを胸に秘める誇り高き騎士・ノアゼット

 フォレのコイバナの件はみんなのモラルに期待して、俺は全力で記憶から消去する。


 そういうことで、俺たちも戦場へと歩き始める。

 その途中で、ケインが合流してきた。



 彼は相変わらずポージングを決めながら話しかけてる。


「これはヤツハ嬢。こちらにいらしたか」

「ん、何か用?」

「いえ、ヤツハ嬢にではなく、アプフェル嬢に」


 ケインがアプフェルに視線を投げると、彼女は無言で頷いて、とある作戦のためにセムラさんと共に門の外へ向かう。

 しかし、どういうわけか、彼女は途中で振り返り、じっと俺を見る。


「……あ、あの、まだ、」

「ん、どうした?」

「フォ…いない……時じゃ……いや、なんでもない」


 全く聞き取れない途切れ途切れの言葉を残して、彼女は小走りで門の外へと向かっていった。

 


「なんだったんだろう?」

 俺はアプフェルの背中を見ながら首を傾げる。

 すると、ケインが彼女の気持ちを代弁してきた。


「おそらくは、これから行おうとしていることに不安があったのでは?」

「ああ、そういうことか。予測がぴしゃりとはまれば、アプフェルは結構危険な役目だしね」


 俺はアプフェルの後姿から視線を外して、ケインとパティに向ける。


「じゃあ、こっちも兵士に紛れて行軍と行こっか」

「了解です」

「ええ、わかりましたわ」


 俺たちはアプフェルとセムラさんとは別行動をとり、一般の兵士さんの中に溶け込む。

 と言っても、パティは相変わらずのドレス姿で、ケインは山のような巨躯を見せている上に、黄金のガウンを纏っている。

 どこまで溶け込めるやら……。


(ま、一度戦場出れば、どこにいても同じだしな。それでも、なるべく兵士さんたちの影に隠れるようにはするけど)


 ウードの読み。

 それを元にした作戦。

 果たして、それは本当に当たるのか?

 当たったとしても、極めて勝ち目の薄い戦い。

 


――だけど、やるしかないっ!


 

 俺とパティはケインの部隊に随伴し戦場へ向かう。

 周りはケインと同じように上半身剥き出しの筋肉の塊たち。

 こちらが寒くなるような姿なのに代謝がいいのか、蒸気を纏う汗を生み暑苦しい。

 パティもそのむさ苦しい熱に顔をしかめて、扇子で口元を隠している。



 俺はなるべく視界から筋肉を消して、王都を望む。

 王都からは六龍のうち三龍。

 クラプフェン、バスク、ノアゼットが敵として前に立つ。

 

 敵――この言葉と彼女の名がどうしても結びつかず、ため息が漏れ出た。

 それをパティが拾い上げる。



「戦いを前にして、縁起でもないですわよ」

「ああ、悪い」

「それで、どうされたんですの?」



 パティは小さな笑みを見せ、話した方が楽になる、と、目で訴える。

 俺は彼女の優しさに甘えることにした。


「ふふ、そうだねぇ。ノアゼット様……いや、ノアゼットのことが気になってね」

「それはどのような?」

「う~ん、なんて言ったらいいのかなぁ。敵に回したくない人っていうか……なんで、あんな優しい人がブラウニーの下にいるんだろうって」

「優しい、ですか……?」


 

 パティはノアゼットと優しいの言葉が結び付かなくて首を捻る。

 ところが、この言葉を受けてケインが賛同する声を上げてきた。


「ああ、あの人はとても優しいお方だ。ヤツハ嬢は彼女のことをよくご存じのようで」

「よくってほどでもないけど……不思議な縁でね。何度も顔を合わせることがあって。それに何度も助けてもらったし」

 

 ちらりとケインを見る。

 彼は、らしくない憂いに満ちた表情を見せている。


(そういや、屋敷の運動場でもノアゼットの名を口にしたとき、こんな雰囲気だったよなぁ)

 やはり、彼とノアゼットの間には何かあるようだ。


 俺は極めて感情を言葉に乗せず、ゆっくりと尋ねた。

「今の話しぶりからすると、ケイン様はノアゼットと何か?」

「……ケインで結構ですよ。我々は対等の仲間ですからなっ!」


 少しだけ間をおいて、彼はググっと上腕二頭筋を前に出しながら言葉を発した。

 山ミミズのような血管が浮き出る二の腕。

 この人はこういう話し方しかできないようだ。


 そのことはともかく、今しがた彼が答えた言葉……対等な仲間。

 おそらくこの言葉には、彼とノアゼットの関係に触れても構わないという意思表示が含まれている。

 だから、もう一度ケインに尋ねる。



「それじゃケイン、改めて……ノアゼットとは親しいの?」

「ええ、彼女は幼いころ、じっさまの下で剣や武術を磨いていましてね、私にとっては姉のような存在でした。今でも非公式の場ではノアねえと呼んでいますから」

「え、そうなんだっ? じゃあ、幼馴染みたいなもの?」


「はい。ふふ、ヤツハ嬢を見ていると、昔のノア姉のことを思い出します」

「なんで?」

「あの頃のノア姉はヤツハ嬢やアプフェル嬢のように線の細い女の子でしたから」

「はいっ?」


 想像もつかない、ノアゼットの過去の投影。

 俺の知るノアゼットは背が高くがっしりとした肉体を持つ女性。

 とても線の細いなんて言葉はくっつかない。


 

 それに対して深く問おうとした時、パティがケインに詰め寄った。

 静かなる怒りを言葉に乗せて……。


「ケイン様……わたくしの名を外したのは、一体どういうおつもりで?」

「え、いや、その」

「まさかと思いますが、わたくしは線の細い女ではないとっ?」


 パティは扇子で自分の右の手の平をパシリと打って、ケインへ無機質な瞳を向ける。

 その気迫に押されたケインは山のような筋肉をしぼませながら小声で言葉を返す。


「い、いえ、けっしてそのような」

「では、どういうおつもりで?」

「それはですね、当時のノアねえは背も低く、ちょうどヤツハ嬢からアプフェル嬢くらいでしたので」


 たしかにパティは俺たちより頭一つ分背が高い。

 だけど、本当にそれだけだろうか、と、パティは訝しがる。


 

 このままだと埒が明かないので、彼女のことは放っておいて話を進めよう。


「ケイン、幼いころのノアゼットは恵まれた体つきをしていたわけじゃなくて、普通の女の子だったんだ?」

「え、ええ。とても愛くるしい少女でしたよ。よく花畑でままごとを行っていましたな」

「そうなんだ。なんか、想像つかないな。でも、それがなんで?」

「それは……」


 ケインは一度言葉を止めて、言い淀む。

 パティもなんだか落ち着かない様子。

 彼女にはノアゼットが変わってしまった出来事に心当たりあるようだ。



 ケインは数巡ほど思いを巡らせて、続きを形にした。

「ノア姉のヘーゼル一族は一度、お取り潰しの憂き目に遭いましてな」

「え?」

「具体的な内容は避けますが、しばらくの間、ヘーゼル一族には不遇の時代が訪れます。ですが、ノア姉は一族の名誉を取り戻そうと、一人立ちあがったのです」


「それでまさか、パラディーゾ様のところに?」

「はい。非力である自分を変えるために」

「あれ? て~と、今のノアゼットがあるのは……」

「はいっ、じっさまのご指導のおかげですな! ノア姉は誰もが羨む筋肉を手に入れたということです! あっはっはっは」



 いちいちポージングを決めながら、ケインはデカい笑い声を上げている。

 その態度に俺は無言で拳をググっと強く握り締めた。


(つまり、可憐な少女を強面の女性に変えてしまった原因ってことじゃねぇかっ)

 お家再興のために強くなりたいと望んだのはノアゼット本人だけど、なんか納得できない!


「ケイン」

「なんですかな、ヤツハ嬢?」

「殴ってもいいかな?」

「えっ、なぜですか?」


「いや、なんて言ったらいいんだろうか。う~んとさぁ、いくら強くなりたいと本人が望んでも、限度ってもんがあるだろっ。あんながっしりした肉体を手に入れたせいで、みんなから怖がられているわけだし」


「たしかに、そういう面もあるでしょうが。しかし、それはノア姉本人が望んだことでもあります。いや、そうならざるを得なかった……というべきでしょうか」

「どういうこと?」


「ヘーゼル家に男子はなく、お子はノア姉のみです。女性という身でお家再興を掲げ、男社会である騎士、政治、軍事に関わるのは並み大抵のことではありません。ましてや、彼女は六龍が一人…………弱さを、誰にも見せるわけにはいかないのですよ」

「あ……」



 ノアゼットは心優しい女性……だけど、それを表に出すわけには行かない。

 大勢の男たちの中で、孤独に戦い続けるには、自分を偽る以外なかった。

 ヘーゼル家を再興するために……。



 ケインは言葉をこう締める。


「彼女のたゆまぬ努力のおかげで、ヘーゼル家の名誉は回復しました。ですがノア姉は、六龍将軍、緋霧ひぎりのノアゼットとしての仮面を一生つけることを余儀なくされたのです」


「そうなんだ……じゃあ、ブラウニー側についてる大きな理由は……」

「お家のためでしょうな。彼女の気質ならば、王城での謀略に気づいた時点で怒り心頭に発したでしょうが……」


「それを堪えて……あんなに優しい人が、なんでこんな辛い目に……」

「そうですな。とても優しいお方だ。だが、誰もノア姉の心に気づいてくれない。あの方は民を思い、お家の厳しい財政事情も顧みずに、浴場を建設したというのに……」

「浴場?」


 ピクリと俺の耳が動く。

 アクタに訪れて初めて入ったお風呂。

 それは北地区にある、基本はノアゼット専用だけど、普段は庶民に開放している銭湯だった。

 

 そこで初めて彼女と出会い、一緒に風呂に入り、洗髪剤を貰った。



 俺はケインに問いかける。

「でも、あの浴場って、ノアゼットが自分のために建設して、その時の建設費用を賄うために庶民に開放してるって聞いたけど?」


 そう、アプフェルから説明を受けたのをはっきりと覚えている。

 しかし、ケインは首を横に振る。


「それは表向き。あの浴場が建設されたばかりのころは北地区は再開発の工事の真っ最中で、多くの労働者たちが汗と土に塗れていたそうです。ですが、浴場は少なく、彼らの汗を流す場が足りなかった。だから、ノア姉は……」



 ノアゼットは額に汗する労働者のために、大浴場を建設した。

 だけど、それを自分専用と偽ったのは……皆に恐れられる六龍ノアゼットとしてあるためだ。


 甘さを一切見せず、恐れられる道を彼女は選んだ。

 選ばざるを得なかった。

 たった一人でお家の再興という道を歩むためには、強さのみを見せつける以外なかった。



「なんて、かなし、っ!」

 俺は言葉を途中で切るっ。

 そんな言葉をかければ、彼女を傷つけてしまう。

 覚悟をもって歩んだノアゼットを侮辱することになる!

 だから、口が裂けようと言えない!!



 俺とケインは言葉を閉ざし、ただ立ち尽くす。

 すると、パティが言葉を柔らかに漏らす。僅かばかりの寂しさを乗せて……。


「皆、何かを背負っているんですわね……当然と言えば、当然でしょうが……」

 この言葉を耳にしたケインが、不似合いな小さな言葉を落とす。

「ノアねえ……」



 幼いころ、姉と呼んだ女性との戦い。

 いや、殺し合い。

 彼の胸中を察するに余りある。


 だけど、そうであってもっ!


「俺たちは負けるわけにはいかない!!」


 俺は二人を見つめる。

 ケインはまっすぐと覚悟の秘める瞳で俺を見つめ返す。

 パティも扇子を口元に置いて、瞳に炎宿し、見つめ返してくる。


 俺は二人から視線を受け取って、前のみを瞳に宿す。


「行こう、戦場へ」

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