第219話 アプフェルの覚悟と想い

 俺とパティの間に、暖かくも寂し気な空気が流れる。

 その空気を不躾な狼たちが吹き飛ばした。



「ほほぉ~、話を聞く限り、なかなかの傑物と見えるな。フォレという子は。だからといって、そう簡単には!」

「もう~、おじいちゃん。どっか行ってよ~」



 アプフェルとセムラさんは、まだ仲良くじゃれ合っている。

 そんな二人を目にして、パティは扇子を開き口元に置いて呆れ声を漏らした。



「今の話、聞いていらしたのね?」

「あ、うん、ごめんね」

「すまぬの。悩める若人の話を盗み聞きする気はなかったんじゃが……」


「まぁ、いいですわ。話してみると、それほどつかえのある過去ではありませんでしたし。あの頃は色々とありましたけど、どうやら懐かしき思い出となっているようですわね、ふふ」



 パティは過去と今を見つめ、笑う。

 その姿を瞳に宿したアプフェルは柔らかな笑みを零す。



「そうなんだ」

「ええ。あ、そうそう、一つだけ権利を行使させていただきますわよ」

「権利?」

「わたくしの過去を話したんですもの。次はアプフェルさんの番でしょう?」

「えっ?」


 たじろぐアプフェル。隣から狼が吼える。



「詳しく聞きたいのぉ。そのフォレという男とどこまで行っているのかっ?」

「どこまでも行ってない! って、おじいちゃん関係ないでしょっ、もう!」



 アプフェルはプイっと横を向いて、何も話すまいと口を真一文字に閉める。

 しかし、パティは催促を止めず、セムラさんはフォレとの関係が知りたくて激しく詰め寄ってくる。


 周囲には戦場に向かう兵士たち……。

 彼らは緊張感の欠片もない現場を目の当たりにして、底抜けな呆れ笑いを漏らしている。

 アプフェルはそんな兵士たちの視線に耐え兼ねて、俺たちを道の隅に引きずり込んだ。


「もう、わかったから。話すからっ」


 観念したアプフェルはフォレとの出会いを語る。


 


 アプフェルが国立学士館へ通うために王都へ訪れたのは、三年前……。

 パティが不登校だった時期と重なる。


 学士館に来たばかりの彼女には知り合いもなく、一人過ごす日々が多かった。

 また、人間を中心とした学校であったため、人狼であるアプフェルを奇異の目で見る者も少なからずいた。

 そのこと自体はアプフェルも想定の範囲内だったようだ。


 だが、寂しさというものが心をゆっくりと蝕んでいく。

 同時に、人間に対する諦め。

 彼女は当時をこう振り返る。



「あの頃の私は人間にがっかりしていた。王都には多くの種族がいるというのに、人間は壁を作っている。人間を中心としていた学校にいた私は、それをより一層肌に感じていた」



 しかし、彼女のことを気にかけている人間もいた。

 それはアプフェルの担当教官である教授。


 ある日のこと、その教授は学士館に届いた近衛このえ騎士団の依頼をアプフェルに任せることにした。

 


「たぶん、先生は気分転換のつもりで任せたんだと思う。それに、あの時の依頼は盗賊退治。実戦経験のある魔導生が少なったこともあるのかも」


 その依頼で、アプフェルはフォレと出会う。

 彼はアプフェルと年もそれほど離れていない青年。


 礼儀正しく、とても美しい男性だったが、アプフェルは彼の姿を暗く淀んだ瞳で見ていた。


(どうせ、この人も人狼を……)



 だが、フォレは違った。

 アプフェルを同じ人と見て、女性と見て、接してくれた。

 最初は抵抗感があったアプフェルだが、何度も一緒に近衛騎士団の依頼を行っていく中で、フォレという騎士を、一人の男として見るようになっていた、と。



「誰にでも平等に接してくれるフォレ様を身近に感じて、私は気づいたの。もしかして、壁を作ってるのは私も同じじゃないかって。それから私は、積極的にいろんな人と接するようになっていった」



 アプフェルの瞳に懐かしさの光が宿る。

 瞳に映るのはフォレの姿。

 彼女は瞳の中の彼に微笑む。


 

 そんな彼女の姿を見た、俺とパティとセムラさんは……。



「やっば、ガチの恋ですぜ、パティさん」

「ですわね。なんだか、こちらが恥ずかしくなってしまいますわ」

「ぬぬぬぬっ、聞くからには好青年のようだが。しかしっ、儂の目で確かめるまでは認めんぞ!」


「あんたらねぇ~、人の純愛をなんだと思ってるの!?」


「自分で純愛言うなよ……」

「普段は純愛とは程遠い、嫉妬に塗れていた気がしましたが?」

「くくっ、まさかアプフェルから愛なんて言葉が……成長しておるのじゃな。じいじはじいじは……」


 セムラさんは何に感極まったのか、腕を目に当てて涙を拭い続ける。

 当てた腕はふさふさの毛で覆われていて、タオルよりも吸水性がよさそうだ。



 そんなセムラさんは置いといて、俺はパティの口から飛び出した『嫉妬』の言葉に注目した。



「アプフェルさ、みんなと仲良く接するようになったくせに、フォレのライバルを牽制してたわけ?」

「う、それは……」


 パティが俺に続く。


「ええ、そのおかげで女学生の方々からは仲間外れにされていましたし」

「パティ~、あんただって基本一人だったじゃないのっ」

「あら、これでも少なからず友人はいましたわよ。皆、名門貴族の方々でしたが。名ばかり貴族の方々は嫉妬がひどくて」


 

 俺は再度耳にした、嫉妬という言葉から懐かしい記憶を思い出す。

 

「そういえば、初めてアプフェルに会ったとき酷い目に遭ったんだよなぁ」

「うぐっ」


 アプフェルは尻尾を跳ねて、猫耳をへなりと下げる。

 その姿をパティは楽しそうに見つめながら俺に尋ねてきた。


「何があったんですの?」

「俺さ、頭に怪我を負って、馬上のフォレの後ろに座ってたんだよ。そしたらアプフェルが『フォレ様。誰です、この女っ?』って、嫉妬丸出しの口調で責めるわけ」

「まぁ、酷いっ。怪我人に対してそんな態度を?」


「ちょっと待ってよ。その時は怪我をしてることを知らなかったから仕方ないじゃないの。それにそのあとちゃんと謝ったじゃない!」


「そうだっけ~?」


 俺はわざとらしくとぼける。


 アプフェルは歯ぎしりを交えつつ、しっぽと耳の毛を逆立てている。

 そこから予想だにもしなかった、とんでもない一言をぶつけてきた。



「そういうヤツハは、フォレ様のことどう思ってるの!?」

「え?」



 ピシリと、空気が固まる。

 パティは畳んだ扇子を顎先に置いて、俺の言葉をいたずらな笑いを交え待つ。

 セムラさんは泣くのをやめて、狼の耳をピクリとこちらへ向ける、って、なんだこの爺さんは?


 周囲の兵士もわざわざ列を離れ、何故か聞き耳を立てている。 

 そこにはいつもの三人組。スプリ、フォール、ウィターも混じってやがる。

 

 俺はアプフェルへ顔を向ける。

 彼女の表情は真剣そのもの。

 絶対にはぐらかせる気はないという気迫が伝わってくる。



「はぁ」

 俺はため息を一つついて、フォレに対する感情を思い起こす。


(フォレ、か……)

 あいつに対する感情の答えは出ている。

 ヤツハはフォレに惚れている。

 それは間違いない。

 今もフォレの名を心に響かせると、それにヤツハの心は応え、俺の心に熱を帯びさせる。

 だけど、俺は……。



 ゆっくりと、一音一音生み出すように言葉を漏らす。

「フォレのことは……好きだよ」


 この答えに、アプフェルは悲しそうな顔を見せた。

 でも、すぐに笑顔を見せて、答えを返す。


「そっか、ヤツハなら……ヤツハなら、そう、やつは、なら……」


 アプフェルは笑顔のまま瞳に涙を溜めていく、

 それが溢れ出し、零れそうになったところで、俺はアプフェルの頭を軽く叩いた。


「この、ばかっ」

「いたっ、何するのよ?」

「簡単に諦めんなっ」

「で、でも、たぶんフォレ様も、ヤツ」

「黙れっ! 最後まで俺の話を聞け!」

「えっ?」



 俺は大きく息を吸って、ヤツハの心に触れる。

 彼女の心に眠る思い。それは笠鷺燎の心に浸透していく。


 ヤツハは、フォレが好きだ。愛している。

 だけど、それは今の俺の心じゃない。

 そう、俺の心は別にある。



 俺はアプフェルを真っ直ぐ見つめて、偽りのない心を晒す。


「俺はフォレが好きだ。愛していると言ってもいい。だけど、それ以上に気になる人が俺には・・・いる」

「えっ、ど、どういうこと!?」

「ふふ、自分自身でも、その人に対する自分の感情がわからなくってね……正直言えば、その人のことは苦手な人の部類だった。でも、ほっとけないというか、誰にも理解してもらえない心を支えてやりたいというか。ま、とにかく、フォレ以上に気になる人がいるから、俺がフォレを選ぶことはないよ」



「そうなの……? あ、そっか。それって……うん」

 アプフェルは何に感づいたのか、一人で納得する素振りを見せた。

「あれ、アプフェル……もしかして、俺が気になってる人に気づいた?」

「え? ううん、全然。それよりも、その気になる人とはうまく行きそうなの?」


 てっきり、俺の心の中にいる人物の正体に気づいたのかと思ったけど、どうやら違うみたいだ。

 彼女の様子はちょっと気になったが、話を止めるほどでもないと思い、話を進めることにした。



「うまくいくかって聞かれると~……おそらく、無理。俺はあの人から選ばれることはないよ……」

「そう、なんだ……」

「残念なことにね。あ~あ、このままいくとずっと独り身になっちゃうなぁ」


 俺は意味もなく、ぐっと背伸びをする。

 これが何に対する、どんな感情に対する誤魔化しなのかわからない。


 ググっと背伸びをし意識を変えて、力の籠る眼でアプフェルをじっと見つめる。



「これが俺の答え。アプフェル、一つだけお前に伝えておきたいことがある」

「な、なに?」


「フォレの心にいる俺は手強いぞっ。お前に勝てるのか!?」

 俺はわざとらしくニヤリと笑みを浮かべる。

 その挑発を、アプフェルは正面から受けて立つ。


「な、な、な……負けるわけないじゃないの! 私はアプフェル=シュトゥルーデル! あんたの幻影なんかに絶対負けないんだから!!」

「ああ、そうだな。お前なら必ず、フォレの心を掴む。頼んだぞ、相棒。俺の大切な人を任せた」


 俺は拳を前に伸ばす。

 アプフェルはその拳を掴み、俺を引き寄せた。


「私の大切な人。あんたのじゃない!」

「ふふ、そうこなくっちゃ。アプフェルらしくない」

「フンッ、見てなさい! フォレ様はベタ惚れにさせてやるんだからっ」


 アプフェルは堂々と胸を張り、そう俺に宣言する。

 俺はその宣言を笑顔で受け入れた。


 


「う~ん、そうなりますと、一人可哀想な方が出てしまいますわね」

 

 パティは左手に持つ扇子で右手を叩きながら唸り声を上げる。

 セムラさんは何かを憐れむような表情を見せている。

 それは周りにいる兵士やスプリたちもだ。


 俺は妙な空気が気になり、みんなに尋ねた。

「どうしたの、みんな?」


 すると、パティからセムラさん、スプリ・ウィター・フォールと順番にみんなは答えていく。


「だって、フォレさんはあなたに思いを伝えることなく振られたことになるんですよ」

「孫に相応しい男かはともかく、同じ男として、少々可哀想じゃわい」

「あ~、僕はフォレ様と会った時、どんな顔をすればいいのか……」

「自分は……聞かなかったことにします」

「だけどよ、こんな大勢の前で話しちゃってるんだぜ。手遅れだろ。これって公開処刑だよな」


 最後のフォールの言葉を聞いて、俺は短く声を出した。

「あ」

 

 そう、周りには大勢の兵士たちがいる。

 

 俺は数度大きく深呼吸をして、みんなに頭を下げる。


「え~っとですね。このことは全部聞かなかったことにしてください。このヤツハ、一生に一度のお願いでございます……」

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