第174話 女神が禁忌とする亜空間転送魔法

「亜空間転送魔法……」

 俺は先生の言葉を繰り返す。


 亜空間転送魔法とは、膨大な魔力を必要とする転送魔法。

 現空間とは異なる空間を歩む魔法。


 これにより、通常の転送では阻まれる結界を容易く越えて転送を可能とする、最強の転送魔法。

 たが、その道は苛烈。

 

 異なる空間・『亜空間』は想像を具現する世界。

 自分が火だるまになる想像をすれば、たちまちのうちに火に飲まれてしまう危険な場所。

 そのような場所を歩み、目的地を目指さなければならない。




「先生には可能なんですか?」

「何度か試したことはあるけど、私には無理でした。しかも、それが教会に見つかって怒られるし、しばらく牢に入れられるし、散々だった……」


「え、なんで教会に?」

「少しだけ話したことがあると思うけど、亜空間転送魔法は禁呪。さらには女神が絶対禁忌と定めた、禁忌の中の禁忌の魔法なのよ。それで」《第十三章 転送魔法とは》

「結構、無茶したんですね」

「ま、若気の至りというやつかしら。でも、今ここで、再び禁忌を破る必要があるようね」

「いいんですか?」


「いいも何も、それしかないなら仕方ないでしょう。それに教会が許さなくても大丈夫だから」

「ん?」



 先生はちらりと上を見て、視線を俺に戻してきた。

 一体、何なんだろう?


 先生は何事もなかったかのように話を進める。

「まぁ、教会のことはともかく、問題はそれを行えるか……」

「先生。成功の公算はどの程度で?」

「私には無理でも、ヤツハちゃんなら可能なはず」

「俺が? どうして?」


「以前、ヤツハちゃんが見せた黄金の瞳。その力には亜空間を渡れる力が宿っている」

「え?」

「あの黄金の力には、時に干渉する力が宿っているのよ」


「時? 時間にってことですか?」

「ええ、そうよ。と言っても、時間を操るんじゃなくて、あくまで今の自分を保つ程度だけど」

「えっと、話している意味がよくわからないんですが?」


「そうね、本当ならしっかり説明してあげたいけど、その余裕はないでしょう」

「まぁ、そうですけど」


「とにかくその力を使えば、今ある現在ときで身を包むことができる。そうすれば、想像の具現から身を守れるはず。それでも、とても危険よ。少しでも気を抜けば、どうなるか……」



 一度は亜空間魔法を行使すると決めたはずの先生に迷いが見える。

 つまり、それだけ危険な魔法というわけだ。


 重苦しい表情を見せる先生を横目に、俺は先ほどの断片的な説明から、俺なりに亜空間というやつを考えてみる。

 黄金の力というのは多少なりとも時間に干渉し、現在の時間を固定することができるらしい。

 

 その力を使い、今の状態を保ったまま、想像を具現する世界に飛び込めば、想像の具現から身を守ることができる……かもしれない。


 そう、あくまでも、かもしれない……。

 この魔法は先生だって成功したことのない魔法。

 だけど、俺は!



「それしかないんでしょう。だったらやります!」

「いいの? そんなにあっさり決断して」

「俺はもう、決断を迷って後悔するようなことはしたくないんですっ。迷って、ティラを助けられなかったら、後悔する! だからっ!」


 俺はたしかな覚悟を見せて、先生を見つめる。

 瞳の端ではウードが苦い顔を見せているが、とことん無視してやろう。


 覚悟を受け取った先生はクレマに視線を振った。


「亜空間転送には膨大な魔力が必要。私だけでは不安が残る。だから……」


「ははん、なるほど、それであたいの出番ってわけだな。すでに覚悟はできてるぜ。それに姉御が腹くくってるのに妹分のあたいがバビっちゃあ、格好がつかねぇ」

「ありがとう、クレマさん」


 

 先生はパチリと指を跳ね結界を張り、門を守る兵士に魔力の変化を気づかれないようにする。

 そして、二人は魔力を高め合い、亜空間転送魔法の準備を始めた。

 先生はもちろんだけど、さすがは魔導の最高峰を謳うエルフ。

 クレマの魔力もエクレル先生に負けず劣らず素晴らしい。


(すげぇ、さすがだなぁ。でも、この場合、人間のエクレル先生の方が凄いのかな? クレマはエルフだし、そしておさだしなぁ……あ、長……やばっ!)

 


 俺はクレマの立場を思い出し、慌てて声を出した。


「そうだっ。ちょっと待って。さっきもヤバいって言ったけど、これってジョウハクの王室に深く関係する事柄だよ。コナサの森の長であるクレマが加担していることが知られたら、まずいんじゃないの?」

「姉御、その件ついては、森の前で話がついてる。だから、余計な心配するな」

「森の前って……あっ」


 先生のクレマへの耳打ち。そして、先ほどの先生の申し訳なさそうな態度。

 森の時点で、すでに先生はクレマに協力と覚悟を聞いていたんだ。


「だ、だけどっ」

「ヤツハちゃん、覚悟を決めたのはあなただけじゃない。みんなよ」

「でも、ほんとに」

「はは、姉御は優しいな。自分のことならあっさり決断できるのによ。仲間のことになると心配して……だけどな、覚悟は姉御だけのものじゃないぜ!」



 クレマは瞳に強い輝きを見せる。

 先生も同様の輝きを見せる。

 それはとても眩しく、暖かい光。

 俺は二人に覚悟を渡した。次は、彼女たちから覚悟を受け取る番だ。


「ありがとう。二人とも。それじゃ、頼むっ!」

「ええ!」

「おうよっ!」


 返事と同時にエクレル先生とクレマは向き合い、魔力を急激に高めていく。

 二つの魔力は天にも届く二柱となる。

 これだけの魔力を、外から見ることも感じるさせることもない結界を張りつつ生み出すなんて……さすがに先生はすごい……。



「ヤツハちゃん。よく見ていなさい。これが亜空間転送魔法」

「はい……」


 俺は先生の一挙手一投足を目に焼き付ける。

 ここでしっかり覚えておけば、引き出しの世界を使い、いつでも思い出せる。

 

 先生は真剣な表情を見せる俺を見つめ、少し微笑んだかと思うと、言葉を固く声を出す。


「フフ……ヤツハちゃん。帰り道までは用意できない。それは自分で何とかしてもらうしかないわ」

「はい」

「当ては?」

「ないけど、何とかしますっ。先ずは入ることです!」

「そんな無計画な……」


「先生さんよ、姉御がああ言ってんだから信頼するしかないだろ」


「クレマさん……そうね、全てが無茶なんだから、一々立ち止まってはいられないわね。ヤツハちゃん、亜空間への入り口は長くはもたない。できたら迷わず飛び込むの。できるっ?」


「覚悟は上等っすよ」

「さすがは姉御。惚れ直しそうだぜ」

「あら、クレマさん。私のヤツハちゃんは簡単にはあげないわよ」

「んだよ、それはよ~、ははは」



 二人は軽妙な掛け合いを見せつつ、俺へ顔を向ける。


「ヤツハちゃん、準備を!」

「わかりました!」


 俺は大きく息を吸って、吐く。そして、一気に魔力を解放した。

 黄金の力が嵐の如く身を包み、瞳に同じ力が宿るのを感じる。

 結界に現れた三本目の柱。

 黄金の柱を目にして、クレマは呟く。


「マジかよ。魔力濃度がパねぇ。人間なのに、エルフさえ届かない至高の魔力濃度を手に入れるなんて……さすがはあたいが姉御と見込んだ女だぜ」

「ヤツハちゃん、しっかりとその黄金の魔力を身に纏って」

「はいっ」


 溢れ出す黄金の力を風の衣のように身に纏う。


「これでいいですか?」

「ええ」


 先生は自身の杖を地面に突き刺す。


「トーラスイディオム様から戴いた御力が早速役に立つとはね。まるで、大きな流れに翻弄されているよう……いえ、私もまた、渦中の端にいるんだった」


 先生はとても寂しく、疲れたような笑顔を零す。

 

「先生、どうしたの?」


「いえ、何でもありませんっ。ヤツハちゃんは自分のことに集中。では、行くわよ、クレマさん!」

「応っ!」


 左右対称にいる二人は、自身の両手を重ねて前へ突き出す。

 先生は亜空間転送魔法の呪文を唱える。



「心は水面みなもに。穿うがつは世界。ことわりを超えし境界。全てへ繋がる道。我、存在許されざる眠れし秘宝の極地に足を踏み入れん。世界よ、刮眼かつがんせよ!」


 先生は重ねていた手を上下に開いていく。

 クレマもその動きに合わせて、手を上下に開いていく。

 二人の間に、かつて地獄の鬼に投げ入れられた時に見た、黒い渦のようなものが生まれ始めた。

 先生は気勢を言葉に込める。



「跳躍場所は地下通路があるという北地区周辺に設定! ヤツハちゃんは跳躍場所を意識して! そうすれば、出口がよりはっきりと固定されるっ!」

「わかりました!」

「もう少しで安定する……私の返事に合わせて飛び込んで」

「はいっ」


「飛び込んだら、ヤツハちゃんの身体はこの世界との境界に存在することになる。周りには今と同じ風景が見えるけど、触れることはできない。壁に当たっても人に当たってもすり抜けることができる。そこを徒歩で移動するの」


「徒歩で?」

「ええ、そうよ。だけど、歩める道は限られている。とても細い光の道の上だけを歩いて。そこから踏み外すと、亜空間に飲み込まれて消えるわよ」

「わ、わかりました」


「移動はとても長く感じると言われてるけど、現実は一秒たりとも経ってない。では、いい!」

「いつでも!」

「いくわよ、クレマさん」

「ああ、こい!」

「行って、ヤツハちゃん!」


 天と地に開いた二人の両手

 その間に、闇の渦。

 俺は黄金の風を纏ったまま迷うことなく飛び込んだ!

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