第147話 お遊戯・再び

 部屋にはフォレの熱の残滓……だが、一人の女の声で熱は一瞬にして凍りつく。



「フフフフ、あなたはいつから女になったの?」

「ウード……気分良いんだから引っ込んでろよ」

「そんな寂しいこと言わないでよ。あなたと私はフォレ以上に離れることのできない相棒なのに」


 彼女の戯言に辟易しながらも、俺は瞳を部屋の端に動かした。

 そこにはウードの姿が……。


 黒騎士の戦いで力を借りて以降、彼女は頭の中ではなく、俺にだけ見える幻影として現れるようになっていた。

 

 彼女は頭の中にいた時よりも一層鮮明に、女性としての色香を纏っている。

 見た目は俺と似ているが、彼女の手の動き、足の運び、腰の揺らめき、潤んだ瞳の流れ。

 全ては洗練された貴婦人のような所作を表す。


 

 俺は彼女の姿を一度視界から外して首を振り、元へ戻した。


「何が相棒だ。寄生虫の分際で」

「時が経てば、あなたが寄生虫になるのよ」

「そう簡単に身体を乗っ取らせると思ってんのか?」

「抵抗できるとでも?」


 俺とウードの視線がぶつかり合う。

 彼女の視線は遥か天上から見下ろすもの。

 対して俺の視線は……力の籠らない、頼りなきもの。


 これは勝敗が決した戦い。

 いずれ、ウードは身体を乗っ取る。

 その時がくれば、ウードの寄生虫として俺の意識を端に追いやられる。

 身体を奪ったこいつが、その後何をするつもりかは知らない。

 だけど、生まれ変わりを跨いでも罪は拭えず、宇宙追放刑を受ける大罪を犯した存在。

 ろくでもないことを企んでいるのは間違いないだろう。


 

 この企みを食い止めるために取れることと言えば、みんなに相談すること……でも、それはできない。

 なぜならば――――女神の警告。

 

 サシオンにウードのことを話そうとした時、コトアは話すなと警告してきた。

 コトアが何を思っているかはわからない。

 少なくとも、ウードの存在を他者に知られたくないと見える。

 

 それはウードの存在を必要としているからだろうか?



 事情は全くもって見えない。

 でも、相談しようとすればコトアが邪魔に入るのは予想がつく。


 俺は小さく息をつく。

 その姿を目にしたウードは偶然か、いま抱いていた考えの一部を尋ねてきた。


「どうして、仲間に相談しないの?」

「したら、困るんじゃないのか?」

「ええ、困る。だからこそ、あなたは相談するべきでしょう。だけど、何故かあなたはそれをしようとしない」


 彼女は俺の不可解な行動に小さな不安を見せている。


「ははは」

「何がおかしいの?」

「お前は臆病だな」

「私が臆病? 笑わせてくれる」

「臆病だろ。俺の考えが読めなくて、不安を抱いている」

「フンッ、あなたにどんな考えがあろうと私の浸食は止められない」

「なら、堂々としてろよ。お前は圧倒的に有利なんだからな」

「……本当に、何を?」


 ウードは疑念の眼差しを向けてくる。

 しかし、その疑念は無意味。今のところ、俺に策はない。

 あえて言うならば、この形のない不安が策。

 彼女が警戒し、心の浸食を少しでも遅らせることができれば、その間に何か良いアイデアが浮かぶかもしれない。

 という、なんとも頼りない策。


「いや、こんなもん策ですらないな」

「何?」

「なんでもない、ふぅ」



 俺は髪に手櫛を通して、気怠そうに息を吐いた。

 その動作を見ながらウードは首を横に振る。


「まるで、本物の女性のようね」

「女になってだいぶ経つからな。そりゃ、動作も多少は女っぽくなるさ」

「動作だけ? 心はどうなの?」

「うん?」

「フォレに見せた、あなたの態度。あれは――」


「まるで恋する乙女ってか」

「……どうなの?」

「あいつのことは好きだよ。友達として。男女としてとなると、まだわかんないね。だけど……」

「だけど?」


「あいつなら受け入れてもいいっていう自分がいる。もし、お前を封じ込めて、男に戻れなかったら、共に道を歩むのも悪くない。そう、思えるくらいはある」

「フンッ、それはあなたには叶わない夢ね」

「あなたには? 何、お前、フォレに気でもあんの?」


 俺はわざらしくはぐらかした。

 ウードの言っている意味は理解できている。

 彼女を封じ込める手立ては現状存在しない。

 このままだと俺の意志は消え、フォレの前に立つのはウードだ。

 

 だからこそ、あえて茶化した。

 この程度のことでしか、抵抗できないから……。


 

 ウードはこの挑発に訝し気な表情を見せてくる。

 てっきりさげすみの眼で見下してくるだろうと思っていたので意外な反応だ。


「どうした、ウード? まさか、フォレじゃなくて俺に気でもあんのか?」

「あなた……雰囲気が変わったわね」

「うん、そうだな。なんでだか、以前よりも笠鷺おれって感じがする」



 黒騎士との戦い――死線を乗り越えて、俺の中で何かが変わった。

 以前と比べ、死に対して必要以上に怖れを抱かなくなった。

 それは同時に、ウードの乗っ取りに怯えなくなったということ。

 この感覚は笠鷺燎かささぎりょうとしての俺には覚えがある。


 小四の時の出来事と同じ感覚。諦め……だけど、以前とは違い、諦観というよりも達観という感覚に近い。

 妙に心がどっしりと構えている……心が成長した、ということだろうか?

 それとも、悲観するあまりに、形のない楽観主義にでも走っているのだろうか?

 

 実際に、俺は微かな希望を抱いている。

 身体を乗っ取られたからといって、何もかもがついえるわけじゃない。

 たとえ、寄生虫になろうとも、意思が存在する限り、身体を奪い返すチャンスはあるはず、と……。

 

(その方法もわかんないのに、やっぱり中身のない楽観かなぁ)

「ふん、なるようになるか。ウード」

「なに?」

「簡単に身体を渡したりしないからな。覚悟しろよ」

「ふふ、怖い怖い……面白い相手になりそう」



 彼女は強者が弱者に送る笑みを見せる。

 その笑みから、以前行ったお遊戯を落とした。


「私が与えたヒント、覚えてる?」

「うん? お前の正体はどうこうってやつか。それがどうした?」

「黒騎士から生き延びたご褒美に、いくつかヒントを追加してあげる」


 ウードは頬に指をあてて、妖艶な笑みを見せる。

 俺を翻弄するのが楽しくてしょうがないようだ。

 でも、今の俺はそんな挑発に軽々しく乗るような奴じゃない。


「そう、付き合ってやるからヒント言えよ」

「なるほど、からかい甲斐は無くなったのね……まぁ、いいわ。態度に出なくても、悩みはするでしょうから」

「ほんとにヤな女だな。てーか、本当に女なのか?」


「それも含めて、ヒントを出してあげる。まず、以前のヒントの三番目。日本を知らない。この国号を天皇という号に置き換えると、ヒントにある共通点が生まれる」

「共通点ねぇ」

 

 

 まずは以前のヒントを思い出す。


1.地球外生命体ではない。2.キリストを知らない。

3.日本を知らない。4.うを知っている。


 それで、三番目を天皇という号に置き換えると共通点が生まれる。


 まず、日本と天皇を置き換えても問題ない点を考える。

 初めてこれらのヒントを得たとき、導き出した答えはウードの生まれた時代のヒントだと考えた。

 俺は意識を箪笥の世界に飛ばし、引き出しを覗き込む。



(え~っと、大宝律令たいほうりつりょう飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうの辺りの知識をっと……なるほど、日本という国号と天皇という呼称が法制化された時期はほぼ重なるのか)

 

 つまり置き換えても、時期はそう大きく外さない。

 しかし、日本を天皇という号にすると、ある共通点が生まれる、と。


(ってことは、あえて日本という単語にすることで、ヒントの難易度を上げていたのか)


 ならば、ここから改めて共通点とやらを考えてみよう。



(なんだろうね。天皇陛下とイエスキリストの共通点となると、宗教? 神道とキリスト教……でも、それだと、地球外生命体はなんだって話……生命体? ヒント1も2も3も生命体だよな)


 確信はないが、ウードに尋ねてみる。


「これらのヒントの共通点は生命体。命ある存在ってことか?」


 ウードは無言で笑みだけを見せる。どうやら、正解みたいだ。

 では、四番目の『うを知っている』……『う』もまた生命体となるはず。



「う、う、鵜、兎……?」

 俺はベッドの上で手をパタパタさせたり、身体を上下に動かして跳ねる。

 それを見て、ウードは頭を押さえた。


「肝心なところで抜けているというか。あなたが何が好きだったのかを重ねれば、簡単にわかるはずなのに」

「俺が好きなもの? 肉とか?」

 

 ウードは眩暈を起こしたように、ふらりとよろける。


「ああ、ここまで間抜けなんて。以前、さとい子と評価したけど、間違いだったかも……」

「お前な、そんなにどうしようもない奴って思うなら、もう答え言えよ!」



 俺は歯を剥き出しにして彼女を睨みつけた。

 その様子に満悦したのか、ウードは微笑む。


「ふふ、そうそう。そんな風にムキになる姿が見たかったの」

「こ、こいつっ」

「ま、ここまでにしましょう。私は十分に楽しめたから」

「ちょっと待て、勝手なっ」


 俺は文句を口にするが、彼女の姿は薄く消えかけている。

 最後に今回の最大のヒントを置いていく。


「笠鷺。私は女。これに嘘偽りはない。じゃあね」

 彼女は姿を揺らめかせ、俺の視界から消え去った。



「くそっ、結局遊ばれてしまったっ。でも、女か。これで人間の女じゃないけどね、ってパターンだったらムカつくなぁ」


 俺はベッドにぱたりと倒れ、天井を見つめる。

 そして、ウードのことは忘れ、仲間たちのことに思いを馳せる。


「みんな、バラバラになっちゃうのか……パティは王都に残るけど、なかなか会えなくなりそうだし。寂しくなるな……」



――そして回想は、エクレル先生による最後の治療の光景へと移る。

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