第130話 守るべき日常
一心不乱に馬を走らせるヤツハ。
黒騎士は彼女の行動を讃える。
「ほぉ、迷うかと思いきや、あっさりと……見事だ」
後方に控えているバーグもまた、関所へ向かうヤツハを黙って見送る。
傍にいる部下はため息まじりの言葉を出す。
「はぁ、いいんですか?」
「うん? ああ、いいだろ。逃げたお嬢ちゃんの行動に意味はないからな。ここは、あの子を逃がすために嘘をついた少年少女らの思いを汲んでやるよ」
「でも、途中で気づくでしょう」
「そうだな。その時、戻ってくるなんて馬鹿な選択肢を選ばなければいいが。この子たちみたいに……」
バーグは果敢に立ち上がったフォレたちを悲し気に見つめる。
「黒騎士殿はこういった気高き
「やらないでしょうね。彼らは若くとも戦士。死んだ仲間には悪いが、そんな奴らに
「あ~あ、ガキどもが踏ん張ってるってのに、俺たちは武器持たぬ村人を襲ってるわけか。情けなくて、俺の方が糞を漏らしそうだぜ」
バーグは村へ顔を向ける。
そこでは村人たちの悲鳴と兵士たちの怒号が響いている。
「くそ、くだらねぇ。帰り支度でもするか」
「よろしいんですか?」
「もう、十分だ。ま、何かあっても、黒騎士殿が勝手なことしたから~って報告するから問題ねぇ」
「さすが隊長っす」
「おう、褒めろ褒めろ。だけど、今から起こる惨劇は見届けなきゃならねぇ。本当に戦争ってのは馬鹿げてるね」
「止められませんかね?」
「黒騎士殿は彼らを気に入った。だから、殺す。彼らも、村を守るために退かない。俺らは立場上、退いてやるとは言えない。俺たちの帰り支度に気づいてくれれば、彼らも止まるかもしれないが」
バーグはフォレたちに目を向ける。
彼らは意識を完全に黒騎士へ奪われ、こちらを見ていない。
「フォレたちの行動は
「でも、退けば相手は一歩踏み込む。そいつが戦争じゃ、どうしようもないっすね」
二人は黒騎士と、儚く散ろうとしている若者たちへ目を向ける。
黒騎士を前にして、足掻き続けようとする若者たち。
先には絶対の死しかない。
彼らの手は恐怖に震え、痛みに身体は軋み、足は絶望に根を生やす。
しかし、心、心だけは屈しない。
フォレは心の力を全身に駆け巡らせて、吼える!
「皆さん、行きますよっ!」
「はい! フォレ様!!」
「ええ! フォレさん!!」
「わかりました!!」
――ヤツハは馬をエヌエン関所へと走らせていた。
彼女の心中に巡る思いは、混乱の極みであった。
(俺がやるべきこと、早く知らせないとっ。俺の力じゃどうにも!)
明確に的確に答えを出すならば、この逃亡は正しい。
ヤツハがいても何の役にも立たず、ただ死ぬだけ。
だから、正しい逃亡。
そう、逃亡……これは仲間を見捨てた、逃亡。
ヤツハは馬の脚を緩めて、立ち止まった。
「フォレは死ぬ。アプフェルもパティもアマンも、みんなみんな死ぬ。関所からの応援は間に合わない。間に合うはずがない。じゃあ、どうして、フォレは俺に関所へ行けって言ったの?」
村は襲われ、焼け落ちた。
敵の数は少なく、侵攻ではない。
しかも、戦略上重要ではない小さな村。
でも、状況を伝える必要はある。
あるのだけど、フォレが訴えたのはそれじゃない……ヤツハは胸をグッと押さえる。
「俺を逃がすためだ。俺が逃げやすくするために、理由を作るために、関所へ行けと。応援を呼べと……そう、だから、俺は……違うっ!」
ヤツハは気づいてた。
応援を呼びに関所へ。これが意味のないことだと……。
だけど、彼女はそれから目を逸らし、命を天秤にかけた。
自分が加わっても死ぬだけ。
ならば、一人でも多く生き残るべきでは?
彼女は死を前にして、明瞭にして明白な答えを導き出していたのだ。
仲間を見捨て、己が助かるという選択を……。
しかし、これを責められる者がいるだろうか?
戦えば、確実に死ぬ。しかし、逃げれば助かる。
二つの選択肢。答えは簡単。
だがっ――。
「友達を見捨てた事実は変わらない。俺は……俺は……」
ヤツハの目の前に、いつものサンシュメの光景が生まれる。
朝起きて、ピケから髪を梳いてもらう。
トルテさんから朝食を頂き、仕事へ。
お昼に戻ってくると、そこにはアプフェルとパティが口喧嘩をしている真っ最中。
ヤツハはため息を漏らしながら、アマンへ話しかける。
アマンも同じくため息を漏らしながら応える。
いきなり、お尻に嫌な感覚が……サダさんが厭らしい顔を浮かべて後ろに立っている。
それを蹴り上げて、さらに止めを刺そうとしたところにフォレが訪れる。
アプフェルとパティは喧嘩を途中でやめて、色めき立つ。
トルテさんはクスクスと笑い零し、ピケはお盆を両手に抱いて肩をちょっと竦める。
ヤツハはピケの頭を撫でる。
ピケは頬をほんわりと桃色に染めて、嬉しそうに笑顔を見せる。
――だけど……その日常は二度と来ない!
ヤツハの日常はひび割れ、崩れ落ちた。
残骸を拾い集めても、ピースが足らない。
それは失ったから……失った大切な欠片は、もう二度と!
ヤツハは手綱を強く握り締める。
彼女の思いが伝わったのか、馬はみんなが待つ場所へと首を向けた。
そこへ、声が響く。
<待ちなさい!>
ヤツハは目を閉じて、声の主に話しかける。
「ウードか。急いでるんだ。後にしてくれ」
「バカを言いなさい。戻れば、死ぬわよ」
「ああ、そうだな」
「戻っても、あなたが死ぬだけで何も変わらないっ」
「わかっている」
「わかっているなら、今すぐ関所へ向かいなさい!」
ウードは今まで見せたことのない感情をヤツハにぶつける。
だけどヤツハは、ちょっと困ったように顔を顰めるだけ。
「たしかに、俺は馬鹿だ。でもな、馬鹿だとわかっていても、やらなきゃならないことってのがあるんだよ」
「そんなものしなくてもいいことよっ。仲間のために犬死をする。何の意味があるの!?」
ウードの瞳に映る色は、どこまでも純粋な
あまりにも理解しがたい馬鹿げた行動に疑問ではなく、
ヤツハはそんな彼女の瞳を見て、悲しげに笑った。
「フフ、お前には大切な何かってのが、なかったんだな」
「っ!」
ウードは
だが、すぐに落ち着き、口角をにわかに上げる。
その笑みは悪魔の微笑。
彼女はヤツハへ手を差し伸ばす。
「あなたのような馬鹿は沢山見てきた。どうせ、止まらないんでしょ。だから、私が力を貸してあげる」
「なに?」
「精神と体の不一致。性別だけではなく、この肉体には私とあなたの二つの意志が宿る。それが寄り添えば、今まで以上の力が出せる」
「力が……」
ヤツハはウードの手を見つめる。
そこから醸し出されるのは、
しかし、そうとわかっていても、彼女の手を取るべき…………しかし、ヤツハは躊躇いを見せて、断った。
「遠慮しとく。まったく、この状況を利用しようとするお前の逞しさには頭が下がるわ」
「たしかに私から力を得るということは、あなたにとって大きな損失。手を取らないというなら……ま、いいわ。フフ」
彼女は差し伸べた手を煩わしそうに振り払い、妖艶な笑みとともに闇に溶け入った。
ヤツハは瞳を開け、引き出しの世界より現実に還る。
「あの笑い、気になるけど……くそ、あとあと。みんなのところに戻らないと!」
ヤツハは馬に鞭を打ち、可能な限りの速さで村へ戻る。
彼女に策はない。これはただの無謀。
しかし、そうせざるを得ない……人とは思いに生きる矛盾を内包する存在だから。
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