第十四章 ボディボディボディ……体と心。
第117話 彼らの事情
エルフとの交易の再開。
さらに森の交通を見事に復活させた俺たちは、しばらく仕事もなく、各自自由な時間を過ごしていた。
そこへ、サシオンからの使いが訪れる。
内容は――おそらくもなく間違いなく厄介事。
俺は心の中で百度のため息を繰り返す。
(はぁ~~~~、面倒そうだなぁ。ま、こっちも色々聞きたいことがあるし、いいとするか)
――サシオン邸
執務室に入り、珍しく机の上に書類を置いていないサシオンに話しかける。
「仕事の話、だよね?」
「まぁ、そうだ」
「それしかないよね、っと、その前にいくつか質問いい? アクタのことで聞きたいことができたから」
「もちろん、構わぬ。尋ねてくれ」
「あのさ、北地区に『デルニエアンプルール』っていう、地球のファッションを扱うお店があるんだけど、このお店を取り締まらないのはなんで?」
「ああ、あの店か。基本的に、私も迷い人もアクタへ大きな変動を与える案件以外、介入は見送っている。というよりも、細かい案件を扱い続けていては仕事が追いつかぬ」
「ふ~ん」
「それに加え、あれはコトア案件でもあるからな」
「コトア案件?」
「女神コトアが私に取り締まるなと厳命している。迷い人側もそれを知っているから扱いを避けている」
「女神様が? どうしてまた?」
「サバラン、であったか? 彼女が取り扱っている衣装のデザインが気にいったそうだ」
「なにそれ……」
「まぁ、そういうこともあり、取り締まりの対象から除外している」
俺はコトア案件と言われる理由に眉を寄せる。
時計塔の際も女神がデザインを気に入ったと理由で、壊れているのにも関わらず王都に時計塔を置いた。
一体、どんな女神様なんだろう?
サシオンははてなマークを産んでいる俺の様子に気づき、さらに一言付け加えた。
「コトアは神の中では珍しく非常に感情豊かなお方だ。感性も人に近しいものがある。このアクタで他世界の奇妙なものを見かけたら、基本的にコトア案件と思ってもらって結構」
「え、そんなあちこちに女神様の口出しが存在するの?」
「趣味に関してだけだが……」
サシオンは疲れた笑みを交えて、問いに答えた。
俺も軽く乾いた笑いを返し、次の質問に移る。
「これは大した質問じゃないんだけど、ちょっと気になったことが?」
「なんだ?」
「フォレから聞いた話だけど、サシオンは部下が仕事でミスをした際に、始末書と改善点を提出させて、納得がいく書類ができるまで書き直させるって?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「いや、サシオンでめっちゃ未来人じゃん。どうして、そんな方法を? もっと画期的な諫め方があるんじゃない?」
「そういうことか……それは、我々は過ちなど犯さぬからだ」
「はい?」
「我々は間違いが起こらぬような機構を構築していた。故に、こちらに来て、間違いを犯す者への対処は非常に難しかった」
「それで、書類の提出に至ったと?」
「そうなる。彼らが出す改善案。重ねる過ち。それらの情報を蓄積して、明確な指針、機構を模索している最中だ。しかし、彼らは未熟。中々にてこずっている」
「そうなんだ」
サシオンの世界が進んでいるとは知っていたけど、まさか間違いを犯さない世界とは思いもよらなかった。
だが、この話には、一つ大きな矛盾がある。
そのことについては非常に尋ねにくい。なぜなら、一度訪ねようとして、氷ような目を見せられた覚えがあるからだ。
そう、それは……。
俺は一拍置いて、慎重に尋ねてみる。
「サシオン、気を悪くしたらごめん。間違いを犯さないサシオンたちが、どうして宇宙を無に
この問いに、サシオンはそっと目を瞑り、僅かに唇を引き締める。
そして、ゆっくりと瞼を開き、言葉を紡ぐ。
「……傲慢。空を高く見上げるあまり、足元を見ていなかった。あとわずかで、全てを手中に収めようとしていたのに……本当に愚かな結末だった…………」
サシオンは真っ直ぐと俺を見つめる。
その瞳は一切の感情を交えぬもの。
それは感情を押し殺しているのか、本当に何も感じていないのかわからない。
俺はこれ以上の問いかけができず無言で頷き、別の質問へと切り替える。
「次、なんだけど……クレマが祈り捧げてたときに聞いた言葉で、『無上世界』って単語。魂の穢れを落とす場所って聞いたけど。輪廻転生的なこと?」
「う~む、無上世界か……」
サシオンはこれでもかというほど奥歯を噛みしめて、顔に皺を寄せる。
自分の世界が無に
「ど、どうしたの? なんかヤバい質問だった?」
「いや、そういうわけではない。ヤツハ殿は輪廻転生と受け取ったと言ったが、しかし、魂の循環は別の形で行っている。詳しくは機密に掛かるので言えぬが」
「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、無上世界って何なの? 他の世界だって話を聞いたけど、アクタって元は無の世界だし、他の世界なんて存在しないんでしょ?」
「その通りだ。だが、他の世界という表現はあながち間違いでもない」
「というと?」
「無上世界とはコトアの部屋だ。アクタとは別に作り出した、彼女専用の部屋。そこが無上世界」
「そこで、魂の穢れを落とすの?」
「いや、むしろ穢れる」
「えっ?」
サシオンは片手で額を押さえながらそのまま頭を揉み、零れるように言葉を吐く。
「すまない、今の言葉は忘れてくれ」
「まぁ、忘れろというなら忘れるけど……結局、どういう場所なの?」
「コトアに選ばれた者が訪れる場所。そこでは……地獄が待っている」
「地獄って……」
「少なくとも、私にとっては地獄だ。他の者はわからぬが。すまない、これ以上の説明はできない」
「そう。まぁ、いいけど。そこまで聞きたいことじゃないし」
と言いたいけど、それはさっきまでの話。
サシオンのこんな態度を見たせいで、今となっては余計に無上世界、コトアの部屋のことが気になってしまった。
しかし、サシオンの様子からそれを正確に聞き出すのは難しそう。
そういうわけで、この件はゆっくりと引き出すとして、もっとも重要な問いへと話題を移そう。
それはもちろん……。
「じゃあ、最後に。女神コトア様に会うこと、うっ!?」
――空気がピシリと固まる。
脳にぼんやりとした靄が掛かり、軽い頭痛と吐き気を催す。
「くそ、何?」
「コトアが結界を張ったようだな」
サシオンは頭を押さえて、俺と同じように気分が悪そうな様子を見せている。
「サシオン、なんで?」
「理由はわからぬが、何者かに我らの会話を聞かせたくないようだ。いったい誰なのかはわからぬが……?」
「誰って?」
俺は室内全体を見回す。
(この場には俺とサシオンしかいない。他に会話を聞ける奴なんて……あっ)
もう一人いるっ。
それは、ウードだ!
俺は急ぎ目を閉じて、引き出しの世界へ訪れる。
「ウード?」
彼女の名を呼ぶが、返事はない。
彼女らしき気配も感じない。
これは女神様の力か……でも、女神は動けないのでは?
俺は目を開けて、サシオンの姿を瞳に取り入れる。
「女神様って、アクタの結界保護のために動けないんじゃないの?」
「力の大部分をそちらへ注いでいるが、
「ちょっとの力でこんなことができるんだ。さすが、神様」
原理はわからないけど、少しの力でウードの存在を煙のように掻き消せるなんて、本当にさすが神様ってところだろうか。
(そういや、ウードの存在のことはサシオンに話してなかったな。ちょうどいいや、今話しておく、クッ!?)
頭痛が増す――これは明らかな警告。
コトアはウードの存在をサシオンへ教えるなと言っているようだ。
(くそ、なんなんだ?)
コトアは今から話すことをウードに聞かれたくない。
サシオンにウードの存在を知られたくない。
コトアはいったい何を思って……?
だけど、現状コトアに関する情報が希薄なため、どんなに頭を捻っても彼女が何を考えているかなんてわかるはずもない。
とりあえず今は、話を進めよう。
「サシオン、話の続きをいい?」
「ああ、構わぬが、ヤツハ殿は大丈夫か? コトアの結界で気分が優れぬようだが」
「大丈夫。平気だから気にしないで」
「ならばよいが……」
「えっと、それでだけど……女神様に会うことはできない?」
この問いかけに、サシオンは懐より一通の手紙を取り出す。
「いずれ、そう言い出すだろうと思い、君のことをコトアに尋ねたことがある。すると、コトアは君宛に手紙を渡してきた。会いたいと尋ねられた時に渡すようにと」
「え、そうなんだ」
手紙は百均で買えそうな安っぽい白い封筒に入ったもの。
それを受け取り、中身を拝見する。
――ば~か。
「……………………え?」
「どうされた?」
「いや、ひらがなで『ば~か』って書かれてるだけなんだけど……何かのミスとか?」
「ほぉ」
サシオンは深く息を吐いたかと思うと、俺を上から下へと舐めるように観察し始めた。
そして――
「女神コトアはヤツハ殿と会う気はないようだな。さらに、ヤツハ殿に嫉妬しているようだ」
「嫉妬?」
「ふふ、その手紙で漠然とだが、コトアの思惑とヤツハ殿の立場が見えてきた」
「こっちは意味が全然わかんねぇよ! 俺にも見えるように説明してくれ!」
「申し訳ない。これ以上、頭痛を増すような真似をしたくないのでな」
と言って、僅かな笑みを交えながら、わざとらしくこめかみに押さえる。
コトアが邪魔するから説明は無理なようだ。
彼は表情を戻し、机の上で両手を組む。
「質問は以上でいいのか?」
「うん……色々納得できないけどね。まぁ、いいさ、会いたくないってんなら別にいいよ。そのうちこっちから乗り込んでやるからっ」
「ふふ、そのときは女神の守護役として、私と相対することになるな」
「げっ、そうなるのか……はぁ~、この件はいずれ考えるとして、今はここまででいいよ」
「そうか。ならば、話を我ら人のものへと戻そう」
彼がこの言葉を口にした瞬間、手紙は塵となり消え、脳に降りていた靄がきれいさっぱり消え去った。
俺は目を閉じ、ウードへ問いかける。
「ウード?」
「なに?」
ウードは開けられる引き出しから情報を持ち出し、それらを書物として目を通している最中だった。
この様子から、先ほどまでの出来事に気づいていないみたいだ。
俺は怪しまれないように、いつもの調子で話しかける。
「勉強熱心だな。覗き魔めっ」
「ふん、くだらない挑発」
取るに足らない言葉といった感じで、彼女は髪をさらりと流し、俺の存在を無視して書物に視線を落とす。
いつもなら腹の立つ態度だけど、彼女もまた、女神コトアの力の前ではちっぽけな存在だと思うと、そうムカつかない。
俺は立ち去る前に、女神の言葉を置いていく。
「ば~か」
「え?」
目を開けて、現実へ戻る。
その間際にか細くウードの声が聞こえた。
「なに、今の?」
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